時刻は夜と朝の境界線の午前5時。夜明け前の静かなる漆黒の帳に包まれた松島基地のエプロン地区は、まだ朝を迎えていないにもかかわらず活気づいていた。航空祭会場となる場所の中央に並べられた七機のT‐4を飛行前点検しているのは、フラッシュライトを装備した整備員たちだ。本来なら点検作業は昼日中に実施されるのだが、航空祭の来場者が会場に入る前に点検作業や整備を済ませておくため、夜が明けきらない時間帯から作業が行われているのである。 午前6時を過ぎると金色の黎明が東雲を美しく彩り始めた。身支度を整えた小鳥は独身幹部宿舎を出て、第11飛行隊専用のハンガーに向かっていた。幼さが色濃く残る可憐な顔には嬉々とした微笑みが浮かんでいる。吐いた息が瞬く間に白く凍る極寒の世界だが、空は何も描かれていないキャンバスのように一点の曇りもない。しばらくすれば目を覚ました神様が筆を執り、青い絵の具で空を塗り潰してくれるだろう。エプロンの暗闇を穿つのは星雲のような光の群れ。機体に電源を入れて各種系統が正常に作動するか確認しているのだ。整備員たちはフラッシュライトを相棒にして、エアインテイクの内部やエンジンのブレード類の状態を念入りにチェックしている。石神たちは小鳥より先に到着しており、エプロンの片隅で円陣を組み真剣な面持ちで何やら話しこんでいた。 「おいおい! 冗談だろう? そんな取引をするなんて馬鹿げているぞ!」 「……石神隊長の言うとおりだ。どうして俺たちに相談してくれなかったんだ?」 納得できないという表情で石神が声を荒げ彼に同意するように真由人が頷く。里桜も圭麻も二人と同様に顔を曇らせていた。松島基地に戻る前に流星が秘密裡で「彼」と交わした密約が彼らの反感を買ってしまったのだ。反対されるのは話す前から分かりきっていた。だが自分を許し受け入れてくれた石神たちに隠し事はしたくなかった。だから流星は包み隠さず話したのである。 「……燕君、貴方はそれでいいの? これを知ったらきっと小鳥ちゃんは悲しむわ」 「そうですよ。夕城さんにも話したほうがいいと思います」 「夕城には言わないでください。……あいつの泣き顔はもう見たくないんだ」 微かな悲哀を帯びた流星の言葉を最後に会話の幔幕は静かに下りた。そこに身支度を終えた小鳥が弾むような足取りでエプロンにやって来る。小鳥の笑顔につられて流星の口元は自然に綻ぶ。なんて素晴らしいタイミングなんだろうと流星は思った。きっと空の上の神様が今日だけ特別に取り計らってくれたのだろう。小鳥が石神たちと合流すると同時に、流星は彼女を避けるようにその場を離れていった。 「おはようございます。あの……燕さんは機嫌が悪いんですか?」 「いや、いつもどおりだ。点検作業が終わるまでまだ時間があるし、燕と話してきたらどうだ?」 「それがいいわ。展示飛行の前に絆を深めておかないとね」 なぜか石神たちは流星と会話を交わしてこいとやけに強く勧めてきた。小鳥はセールスマン並みの強引さに些か不信感を抱いたが、自分もそうしたいと思っていたので踵を回し流星のところに向かった。ハンガーの外壁に背中を預けた流星は腕を組み、太陽の熱で青く溶け始めた東雲の片隅を静かな眼差しで眺めていた。 「おはようございます、燕さん」 「……ああ」 「いよいよ本番ですね。うまく飛べるかどうか緊張します」 「そうだな」 短く淡白な会話は続かず重い沈黙が空気を押し潰す。小鳥が始めた会話のキャッチボールはうまく続かずに終了してしまった。それに流星は心ここに在らずといった様子だ。小鳥が再び会話のボールを投げたとしても、流星は受け留めずに敬遠するだろう。だから小鳥はこれ以上流星の舌を動かすことは不可能だと判断した。そこに機体の点検作業が終わったと担当の整備員から連絡が届く。 「先に皆さんのところに戻りますね。燕さんも来てくださいよ」 「夕城」 踵を返した小鳥を流星が呼び止める。小鳥が振り向くと空から視線を外した流星が彼女を見ていた。 「なんですか?」 「お前は一人前のドルフィンライダーだ。……オレがいなくなっても飛べるよな?」 「えっ? それはどういう意味ですか?」 「……いや、なんでもない。忘れてくれ」 流星は謎に包まれた言葉を口にしたあと再び空を見上げた。不意に小鳥は流星が忽然といなくなってしまいそうな不安に襲われ、去り際にもう一度だけ振り向いた。視線の先に流星は確かに存在していた。だが小鳥の視界に映る流星の端正な横顔は、無数の泡になって消えていく人魚姫のような、儚い憂いを色濃く帯びていたのだった。 午前8時。朝の魔法が閉ざされていた正門を開く。正門が開放されるや否や松島基地航空祭を心待ちにしていた人々が雪崩の如く一気に敷地内に押し寄せる。警務隊の軽装甲機動車や消防小隊の救難車に各隊の装備品など、松島基地のブースに置かれている展示品の中で一際目を惹くのが、T‐4の射出座席ステンセルS‐3S‐3だ。貸し出しのフライトギアを装備して座ればハーネスなどの装着も可能で、パイロット気分を満喫できるということもありとても好評だった。ブルーインパルスの展示飛行は午後13時20分から開催されるので、午前中はファンサービスとサイン会に費やされる。サイン会の会場となるテントの前に小鳥たちは横一列のアブレスト隊形で並び、その正面にはお目当てのパイロットのサインを求めるファンたちが長蛇の列を作っていた。サインはもとより友好の握手を交わし時には写真撮影に応じる。こうしたファンと直接触れ合う機会が設けられているからこそ、ブルーインパルスは根強い人気を誇っているのである。 石神の列には中年の男性が多く並び、里桜の列には鼻の下を伸ばした若い男性たちが列を成している。親しみやすい雰囲気を覚えるのか、小鳥と圭麻の列には家族連れや子供が多い。そして流星と真由人の列にはやはりと言うべきか、灼熱の闘争心を剥き出しにした幅広い年代の女性たちが並んでいた。次から次へと訪れるファンの対応をするのは非常に根気のいる作業だったが、ファンの数が多いのはブルーインパルスがそれだけ愛されている証拠。だから小鳥は苦に思うどころか楽しみながら応じることができた。 午前11時前に熱気に包まれたファンサービスは惜しまれながらも終了した。少し早い昼食を食べ終えた小鳥たちは、飛行隊隊舎二階のオペレーションルームで本番の飛行に向けたプリブリーフィングを開いていた。昼食後のリラックスタイムは終わり、全員が真剣な表情の展示モードにスイッチを切り替えている。プリブリーフィングは約1時間にも及んだ。一通りの確認が終わると最後は全員でアクロバット飛行のタイミングを合わせる。これはいつも訓練前に行っている仕来りのようなものだ。小鳥たちは机の上に右手を伸ばすとT‐4の操縦桿を握る姿勢を模倣した。 「ワン、スモーク。スモーク。ボントン・ロール。ワン、スモーク。ボントン・ロール。スモーク。ナウ! (スモークをオン。スモークをオフ。ボントン・ロールの隊形に開け。スモークをオン。ボントン・ロール用意。スモークをオフ。ロールせよ!)」 決められた無線の手順に合わせ操縦桿前部のスモークトリガーを脳裡に描く。人差し指でトリガーを握る仕草が六人全員重なる。石神の「ナウ!」の声に合わせ小鳥たちは一斉に右方向へ手首を倒す。小鳥たちが脳裡に描いた幻想のT‐4は、非の打ちどころのない完璧なロールでくるりと一回転した。静まる余韻のなかノックの音が室内に鳴り響く。席を立った圭麻がオペレーションルームを出て行った。ややあって満面の笑みを浮かべた圭麻が一人の男性を連れて戻ってくる。圭麻が連れてきたのは、ピンストライプ模様のカッターシャツの上に紺色のジャケットを羽織り、細身のチノパンを穿いた緩く波打つ淡い栗色の髪をした男性だった。間違いない。小鳥に6番目の翼を託して芦屋基地に旅立った鷺沼伊月3等空佐その人だ。変わらない優しい微笑みは小鳥たちに向けられている。思わぬ邂逅で喜びに心を満たされた小鳥たちは、席を立つと全員で鷺沼を出迎えた。 「私たちの展示飛行を観に、わざわざ松島まで来てくれたんですか?」 「ブルーインパルスで飛んでいた僕には、君たちのフライトを最後まで見届ける義務があるからね。これはお土産だ。芦屋で美味しいと評判のプリンだよ」 鷺沼は右手に提げていた紙袋をテーブルの上に置いた。次に鷺沼は優しく力強い笑顔を添えた握手を小鳥たちと交わして肩を叩き、一人一人に激励の言葉を送ってくれた。いちばん最後に鷺沼と握手を交わした流星は、表情を固く引き締めると彼に向けて深く頭を下げた。 「とてもいい顔と目だ。どうやら過去を乗り越えることができたようだね」 「鷺沼さん。今まで迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」 「僕は迷惑だとは思っていない。本当の意味で君がブルーインパルスの一員になれたことを喜ばしく思うよ」 「……はい」 そして最後に鷺沼は凜とした眼差しで一同を見回した。 「緊張しなくてもいい、気負わなくていい。仲間との絆と自分を信じて、思う存分君たちの空を飛ぶんだ」 鷺沼の熱い激励の言葉は小鳥たちの心に強く響き渡り、彼女たちの肉体と精神を縛っていた緊張の鎖を引き千切ってくれた。小鳥たちに敬礼を捧げて鷺沼は退室する。鷺沼との再会は、どれだけ遠く離れていても、築かれた青い絆は決して断ち切られることはないということを小鳥たちに教えてくれた。そして視線を重ね合わせ頷き合った六人は、オペレーションルームを後にした。 ◆◇ 『ご来場の皆様、本日はようこそ松島基地航空祭にお出でくださいました。今日はブルーインパルスが活動を再開してから、初の本格的な展示飛行の日となります。この記念すべき日に、皆様にお会いできることをとても嬉しく思います。ブルーインパルスの展示飛行の前に、ブルーインパルスJrによる二次元アクロをお楽しみください』 雲の影一つ見当たらない快晴に恵まれた松島基地に響き渡るのは、航空祭会場が一望できる基地内のナレーター席から発信された第11飛行隊隊員のナレーションだ。青天を仰ぐ石神の精悍な顔はとても満足そうである。この天気なら文句なしに第1区分の展示飛行が実施できるからだろう。ブルーインパルスJrは松島基地の整備員有志で構成されたチームで、T‐4を模した改造バイクで地上アクロを披露する。六台のバイクによる走行アクロは、人知れず練習を積み重ねた隊員の意気込みと、長年の工夫とユーモアが詰まった見応えのある内容となっており、子供から大人までファンの数はとても多いのだ。 T‐4と同じ青と白のツートンカラーに塗り分けられた、六台の50ccスクーターが会場に颯爽と現れた。その中にはもちろん鷲尾1等空曹と鶴丸彩芽の姿もあり、整備員たちはとても誇らしげな顔でハンドルを握っている。大地に咲き誇るひまわりの花。5番機バイクの後ろに取りつけられたミニチュアの6番機が、手動で回転するコーク・スクリュー。花火を使ったカラースモークの演出。舞台を地上に移した展示飛行が次々と披露されていく。ブルーインパルスJrはその高い走行技術をいかんなく発揮してファンを熱狂させ退場していった。 『ブルーインパルスJrの演技はお楽しみいただけましたでしょうか? ただいまからブルーインパルスの展示飛行を開催いたします。これから約35分間、ダイナミックなアクロバット飛行と、美しい編隊飛行の妙技をお楽しみください。会場左手では、本日の展示飛行を実施するパイロットが航空機へと向かいます。整斉としたパイロットの動きにご注目ください』 航空中央音楽隊の演奏する「The Simmer Of The Air」が、スピーカーから会場全体に伝播していく。編隊長の石神の号令で小鳥たちは一斉にウォークダウンを開始した。小鳥がステップをカウントして石神たちは歩幅を合わせ行進する。ステップをカウントする小鳥の声は熱い歓声に掻き消されて聞こえないが、心を一つにした石神たちの耳朶にははっきりと届いていた。 『ここで本日展示飛行を行うパイロットを紹介します。1番機、フライトリーダー、3等空佐、石神焚琉。2番機、レフトウイング、1等空尉、鷹瀬真由人。3番機、ライトウイング、1等空尉、雪村里桜。4番機、スロット、2等空尉、朱鷺野圭麻。5番機、リードソロ、1等空尉、燕流星。6番機、オポージングソロ、3等空尉、夕城小鳥。以上六名のパイロットが本日の展示飛行を行います』 小鳥たちはぴんと背筋を伸ばし、凜とした眼差しで前方を見据えながら、一糸乱れぬ見事なウォークダウンで搭乗機の前に辿り着いた。青天の下で佇む「ドルフィン」ことT‐4は、流線形のフォルムや翼などその機体の全てが相変わらず美しかった。F‐86FノースアメリカンセイバーやT‐2の歴代ブルーインパルス採用機に比べると、T‐4の見た目は可憐で軽やかに見えるが、ポジションナンバーの重みは先輩パイロットから受け継いだ思いと同様に変わることはないのだ。 機付き整備員と敬礼を交わした小鳥たちは、梯子に掛けられているGスーツをその身に纏った。小鳥たちが機体に搭乗したのを確認した整備員たちは所定の位置に移動していく。赤い座席に座り頑丈なハーネスとベルトで身体を固定する。腰回りを固定するベルトは特にきつく締めなければいけない。背面飛行の際に身体が浮き上がらないようにするためだ。メタリックブルーのヘルメットを頭部に被り、通信用マスクと酸素マスクを装着する。機器に異常はない。垂直尾翼のストロボライトを点滅させ、エンジンスタートの準備が整った合図を出す。小鳥たちは担当の整備員とハンドシグナルを交わしながら連携を取り、息の合った動作で各種点検作業を終えた。 エンジンスタート完了。各システム、コンディション・オールグリーン。エルロン・ラダー・エレベータの三舵もアイスクリームのように滑らかに動いている。通信機材・航法装置に飛行計器・エンジン計器など、機体に搭載されている全ての計器に不備は見当たらなかった。寝る間を惜しんで整備してくれた整備員たちのお陰だ。1番機から順番にタキシングで滑走路へ向かう。残るは離陸前の最終点検だ。操縦桿やスロットルレバーを操作、エンジンを始め各システムが正常に作動するか入念に確認した。操縦桿のトリガーを弾きスモークを放出。風と手を繋いだスモークが四方へ拡散していく。シート・セイフティ・ハンドル、ダウン。地上での作業は終了した。あとは青い高みを目指し翼を広げて舞い上がるだけだ。 『まずは四機の編隊離陸をご覧いただきましょう。離陸するとすぐに4番機は1番機の真後ろに移動して、菱形のダイヤモンドと呼ばれる隊形を作ります』 フィンガー・チップ隊形を組んだ四機は石神のコールで離陸滑走を開始する。圭麻が操る4番機は浮揚してすぐに2番機と滑走路の僅かな空間をくぐり抜けると、1番機の真後ろに占位してダイヤモンド隊形に移行した。主翼のフラップ・ダウン。フラップと脚を降ろしたままのダーティ形態で60度のバンク。高度700フィートまで上昇、270度の旋回。最後にロールアウトをした四機は会場正面から進入した。ダイヤモンド・テイクオフ&ダーティ・ターンは、T‐4の低速域による優れた運動性能が際立つ課目である。正面からランディング・ライトを点滅させながら太いスモークを曳いて進入してくる様子は、期待感溢れるオープニングに相応しい曲技だといえるだろう。先行して離陸した四機の軌跡を追いかける小鳥の耳元で無線が響いた。 『スワローテイルからハミングバード。聞こえるか?』 『ハミングバード、ボイスクリア』 『空の上で待っているからな。すぐに来いよ』 凜とした涼やかな低音の声は間違いなく流星のもの。5番機が発進する直前、肩越しに振り向いた流星が小鳥に向けて片手を挙げた。小鳥は敬礼で返事を返す。下ろされたバイザーと酸素マスクで見えないが、遠ざかっていく流星の横顔は微笑んでいたように思えた。 『ファイブ、スモーク・オン。ローアングル・キューバン・テイクオフ、レッツゴー』 ランディング開始。5番機はエアボーン直後にピッチ角を低く抑えながら脚とフラップを上げた。一気に240ノットまで加速した5番機は、滑走路のエンド付近でエレベータ・アップしてループ機動を継続する。次いで背面姿勢から一回転半のロール。エレベータ・ダウン、離陸方向とは反対側へ。300フィートでレベルオフした5番機は課目を終えた。超低空飛行で加速して急上昇したのち、そのまま宙返りを半分行って観客の前に戻ってくるローアングル・キューバン・テイクオフ。展示飛行のオープニングからT‐4の高い機動性をアピールできる最初のリードソロ課目である。そして小鳥が乗る6番機が離陸する時がやってきた。 『シックス、スモーク・オン! ロールオン・テイクオフ、レッツゴー!』 スロットル・ハイで滑走路を駆けて上昇。速度計を確認、機速は170ノットを維持する。ピッチ角を30度に合わせてエレベータを引き、小鳥は右へ360度のバレル・ロールを打つ。素晴らしいロールオン・テイクオフの軌跡が天空のキャンバスに描かれた。エネルギーが少ない低空・低速度の領域においても運動性能が高く、素直な操縦特性を有するT‐4だからこそ安全に課目が実施できるのだ。地上の観客たちは低速ならではの太いスモークが描くアーチに目を奪われているだろう。 ダイヤモンド隊形を組んだ石神たちが会場左手方向から進入してきた。会場を中心にした3Gの旋回が開始される。青い空に純白の機体の姿を刻みながら四機は右手方向に翔け抜けていく。ファン・ブレイクは機体同士の最短距離が約1メートルという、全課目の中でも密集した隊形が見られる課目だ。それぞれのパイロットの卓越した技術と互いを信頼し合う心があるからこそ行える課目である。 雲隠れしていた5番機は再び姿を見せると、右に90度の四回に区切ったテンポの良いロールで抜けていった。ナイフの如き鋭いロールが青天を切り裂く。静と動の対比が美しい課目であるフォー・ポイント・ロールだ。流星と5番機の踊りに見惚れている場合ではない。次は小鳥も参加する編隊課目なのですぐに石神たちとジョインナップした。これから始まるのは連続した二種類の隊形変換と躍動感溢れる課目チェンジ・オーバー・ターン。まず縦一列のトレイル隊形で進入した五機が観客の眼前で360度の水平旋回を披露する。旋回の開始と同時に左右に大きく開いた傘型の隊形に変わり、会場を一周している間に更に密集した傘型隊形へと変化させるのだ。 縦一列のトレイル隊形を組んで一斉にトリガーを弾く。石神のコールで右旋回を開始。真由人と里桜、圭麻と小鳥は花火が弾けるように大きなデルタ隊形に移行した。180度のターン、1200フィートまでアップ。メイク・デルタのコールで寄り添うように間隔を詰め密集したデルタ隊形へ移行する。700フィートまで降下、370度の旋回で会場右手にフェードアウト。小鳥たちはチェンジ・オーバー・ターンを終えた。 会場左手方向から進入してきた5番機はハーフ・ロールを打ち、背面姿勢で滑走路上空を右手方向に通過していく。左ロールで水平に復帰した直後に引き起こしを開始、上昇姿勢を確立した後に右ロールで再び背面姿勢に移る。そのまま2分の1ループを実施して滑走路上空に再度進入。今度は三回連続の右ロールを実施した。T‐4の優れた背面飛行性能と高いロールレートによる連続横転を一度に見られるリードソロ課目、インバーテッド&コンティニュアス・ロール。正確な背面飛行と連続横転は誰にも真似できないだろう。 インバーテッド&コンティニュアス・ロールの次は、黄金色の朝日が昇る姿を想定して作られた五機編隊課目サンライズだ。ブルーインパルス創設50周年を記念して創作された新課目の一つである。操縦桿を手前に引いてエレベータ・アップ、ループ軌道で6000フィートまで昇る。頂点に到達、機首を下げてスモーク・オン。五機はループを継続しながら500フィートでレベルオフした。 『ロビン、ハミングバード。ブレイク・レディ、ナウ!』 小鳥と圭麻はそれぞれ左右に60度ブレイクした。次いで2・3番機が左右に30度の旋回を行い、1番機は20度ピッチアップのブレイクを実施して五方向に隊形を開く。五つの方向に散開した小鳥たちの航跡は雄大かつ美しく、まさに名前の通り黄金色の光を纏いながら顔を出す朝日のようだった。朝日は沈み垂直急上昇のバーティカル・クライム・ロールが始まる。時速800キロの高速で進入してきた5番機は会場正面で90度の急上昇を開始、横転を繰り返しながら上空3000メートルまで一気に翔け上がっていく。スモークで螺旋を描きながら荒々しくも優雅に上昇していく姿に誰もが圧倒されていた。 『シックス・スモーク・オン! スロー・ロール、レッツゴー!』 小鳥は高度300フィートを保ちつつ会場左方向から進入を開始した。極めて緩やかなレートで360度の右ロールを10秒かけて打つ。小鳥は四肢を駆使して機体をコントロールする。かけがえのない仲間と共に飛んだ空で培われた空中感覚と操縦技術を存分に発揮して、小鳥は完璧なスロー・ロールを終えた。続いて会場後方からトレイル隊形を組んだ1番機から4番機が進入した。滑走路を通過後に3・5Gで機首を引き起こしループ機動へ。30度ピッチになった時点で、2・3・4番機は編隊長のコールによりダイヤモンド隊形への移行を開始する。5500フィートの天頂に達した編隊は降下を続けながらマイナス60度ピッチで右ロールを開始、会場右方向に抜けていった。チェンジ・オーバー・ループ。素早い隊形変換と正面直上で繰り広げられる三次元機動が際立つ課目である。次はいよいよ最初のデュアルソロ課目ハーフ・スロー・ロールだ。 『ファイブ、スモーク・オン。ハーフ・スロー・ロール、レッツゴー』 『ラジャー!』 流星のコールを合図に小鳥は操縦桿を右に倒し180度のロールで背面姿勢に入った。 『レフト・ロール。ナウ』 小鳥はゆっくりと操縦桿を左に倒した。まるで一本の芯で繋がっているかのように5・6番機は美しい225度のロールを打つ。緩急をつけたロールと二頭のイルカが仲良く青空を泳ぐような完璧に同調した機動は、観客たちの心を一瞬で魅了した。 会場後方から進入してくるのは1・2・3・4番機だ。次に行われるのは四機編隊課目のレター・エイト。その名の通り横向きに8の字を描く課目で、進入してきた四機編隊は二つに分かれて旋回を始めるとそれぞれが水平に円を描き、二つの円を組み合わせて8の字を空に描くのである。 『ワン、スモーク・オン! レター・エイト、レッツゴー!』 四機は上空を通過したのち右旋回を始めるのだが、4番機だけは別行動をとりタイトな左旋回を実施する。360度の旋回を終えた4番機は開始地点に戻った。圭麻は即座に右に切り返して先行する編隊を追いかけた。三機が円を描き終わるまでに合流しないといけないのだが、ここで無理をすればオーバーGする可能性もあるので、慎重かつ確実に圭麻は機体を操縦する。会場正面でジョインナップ。四機はダイヤモンド隊形に復帰した。 左方向に旋回した小鳥は右方向に旋回した流星と向かい合う。これからソロの二機によるオポジット・コンティニュアス・ロールが始まるのだ。会場の左右から5・6番機が進入して、それぞれが連続横転しながら約50メートルの間隔で交差するという、スパイアクション映画のようにスピーディでスリリングな迫力あるデュアルソロ課目である。 『ファイブ、スモーク・オン。オポジット・コンティニュアス・ロール、レッツゴー』 『ラジャー!』 フルスロットルで青天を翔ける。小鳥は操縦桿を右に倒して運命の輪のように回り続けた。反対側から5番機が横転しながら飛んでくる。そして小鳥と流星は50メートルの間隔で交差した。その速度はとても速く挨拶を交わす暇もない。少しでも機体の操縦を誤れば空中衝突しかねないが、小鳥は流星の呼吸を感じ、流星も小鳥の呼吸を感じていた。 会場上空約100メートルの低高度を、全機背面飛行の四機編隊が精密なダイヤモンド隊形を保ったまま飛んでいく。ブルーインパルスでしか見ることができない四機の背面飛行、第1区分15課目のフォー・シップ・インバート。会場を通過した2番機から4番機は背面のまま間隔を開き、四機同時にリカバリーのためのハーフ・ロールを実施した。マイナスGがかかる過酷な環境下において限られた時間内で隊形を完成させるには、極めて高度な技量と精神力が要求されるのだ。 横一列のアブレスト隊形を組んだ小鳥と流星は会場正面から進入して急上昇に移った。85度ピッチを確立、流星のコールで左右にブレイク。エレベータを引いてループ機動を継続する。マイナス30度ピッチで引き起こしのレートを緩め、二機は高度2500フィートで交差した。一方で二機が描き出したハートの左下から進入した4番機は、30度ピッチで7000フィートまで上昇を続けていた。途中でスモーク・オフ。ハートを愛の矢が貫いているように見せるためである。大空に巨大なハートが完成した。ラブ・アンド・ピース、皆で愛と平和の賛歌を歌おう。松島基地を訪れている恋人たちは寄り添い合って愛の言葉を囁き合っているに違いない。 『――随分と成長したもんだな』 キューピッドを描き終えた5番機と6番機を見守っていた石神は感慨深く呟き、卒業式で教え子を送り出す教師の心境を実感していた。今の自分がどんな顔をしているのか分からないが、最愛の娘を嫁に出す父親のような顔をしているに違いない。荒鷹の死と早見昶の死。辛い過去を乗り越えた小鳥と流星は大きく成長した。この二人にならば安心してブルーインパルスの未来を託せるだろう。 『ええ、そうね。……小鳥ちゃんも燕君も強くなったわ』 『流星は最高の相棒を見つけましたね。まったく羨ましいですよ。……ところで石神隊長、まさか引退を考えているんじゃないでしょうね』 石神は驚愕した。真由人に己の思考の内側を完璧に読まれたからである。酸素マスクの奥で石神は苦笑した。だがそれを誤魔化すための嘘をつく気はなかった。美しい空を灰色の嘘で空を汚したくなかったからだ。それに心に重いものを抱えたままでは青い空を自由に飛べないのだから。 『――俺もそろそろ年だからな。若い奴らに未来を託して引退するのが当たり前だろう? 明日すぐに引退するわけじゃない。お前たちにブルーインパルスの全てを叩きこんでから辞めるつもりさ』 石神の告白を聞いた里桜と真由人は黙したまま何も言わなかった。石神は涙に声を詰まらせた真由人と里桜が自分を引き留めようとする言葉は聞きたくなかった。聞いてしまったら最後、鋼の如き決心が揺らいでしまいそうだったからだ。 『……私も鷹瀬君も誰も何も言わないわ。だって貴方が決めたことだから』 『俺もです。石神隊長が言っていたように、俺たちは同じ空で繋がっています。これだけは忘れないでください』 里桜と真由人の言葉が涙腺を柔らかく解いていく。石神は不覚にも泣きそうになった。だが地上に戻るまでは飛行隊長としての威厳を保ちたい。石神は緩んでいた涙腺を引き締める。 『さあ、行くぞ! たまには俺たちも存在をアピールしないと、皆に忘れられてしまうからな! ライン・アブレスト・ロール、ゴーポジション!』 『スリー!』 石神が隊形を指示する。三機のもっとも後番の里桜が機番を送り指示確認の返信をした。 『レディー!』 里桜は編隊を見回して隊形が整ったことを報告した。 『ワン、スモーク・オン! ライン・アブレスト・ロール、レッツゴー!』 ライン・アブレスト・ロールは全課目の中で唯一アブレスト隊形で機動する課目である。三機のT‐4が運命の赤い糸で結ばれているように正確に隊形を維持しながら横転を行うのだ。1・2・3番機はアブレスト隊形で、会場正面のやや右方向から進入を開始した。エレベータ・アップ。30度ピッチを確立後、緩やかなレートで右ロールを打つ。1番機を真横に見ながら隊形を維持する真由人と里桜はふと思う。さながら石神は二人を正しい方向に導くジャイロコンパスのようだと。20秒のロールを終え500フィートでレベルオフ、三機は会場右手後方へ離脱する。会場正面の上空には折り重なったスモークによる美しく雄大なアーチが描かれていた。 300ノットまで増速した5番機が会場正面で80度バンクした。次いで5Gのハードな360度旋回が始まる。直径は900メートルの円を描くのに要する時間は約20秒。この間流星には6倍もの重力加速度がのしかかっている。重力は容赦なく肺腑を圧迫し呼吸をするのも困難だ。だが流星の精密機械の如き正確なコントロールは決して崩れない。ここから一気に高度3500フィートまでエレベータ・アップ。最後に宙返りを打ち5番機はスリー・シックスティ&ループを終えた。 一辺約230メートルの大きなデルタ隊形を組んだ五機のT‐4は会場後方から進入した。上空を通過後、石神のコールの合図と共に各機が隊形を維持したままループに入る。ここから徐々に間隔を詰め、より密集したデルタ隊形へと形を変化させていく。五条のスモークがバランスよく収束していく様子はとても美しい。上方に向かって収束する五条のスモークが遠近感をより一層強調し壮大なスケールを感じさせ、そしてまるで自分がループ機動の中にいるかのような一体感を味わえる課目。それがワイド・トゥ・デルタ・ループだ。 先程会場上空を通過した小鳥たちは5番機を加え、再びデルタ隊形で会場正面から進入を開始した。エレベータ・アップ、大きなバレル・ロール機動に入る。厳しい訓練で磨いた編隊飛行技術と集中力で隊形を保ちながらデルタ・ロールを終え、次は右手方向から進入してデルタ・ループに入った。その名が示すとおりデルタ隊形を維持したまま宙返りを行う課目である。六機の密集隊形によるループは、直前に行われたワイド・トゥ・デルタ・ループとは一味違った迫力感があるのだ。 エレベータを引いて上昇を開始。半円を描くように5500フィートまで昇っていく。隊形変換や目を見張るような特別な機動を実施するわけではない。六人のパイロットが心を一つにして、アクロの原点ともいえるループ機動に挑戦する姿に価値があるのだ。一糸乱れぬ見事なループで小鳥たちは青天に真昼の満月を描く。ループの頂点を越えて急降下してくる際の六機揃った背面姿はとても美しい。そしてT‐4の尾部から伸びる六条のスモークは、あたかも小鳥たちの強い絆を体現しているかのように一つに収束していた。 少し間隔を開いた小鳥たちは会場左前方から進入した。スモーク・オフと同時に360度の右ロールを打つ。六機全機がデルタ隊形を維持したまま一斉にロールを打つボントン・ロール。マナーにうるさい家庭教師も、これを見れば金色に輝く星の合格点をくれるだろう。ちなみに「Bon ton」とはフランス語で良いマナーという意味があり、フランス空軍のアクロバットチーム「パトルイユ・ド・フランス」発祥の課目だと言われているのだ。 編隊から離れ単独となった5番機が会場正面に回り込む。ミリタリーパワーで右手方向から突進して上昇に入る。背面姿勢で右にハーフ・ロール。二回目の上昇から一気に9000フィートまで翔け上っていく。頂点を通過して降下。水平に回復すると同時にハーフ・ロールを打ち再び背面降下に移る。1000フィートでレベルオフしてフィニッシュだ。連続する二回のインメルマン・ターンとスプリットSを実施することで、空に巨大な8の字を描くリードソロ課目バーティカル・キューバン・エイト。ダブル・インメルマンは本来ならF‐15やF‐2クラスの戦闘機にしかできない機動なのだが、T‐4はアフターバーナーを使用することなく実施できるのだ。T‐4の優れた機動性とパイロットの正確な操縦技術が融合して、初めて8の字が描かれるのかもしれない。 バーティカル・キューバン・エイトを見届けた小鳥たちは会場後方から進入した。会場正面で急上昇。五つの方向に散開しながら青空に大きな花を咲かせる。蒼茫たる天空に花を描いた各機は一斉にスプリットSを実施、会場上空に再度進入を開始した。石神のコールで15度の右旋回、次いでスモーク・オン。小鳥たちは互いのスモーク開始点を目指して真っ直ぐに飛行する。それぞれのスモーク開始点に到着した瞬間、上空に雄大かつ巨大な星が現れた。ブルーインパルスのオリジナル課目スター・クロス。キューピッドと並んで人気の高い課目である。 松島の空に描かれた巨大な星を熱い思いで見上げる者たちがいた。鷲尾1曹や彩芽たち第11飛行隊の整備員――ドルフィンキーパーだ。鷲尾1曹たちは精魂込めて整備してきたT‐4の晴れ姿を見て心の底から感動していた。例え空と地上に分かれていても、パイロットと整備員の心は青い絆で強く繋がっているのだ。なかでも彩芽は圭麻が乗る4番機の航跡を熱い眼差しで追いかけていた。そんな彩芽に鷲尾1曹が声をかける。 「鶴丸。お前もそろそろ鷹瀬を追いかけるのはやめて、朱鷺野に目を向けてやったらどうだ?」 「うっ――うっさいわ! 美人の奥さんがいるおっさんには関係ないやないか!」 顔を真っ赤に爆発させた彩芽をからかうように、他の整備員たちがにやけながら口笛を吹く。「若いとはいいものだな」と呟いた鷲尾1曹は再度真昼の星を見上げた。些か不愉快に思いながら彩芽も空の星を仰ぎ見る。鷲尾1曹に言われなくともそれは自分自身がいちばんよく分かっていたからだ。2年前から憧れていた真由人が小鳥に淡い恋心を抱いていたことも、そして自分が圭麻を一人の男性として意識していたことも――。 「……圭麻。T‐4に乗ってる時のあんたは、誰よりも一番カッコええよ」 鷲尾1曹たちに聞こえないことを願いながら、彩芽は遥か上空を翔ける4番機に向けて呟いた。 ◆◇ スター・クロスを終えて編隊から離脱した小鳥は流星と合流してアブレスト隊形で飛んでいた。 『……もうすぐ航空祭も終わりですね』 『……そうだな。でもまだ終わっていないぞ。最後まで気を抜くな』 『はい。あの、燕さん』 『なんだ?』 『航空祭が終わったらお話したいことがあるんです。……聞いてくれますか?』 『――分かった。位置に着け、ハミングバード。ファイブ、スモーク・オン。タック・クロス、レッツゴー』 『ラジャー!』 二機は同時に右へハーフ・ロールを打った。流星のコールで左右に250度のロールで互いに交差する。交差後は直ちに上昇。それぞれ二回転半のロールを打つ。背面姿勢で降下に移るハーフ・キューバン機動で再び会場の両方向から進入、互いにハーフ・ロールを打ち背面姿勢のまますれ違う。青い閃光を帯びた稲妻の如き機動は観客たちの視線を熱く射抜いた。スリリングな交差の瞬間を二回も堪能できるタック・クロスは、まさにデュアルソロの真骨頂とも言える課目だと言えるだろう。 斜め一列のレフト・エシュロン隊形を組んだ石神たちが左手後方から姿を見せた。四機編隊最後の課目ローリング・コンバット・ピッチが始まるのだ。この課目はブルーインパルスが創設されて以来、脈々と部隊に受け継がれている伝統の課目である。四機は緩やかな上昇に移行した後、1番機から順番に右へ約290度のロールを打ち編隊を解散する。四本の純白の半円が石神・里桜・真由人・圭麻の航跡を空に刻んでいた。解散した四機は着陸するためのダウンウインド・レグに向け、各機が等しくセパレーションを取りながら180度の旋回で縦一列に並ぶ。F‐86Fの時代から連綿と継承されてきたブルーインパルスの技で、編隊課目の最後は華麗に締めくくられたのだった。 『ファイブ、スモーク・オン。コーク・スクリュー、レッツゴー』 『ラジャー!』 小鳥と流星は会場正面から進入を開始した。 コールを届けた5番機がハーフ・ロールで背面になる。 小鳥は操縦桿を倒し、5番機の周りをバレル・ロールで回った。 呼吸を一つに、思いを一つに、心を一つに。 宇宙を旅する人工衛星のように小鳥は流星の周りを踊る。 このままずっと踊っていたい、流星と空を飛び続けたい。――でも流星に伝えたい強い思いが胸の中にある。それを伝えるには空を離れて地上に戻らなければいけない。空は逃げない。目の前から消えたりしない。小鳥が歩く道の先にはいつも空が待っているのだから。 『スワローテイル。ブレイク・レディ、ナウ!』 小鳥のブレイクコールで左に250度のロールを打った5番機がブレイクする。小鳥もそれに追従するようにブレイクしたが、なぜか5番機はダウンウインド・レグには向かわずに上昇旋回を始めた。小鳥は慌てて無線を繋ぎ流星に呼びかけた。 『燕さん? どこに行くんですか? 方向が違いますよ!』 『いいから黙ってついてこい。石神隊長の指示だ』 ブルーインパルスの支配者である石神の命令は絶対だ。機首を翻した小鳥は高度を上げて流星の後を追いかけた。地上でブルーインパルスの帰還を首を長くして待っている観客たちは、今頃は巣を荒らされた蜂のように騒いでいるに違いない。高度5000フィート上空で待機している石神たちと合流する。まったく飛行隊長とあろう者がいったい何を考えているのだ。苦言を呈すべく小鳥は開口した。 『石神隊長! いったいどういうつもりですか? 早く着陸しないと堂上空将補に怒鳴られて嫌味を言われますよ?』 『心配しなくていいぞ。許可はちゃんと取ってあるからな』 『許可って……いったいなんの許可ですか?』 不思議に思った小鳥が石神に問いかけたその直後、地上のナレーター席でアナウンスをしている隊員の声が無線を走り耳朶に流れてきた。 『皆様、お楽しみいただけましたでしょうか。本日は航空自衛隊の持つ飛行技術の一部をご覧いただきました。演技を終えた六機は、皆様が待つ駐機場まで帰ってまいりますが、ブルーインパルス活動再開記念と、ブルーインパルスを支えてくださった皆様に感謝しまして、今回は特別に『サクラ』を披露したいと思います』 「サクラ」は2004年に誕生した新しい演技課目。主に第3・4区分で実施される六機編隊課目だ。雲の状況により課目の上限高度が抑えられ、シーリングの高さに応じて段階的に区分が下げられないかぎり、第1区分で実施されることはまずない。それなのにいったいどうして? 突然のサプライズに小鳥は驚きを隠せずにいた。 『荒鷹さんが飛んでいた松島基地航空祭で『サクラ』を描きたい。それがお前の夢だったな』 『そうですけれど……それといったいなんの関係があるんですか?』 『夕城。これは流星が思いついたんだよ』 『真由人!? おい! 馬鹿野郎! 余計なことを言うんじゃねぇよ!』 『お前がさっさと言わないからだ』 真由人に秘密を暴露された流星は激しく動揺していた。ややあって落ち着きを取り戻した流星は言葉を継いだ。 『夕城、お前はオレに空を飛ぶ素晴らしさを思い出させてくれた。空から逃げるなと教えてくれた。そして過去の呪縛から解き放ってくれた。これはオレができる最大限の感謝の気持ちだ。……受け取ってくれるか?』 漆黒のバイザーに覆われた蜂蜜色の双眸を涙で潤ませながら小鳥は何度も首肯した。入間基地で何気なく語った小鳥の夢を、流星は記憶から消し去らずに覚えていてくれた。そして流星はその夢を実現してくれた。流星の想いの強さに喉を押し潰されたせいで声が出せず、小鳥は泣きながら頷くことしかできなかった。 『馬鹿、泣くんじゃねぇよ。最後まで気を抜くなって言っただろうが』 『――はい!』 1番機を先頭に4番機を中心としたワイドな正五角形の隊形を組んだ小鳥たちは、会場右手方向から進入した。石神のコールを合図に速度250ノットで左へ360度の水平旋回を行う。会場から見て美しく重なるように、基準高度を維持する1・4・6番機に対して2番機がマイナス200フィート、3番機がプラス200フィート、そして5番機がマイナス300フィートで旋回する。六条の白煙が直径約500メートルの花弁を空に描いていく。そして松島基地の上空には2年前と同じ「サクラ」が咲き誇っていた。サクラを描いた瞬間、小鳥は松島の空に荒鷹の存在を感じ取っていた。それが幻影だと分かっていたが、確かに小鳥は己が目で見て心で感じたのだ。そしてT‐4に乗った荒鷹の幻影は、小鳥に向けて翼を振ると蒼穹の高みに昇っていった。 (……皆と私を繋いでくれてありがとう。私はずっと、父さんと同じ空を飛び続けるから――) 空に荒鷹の魂が溶けていく。 成層圏を貫き、宇宙の渚を上昇して、星と宇宙の海に還っていく。 でも寂しさも悲しさも感じない。 小鳥たちは同じ空で繋がっているのだから――。 ◆◇ 約35分間の第1区分展示飛行を終えた六機のT‐4は松島基地のランウェイに着陸した。誘導路上で再度隊形を整え、整備員や観客たちが待つエプロン地区までタキシングする。地上滑走中でもブルーインパルスは最後までその編隊を崩すことは許されない。空中でも地上でも常に編隊精神という強い絆で結ばれているからである。コクピットから地上に降り立った小鳥たちを万雷の拍手喝采とファンファーレが包み込む。天高く投げられた帽子が宙を舞い、カメラのスポットライトが小鳥たちを照らす。まるでハリウッドスターになった気分だ。ウォークバックで石神たちと合流した小鳥は鷲尾1曹や彩芽たち列線整備員の手荒い歓迎を受けた。頬を抓られ乱暴に肩を叩かれてもその痛みは全く気にならない。パイロットと整備員の間に存在する強い信頼関係を、改めて認識できるからだ。 手を振り観客の声援と握手に応えながら小鳥は流星の姿を捜した。だが流星は見つからない。白い兎に導かれたアリスのように、流星は忽然と姿を消していたのだ。悲嘆に暮れた小鳥は肩を落とす。地上に戻ったら話を聞いてくれると約束したのに、勝手にいなくなるなんて酷いじゃないか――。悲しみに潰された小鳥の肩を誰かが叩く。小鳥が振り返った先には清々しい表情をした石神たちがいた。 「どうしたんだ? 最高の展示飛行を終えたってのに、えらく元気がないじゃないか。もしかして……燕を捜しているのか?」 肩を落としたまま小鳥は頷いた。 「……はい。でも、どこにもいなくて――」 「燕さんなら見ましたけれど――」 圭麻の言葉に小鳥は顔を上げた。見れば圭麻は流星の物と思しきスカーフと識別帽を持っている。 「航空自衛隊の制服を着た男の人と一緒に、ハンガーのほうへ歩いて行ったのを少し前に見ましたよ」 胸が逸る。小鳥の両足は今にも地面を蹴って走り出しそうだ。小鳥は石神を仰ぎ見る。すると石神は「分かっているぞ」と頷き、精悍な顔に莞爾とした笑みを浮かべたのだった。 「俺たちはオペレーションルームで待っているから早く行って来い。全員が揃わないとデブリーフィングはできんからな」 明るい栗色の髪を揺らして一礼した小鳥はハンガーを目指し一陣の風の如く疾走した。青い屋根を被るアーチ状のハンガーが視界前方に飛び込んでくる。ハンガーの前には誰もいない。小鳥は乱れる呼吸を整えながら室内を覗き込む。眩い白光の真下に流星は立っていた。圭麻が目撃した男性と向かい合わせになり、なんらかの会話を交わしている様子だ。小鳥の記憶は男性を覚えていた。彼は燕飛龍航空幕僚長――流星の父親だ。早見昶が墜落死した事故を絶大な権力で揉み消し、F転を通告されパイロットの資格を罷免された流星の処分を取り消して、彼が再び空に戻れるように取り計らった人物。だが流星に憎まれているはずの飛龍が、いったい彼になんの用があるのだろうか? 悪いとは思いつつ小鳥は身を屈めて二人の会話を聞くことにした。 「素晴らしい展示飛行だった」 「……それはどうも」 流星の声と表情は炭酸が含まれていないコーラのように素っ気なかった。 「航空幕僚長自らがお出でになるなんて、いったい今度は何を企んでいるんですか?」 「保留中の返事を聞きにきた」 「……返事? なんのことか分かりませんが」 「約束を忘れたわけではあるまい。私はお前と取引をしたはずだ。今日の展示飛行で『サクラ』を実施する許可を与える代わりに、お前はブルーインパルスを辞めて第306飛行隊に戻ると約束しただろう」 あまりにも衝撃的すぎる言葉に驚愕した小鳥は危うく叫びそうになった。小鳥の夢を実現させるために、流星は自らの未来を代償に差し出したのか――。小鳥は喉元まで出かかった悲鳴を苦労して飲み下し、再び二人の会話に耳朶を傾ける。幸い流星も飛龍も小鳥の存在にまだ気がついていないようだ。 「お前は生まれながらのファイターパイロット――イーグルドライバーだと私は思っている。それにお前もいつまでもブルーインパルスに留まってはいたくないはずだ。お前の優れた操縦技術は民衆を喜ばせるために与えられたのではない。我が国の空を守るために与えられたのだ」 甘く苦い飛龍のバリトンの声が止むと、ハンガーは鼓膜の奥を突き刺すような深い静寂に包まれた。一言でも声を発すれば瞬く間に世界が壊れそうな気がする。微かに空気が揺れた。言葉を紡ぐために流星が息を吸い込んだのだ。 「オレは――」 「待ってください!」 情動に背中を蹴飛ばされた小鳥はハンガーに駆け込み、流星と飛龍の間にその身を滑り込ませた。突然の闖入者に燕親子は揃って瞠目している。 「お願いします! ブルーインパルスから――私たちから大切な人を奪わないでください! 翼を奪わないでください! 燕さんがいないと私たちブルーインパルスは空を飛べないんです! 私は燕さんと空を飛びたいんです! お願いします! 燕さんを連れて行かないでください!」 流星を失いたくない強い思いは言葉となって小鳥の口から放たれた。飛龍に向けて限界まで頭を下げた小鳥は必死に懇願する。ややあって名前を呼ばれて肩に手が置かれた。掌に宿る体温で分かる。これは流星の手だ。首を伸ばして顔を上げると穏やかな面持ちの流星と視線が絡み合った。小鳥から視線を外した流星が飛龍を見つめた。果たして流星はどちらが望んでいる答えを言うのだろうか。 「オレはまだブルーインパルスを離れるつもりはありません。ブルーインパルスの皆と空を飛び続けたいんだ。今のオレはイーグルドライバーじゃない、ドルフィンライダーなんです」 流星が出した答えは小鳥が望んでいた答えであり、飛龍が思い描いていた未来とは反する答えだった。飛龍の厳格な顔はダヴィデ彫像のように静謐だ。そして長く重い息が飛龍の口から静かに吐き出された。 「――お前は笑っていたな」 「オレが笑っていた……?」 「展示飛行を終えて地上に戻った時、コクピットから姿を見せたお前は、眩しいほどの笑顔を浮かべていた。それは父親である私が見たことがない笑顔だった。ブルーインパルスで飛び、心から信頼できる仲間がいるからこそ、お前はあのように笑えるのだと私は気づかされたよ。……お前の選んだ道だ。私に口出しする権利はないだろう。思う存分ブルーインパルスで飛びなさい」 ハンガーから立ち去る前に飛龍は足を止めて肩越しに振り向いた。 「流星」 「なんでしょう」 「……お前はまだ私を憎んでいるのか?」 流星はゆっくりと切れ長の双眸を伏せ、正義の女神が掲げる天秤の上で激しく揺れている己が感情と向き合った。 飛龍は真実を闇の中に葬り、昶を失った弥生の心を更に傷つけた。 絶大なる権力を最大限に利用して流星を再び飛べるようにした。 暗い闇を孕んだ負の感情が流星の心を覆い始める。 すぐ側に佇む小鳥の存在を感じると、負の感情は波のように引いていく。 感情の波が引いた後に残ったのは――凪いだ海のように静かなる感情だった。 「……憎んでいた、恨んでいた。あんたがしたことは、そう簡単に許せることじゃない。でも、過去に囚われたままでは未来に進めない。時間はかかると思うけれど、オレはあんたを――父さんを許そうと思う」 小鳥と流星に背中を向けている飛龍の逞しい双肩は震えていた。飛龍は泣いている。そして獅子の如く誇り高いプライドが、二人に情けない泣き顔を見せるなと命令しているのだ。振り返った飛龍は見事に涙の痕跡を消していた。二人と敬礼を交わした飛龍は静かにハンガーから出て行った。ややあって流星のほうを振り向いた小鳥は両方の眦を吊り上げて彼を見据えた。 「酷いじゃないですか!」 「……何がだよ」 「航空幕僚長とあんな約束をしていたなんて、どうして私に言ってくれなかったんですか!? それを知らずに私は夢が叶ったって、一人で浮かれて喜んで馬鹿みたいじゃないですか! 燕さんの未来と引き換えに叶えられた夢なんて全然嬉しくないです! それにあと少しで燕さんを失うところだった――!」 小鳥の涙腺は遂に爆発した。涙の海に溺れた小鳥の視界が捉えたのは困惑した表情を浮かべた流星だった。そういえば小鳥を泣かせたのはこれで何回目だろうと流星は思っていた。どちらかと言えば小鳥は泣き虫な種類に入ると思うのだが、彼女が流した涙の原因の大半は自分のせいだったような気がするのだ。 「……悪かった」 だから流星はそれだけしか言えなかった。小鳥は何度も首を振って泣き続ける。小鳥が首を振るたびに、朝露のように透明な雫が宙を飛んだ。小鳥の涙を消し去る魔法の言葉も思いつかず、どんな態度で接したらいいのか流星は分からなかった。何度も何度も躊躇した挙句、流星は小鳥を引き寄せるとその華奢な身体を胸に抱き締めた。小鳥は流星の背中に両腕を絡ませ彼の胸に顔を埋めて泣き続ける。不意に涙で湿った頬に手が添えられ、小鳥は強引に顔を上げさせられた。気づけば流星の端正な顔が眼前にあった。突然と唇に柔らかい感触が落ちてきた。温かく湿った柔らかいものは上唇を優しく噛むように挟みこみ次は下唇を覆われる。いったい何が起こったのか分からないまま小鳥はその感触を受け留めていた。 ――自分は流星に唇を重ねられているのだ。ややあって小鳥は理解に至る。そして衝撃的ともいえる事態を認識できた瞬間、激しい混乱が小鳥の思考を掻き乱した。音を奏でながら何度も繰り返される流星の口づけは、小鳥の心と身体を甘く優しく解していく。一瞬のような永遠のような不思議な時間は過ぎ去り、やがて深く重ねられていた流星の唇はゆっくりと離れていった。深く甘い口づけから解放された小鳥は、息を乱しながら熱っぽく潤んだ瞳で流星を見上げた。 「燕……さん……その、今のって、キス、ですよね――?」 「……ああ、そうだよ。それがどうした」 「それがどうしたって、キッ、キスって、好きな女の子にするものですよ!? それなのにどうして私にキスしたんですか!?」 「――好きだからだよ!」 「ふぇっ!?」 奇怪な声を奏でた小鳥は流星を仰ぎ見る。視線の先にいる流星は決然と表情を引き締めていた。あたかも天上の姫君と向き合う高潔な騎士のように。 「オレはお前のことが好きだ、大好きなんだよ。強引にキスしたのは……悪かったと思っているさ。オレはこの想いを止められなかった、抑えられなかったんだ。初めはお前が鬱陶しかった。でも、いつの間にか純粋で真っ直ぐで、ブルーインパルスと空を心から愛するお前に惹かれていた、仲間以上の存在としてお前を意識するようになっていたんだ。お前に快く思われていないのはよく分かっている。覚悟はできている。ここでお前の返事を聞かせてくれ」 「返事を言う前に……私が話したかったことを聞いてくれますか?」 流星は短く首肯した。深呼吸を一回、小鳥は言葉を紡いだ。 「私も……燕さんが好きです、大好きです。燕さんの心の翼になって、貴方と一緒に日本の空を飛びたい。これが貴方に話したかったこと、そして今の返事です」 小鳥が言い終えると緊張で強張っていた流星の顔は解れていった。小鳥も流星と同じ思いを抱いていた。小鳥も初めは流星が好きではなかった。ブルーインパルスの一員だとはとても思えない振る舞いに嫌悪感さえ抱いていた。だが飛行訓練を重ね生活を共にしているうちに、小鳥は流星の本質を見るようになっていた。そしていつの間にか小鳥は流星を「異性」として意識するようになっていたのだ。小松基地での一件で一度はその想いは揺らぎかけた。しかし心に受けた衝撃の大きさが流星に抱く想いが強いものだと小鳥は知り、この想いが彼への「愛」だと気づいたのだった。 小鳥と流星が互いに抱いていた素直な想いを伝え合ったその瞬間、拍手や指笛が渾然一体となった歓声が背後で爆発した。突如として爆発した大音量に驚き、見つめ合っていた小鳥と流星は出入り口のほうを見やる。なんといつの間にかハンガーの前に黒山の人だかりができあがっており、総括班や整備員などの総勢40名を超える第11飛行隊の隊員が勢揃いしていたのだ。その大観衆の中心にいるのは石神たちだった。 「石神隊長!? それに鷹瀬さんたちまで! まさかずっと覗き見していたんですか!?」 里桜と真由人と圭麻に背中を押された石神が、困ったように頭部を掻きながら一歩を踏み出し進み出た。彼らを代表して檀上に立ち弁明のスピーチをするようだ。 「いや、その、ずっとじゃないぞ。いつまで待っても夕城と燕が戻って来ないから、心配だから迎えにいこうって話になってな。ハンガーに向かう途中で燕航空幕僚長と会って、二人はまだハンガーにいるって聞いて――」 「小鳥ちゃんは泣いているし、燕君は困っていて声をかけづらい雰囲気だったから、声をかけるタイミングを待っていたの。そうしたらいきなり燕君が小鳥ちゃんにキスしたんだもの。驚いちゃったわ」 「ここまで親密な関係になっていたなんて、思ってもみなかったな」 「燕小鳥さん、か。良い響きですね」 小鳥と流星をからかう言葉の雨が二人の耳朶に降り注ぐ。言葉の雨に打たれた小鳥の頬は真っ赤に染まり、流星も頬を掻きながら居心地悪そうにしている。石神の咳払いを合図に三人は口を閉じた。軽薄な表情から一転して真摯な面持ちになった石神が、真っ直ぐに流星を見つめた。 「ブルーインパルスに残ってくれたことは感謝する。だがお前はそれでよかったのか?」 「はい、後悔はしていません。オレはドルフィンライダーとして日本の空を飛びたいんです。石神隊長、真由人、雪村さん、圭麻、ブルーインパルスの皆と一緒に空を飛びたい。これがオレの見つけた、自分が飛びたいと思う空です」 石神に自らの思いを伝えた流星は小鳥のほうに向き直ると、強い決意の光を湛えた双眸で彼女を見つめた。 「夕城……いや、小鳥。オレと一緒に飛んでくれるか?」 まるでプロポーズのような言葉に驚き小鳥は限界まで瞠目した。溢れんばかりの喜びで心が震えているのが手に取るように分かる。 「私で……私みたいなパイロットでいいんですか……?」 「馬鹿、お前以外に誰がいるんだよ。オレは小鳥と一緒に日本の空を飛びたい。……小鳥にオレの心の翼になってほしいんだ」 「――はい! もちろんです!」 笑顔の花を咲き誇らせた小鳥は流星に抱きついた。そして素早く背伸びをした小鳥は、先程のお返しだと言わんばかりに流星の頬へ軽い口づけを落とす。不意打ちを食らって目を白黒させる流星を見た小鳥たちが一斉に笑うと、笑い声に同調するかの如く再び歓声が爆発した。なかなか収束しない歓声を裂くように、石神が声を張り上げて叫んだ。 「仕事が済んだら『あおい』に集合だ! ただし最後まで気を抜くんじゃないぞ! 俺たちの展示飛行はまだ終わってはいないんだからな!」 朗々たる石神の号令を合図に第11飛行隊の面々は駆け足で各々の持ち場へと走って行った。小鳥の隣に流星が立ち二人の手は自然と強く固く結ばれる。石神・真由人・里桜・圭麻が二人の背中を叩き、笑いながら駆けて行く。蜂蜜色と灰色の視線を交わした小鳥と流星は輝く満面の笑顔を同時に浮かべた。 「行くぞ! 小鳥!」 「はい!」 小鳥たちの展示飛行はまだ終わっていない。そして航空自衛隊の仲間たちが空の美しさを守るべく、日々厳しい訓練を積み重ね、人類の幸福と世界平和を願っているのだ。CHALLENGE FOR THE CREATION――「創造への挑戦」を合言葉を胸に刻み、小鳥たち第11飛行隊ブルーインパルスはT‐4に乗り、心の翼を広げて日本の空を飛び続けるだろう。その青空の彼方に輝かしい未来があると信じて。 |