最初から簡単に倒せる相手だとは思っていなかった。相手は悪魔だ。
 ロボトニック伯爵が言っていた。彼が子供のころからメフィレスは貴族の中に紛れ込み、怪しい力を使って飼われている。そして、次第にメフィレスの力に依存するのだ。
 亡くなった皇弟も、おそらく。
 生まれ変わるための器を欲しているのなら、今の体は限界に近いのだ。

 ソニックは冬咲きのバラ園の隅に闇がわだかまっているのを見つけた。
 上手く背後を取ることができれば、楽しそうに過ごしているご子息様と皇女様に気付かれずにダメージを与えられる。

 後事をシャドウに託して、ドレスの裾を翻しつつ柱を伝い降りると、垣根にまぎれて移動する。
 …探すまでもない。真っ黒な法曹衣で頭から身を隠した姿は、一度見たことがある。
 ソニックは駆ける勢いのまま、黒い人影に体当たりする。すぐに体制を立て直すと、相手は5mほど吹っ飛んだ先で地を這っていた。

「久しぶりだな、メフィレス。万聖節の前夜に幽霊と悪魔が再会だぜ?」
「キミは…フフ、今度は白いハリネズミの彼を守るために現れた、というワケかい?」

 フードの隙間から顔がこちらに向いた。瞳が見える。青碧。
 怖気で全身の針が逆立つ。
 立ち上がりかけたその頭部をめがけて、強く蹴りを入れた。
 腐った木が砕けるような感覚。
 その身をかばおうと上がる腕を素早く捕らえねじり上げると、やはりミシミシと音を立て、ソニックの手の中でバキリと折れる。

「なんだ、ボロボロじゃないか。このまま全身砕いてやるよ」
「お転婆な姫君。ボクの子供を産むために帰ってきたんだね」
「What!?」

 ソニックの手の中で、掴んでいたものがするりと消える、いや、感覚が無くなったのだ。抜け殻になった服を握りしめると、かすかに細い何かが。
 しゅるしゅると足に何かが巻き付いた。ちくりと肌をさす痛み。見動きする間もなく、垣根から延びたバラのツルがソニックの身体を締め付けてゆく。
 まだ動く腕で必死に抵抗し、メフィレスの顔を掴むことに成功した。
 顔面は柔らかな皮膚ではなく、硬い仮面のようだった。握りつぶそうと力を込めると頭を覆っていたフードが落ちる。
 そこに見た顔は、瞳の色、トゲに差す色が違うだけで、シャドウに似すぎていた。
 驚愕のあまり叫びそうになったが、首にまで巻き付いたツルがソニックの声を潰す。

「な、ぜ!?」
「さあ、キミの身体を調べてあげるよ」

 メフィレスは崩れた腕の先をソニックに見せた。指先程の太さのツル枝に、大きなバラの蕾が付いている。
 逃げようともがけば、手足の締め付けはさらにきつくなる。メフィレスの仮面の顔には表情が一切浮かんでいないのに、愉しそうに哂っているのがのがわかる。ソニックの恐怖を悦んでいるのだとわかる。
 丸い蕾がドレスの胸元、フリルの隙間から肌を滑り降りてゆく。
 小さなトゲが皮膚に引っかき傷を作る。流れる血を吸われる感覚と、毒を受けて痺れるような快感が溢れてくる。

「いっ!! は…あ、ん…、あつ…い」
「ほう。いやらしい身体だな。それに、もう処女ではない」
「…んっ、うっく…」

 ツルが伸び、蕾が足の間に入ってゆく。
 恐ろしくおぞましく、今すぐ殺してやりたいと思うのに、表面をなぞられるだけで蜜が満ちる。それを身にまとった蕾がぬるりと中に体内に入ってきた。入り口近くから最奥まで何度も行き来し、首を振って襞を掻きまわされる。
 次第にぐちゅぐちゅと激しい水音が立ち、暴れ、跳ねまわる蕾が少しずつ膨らんできた。
 縛り付けられたまま、ソニックはメフィレスを睨みつけた。視線だけが抵抗している。

「ボクが本当に欲しかったモノ、ソレを無くした絶望を癒してくれるかい?」
「オマエの、欲しがったものを、取り上げたっ…マリアを殺したのは、オマ、エだっ」
「フフ… あの女もキミの様に犯したかったのだけどね。ああ、キミの中は温かい…チカラが甦るよ。キミを虜にしたのは一体どんな男なんだい?」
「ああっ、い、いやああああっ!!!」

 ソニックの中でグルグルと回転した蕾が、急に質量を大きく増した。
 最奥で弾けた物体が、重みで滑り降り、ソニックの足を伝って外にボトリと落ちた。
 ゆらりと揺れる視界、いきなりツル茎の拘束を解かれ、煉瓦敷きの地に崩れ落ちた。
 メフィレスは何事もなかったようにそこに立っている。さっきソニックが握りつぶした腕には、黒い霧のようなものが集まり、元通りの腕の形を作り出した。
 この目で見なければ信じがたい、悪魔の所業。
 カツカツと高い靴音が近づいてくる。バラ園の、一番近い場所にいた者。

「誰かいるのか!? …ってソニック!? なんでこんなところに」
「シル…ッ…」
「これはこれは、先日もお会いしましたね」
「アンタはっ!? コイツに何をした!」

 慌てて駆け寄ったご子息様に支えられるソニックの身体は、湿り気を帯び冷たくなっていた。
 さらに駆けつけてきた足音を聞き、ソニックは仮面の端についている羽根飾りをぐっと引き抜いた。
 緋色の瞳を燃えあがらせたシャドウが、二人を守るように間に入り、わだかまる闇と対峙する。凍りつくような冷気と、烈火のごとき怒りと。
 メフィレスからは感嘆の声が上がったが、シャドウは質の悪い鏡に己を映したような相手に、それを認識するだけしか関心を示さない。

「フフ…ハハハハ! キミたちのうちどれか一つを頂く…選ぶのは難しいな」
「失礼ながら、わたくしどもは欠けることなく屋敷へ戻れと、伯爵さまから厳命されております」

 そう丁寧に言い終えると、シャドウは闇に向かい鋭く蹴りを入れた。次いで肘を回して拳で突く。いずれも空を切った。先程のソニックの不意打ちよりも素早かったのに、あっさりとかわされる。
 間合いが空いた。
 メフィレスが何事もなかったかのように、バラ園の垣根に姿を消す。
 まるで、悪夢を見ていたようだった。
 そこにブーン、と蜂が飛ぶような音が聞こえたかと思うと、あっという間に大きく近づき、すべての声をかき消した。
 空から巨大な綿のようなものが、夜空を見上げたご子息様とソニック、そしてシャドウめがけて落ちてきて、3人を包むと空へ飛んで行く。
 バラ園には轟音を追ってたくさんの人が流れ込んできた。
 珍しい飛行機をひと目でも見ようと。

「これは…」

 何者かが争った形跡の場所へ、一足遅れて到着した皇女が見つけたものは、薄紫色の、大輪のバラの花。
 甘酸っぱい芳香に、とろりと艶めかしい水分が皇女の指を濡らした。







 3人のハリネズミたちは、赤い複葉機にミノムシのごとくぶら下がって運ばれている。

「うわーっ! なんだよコレは!?」
「ご無事で何よりです、ご子息さま! 伯爵の命でお迎えにまいりましたあ!」
「テイルス! 蜘蛛の糸をメイドに集めさせて研究してたのは、このためだったのか」
「最初はトリモチで回収しようと思ってたんだけど、顔にくっつくと呼吸困難で死んじゃうでしょう?」
「綿状で痛くはないが、ベタベタするのが不快だ」
「酢水で溶けるから、お屋敷まで我慢してね。すぐに着くよ!」

 ソニックの隣にはシャドウがいて、ご子息様がいて、すぐ上には楽しそうなテイルス。
 眼下に見えるのは、月明かりに照らされた高原。遠くに見えた家明りが、お屋敷の形を作っているのが解る。
 帰ってきた、ソニックの頬が安堵に緩む。

「ソニック、明日はメイド仕事だからな。寝坊しないように」
「んなっ! こっちのセリフだぜ! あーあ、執事頭が寝坊してくれたら他のメイドが気楽なんだよなあ」
「オレは寝坊してもいいんだよな?」
「起こして差し上げますよ」
「オレも起こしてやるよ!」

 ギャアギャアと騒がしい。
 楽しく明日の話をするのは、今日の不安を忘れる為。
 解っていても止めることができないくらい、今までの日常が恋しかった。

「みんなーっ! 衝撃に備えて!」

 テイルスが叫んで、ぐん、と飛行機の高度が下がった。
 芝生の庭に張られた柔らかなネットが、飛行機から切り落とされた綿の塊を捕らえる。
 3人のハリネズミの楽しそうな悲鳴が、夜の高原にこだました。















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メフィさん、チェックしただけなんですよw



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