めーめーさんとよるのやみ
馬車を降りた時、一番面喰らっていたのは、ご子息様だった。
万聖節の祝いも兼ねていると聞いていたが、仮面である程度顔が隠れているとはいえ、遊び好きの貴族が使用人の服装で給仕をしていたり、名の知れた歌手が招かれているのもわかる。
シャドウは周囲の空気を読んで貴公子然と振舞うし、ソニックに到っては知った場所のように広いホールを横切ってゆく。
「ちょっと待てよ! こんなに人が多いのに、どうやって招待主を見つけりゃいいんだ」
「こっちこっち! ひとつ上の階にもホールがしつらえてあるんだ。貴族は上にいる」
とはいえ、身分の別が決まっているわけでもないので、ホールをつなぐ正面階段には人がいっぱいだ。ソニックは最初から部屋の隅にあるらせん階段を目指し、そこから簡単に2階へ上がった。
階下のホールより趣味のよい空間には、談笑を楽しんでいる人の方が多い。
「このあたりにいれば、相手がシルバーを見つけてくれるさ。お前目立つし」
「目立つって…仮面付けてんだぜ? どうやって」
「わかるよ、なあシャドウ」
同意を求められたシャドウも、満足そうな笑みを湛えて頷いた。
ご子息様はアッシュグレイの燕尾を着こなしていて、うわついた印象が薄い。夜にもまぶしい部屋明りは、その背に流れる白銀のトゲをより美しく見せている。
ざっと、ホールを見渡しても、一番の貴公子に見える。無礼講の雰囲気が漂う中、一夜限りのお相手から今後も、と注目されること間違いなしだ。
それでも、尻込みをしてしまうご子息様に、ソニックは「しょうがないな」と苦笑してその手を取った。シャドウに目配せをしてから、軽やかな三拍子が流れるホールの中央へ進んでいく。
「アンタが踊ってくれるのか?」
「ホントは男性が誘うモンなんだぜ」
「オレ、こんなところでダンスなんて、やったことないよ」
「大丈夫だって!練習の時、完璧だったじゃないか」
すっと周囲の踊りの輪が崩れて空白ができた。その隙にソニックはご子息様と向かい合うと、緩くステップを踏む。もたつくことなくタイミングを合わせて動き出すご子息様は、やはり人目を引く存在だ。
ソニックはカーマインレッドの薄布をベールの様に頭から被り、ふわふわと揺らす。小さく動けば必然的にご子息様が大きく動くことになり、ご子息様のリードがとても上手に見える。
ふたりで踊ることが楽しくなった頃、ソニックのターンが隣のカップルと接触しそうになり、ご子息様は思わずソニックの手を引いて抱き寄せた。
「わあっ! ちょっとシルバー!?」
「今、大丈夫だったか? 怪我してないか?」
「平気。Thanks...もう、放してもいいぞ?」
「あ、ごめん」
ぱっと離れた二人の距離に、興味深げな視線が周囲から差し込んでくる。ソニックがニッコリ笑って、
「さっき言ったこと、忘れるなよ!」
そう言うと、ご子息様をホールに置いて、さっと壁際まで身を引いた。シャドウを探せば、もうひとつ上のテラスでご子息様の様子を眺めている。
階段を上がりながらホールを振り返れば、ご子息様が小花柄のドレスのレディと踊りだすのが見えた。
ちゃんと自分から誘えたのだろうか。
「どうだった?」
ホールを見つめる漆黒の燕尾の隣まで来て声をかける。
「最後に、キミが他の人に当たりそうになったのは、演技だろう?」
「あれ? なんでバレた?」
「シルバー様を良く見せる為に、だな。もくろみは成功している」
ホールで、楽しそうに一曲踊り終えたご子息様は、視線を泳がせて次のお相手を見つけ、また踊りだしている。この様子なら、招待主である皇女に見つかるのも時間の問題だ。
「…嫉妬していた」
シャドウのつぶやきが、最初にソニックが質問したことの答えだと気付くのに間があった。
ソニックがぴたりと寄り添うと、その肩をシャドウが抱く。
「ここで踊る? 相手してやるよ」
「キミの足を踏んでしまいそうだ。それよりも」
仮面越しにキスを、それも次第に深く。
濃密な空気に気付いた他のカップルが、窓越しのカーテンに沈むのがちらりと見えた。
目下のホールでさわさわと人が動く。
ヴァイオレット・ローズ、そう呼ばれる姫君が現れたのだ。上手く取り入りたい連中が群がる。
次々と差し出される手を払いのけ、談笑の輪からアラビアンナイトの王子を引っ張りだすと、ホールへ連れ出し踊りに加わっていく。
「あれは、エキドゥナの?」
「うん、ナックルズだな。ねえ……ブレイズ様に振り回されてる」
ソニックの口調はとても穏やかだった。視線はエキドゥナのご子息と姫君から離れない。
「キミは、ここに来たことがあるんだな?」
シャドウの問いに、かすかにソニックは首を縦に振る。
貴族の遊びに長けている。踊っているときはとても楽しそうだった。
なのに、頭から布を被り、青く美しいトゲを隠し、決して仮面を外そうとしない。
どんな事情があるのかわからない。けれど、ここに存在することを知られてはいけない。親しいものがいても声をかけることもできないのだろう。
「ああ、やっとシルバーを見つけたな」
アラブの王子がご子息様を捕まえてバラの姫君と引き合わせると、巧みにパートナーを入れ替えて逃げてゆく。
ホールの真ん中で怒りだしそうな姫君に、ご子息様は丁寧にお辞儀をして手を差し出した。二言三言、姫君が文句を言ったが、そのまま音楽に合わせて踊りだす。
ホールのあちこちから、シャドウたちがいる上のテラスからも感嘆の声が上がった。
絵になる、サマになっている、褒めそやす声は嫉妬より確実に多い。
2曲ほど踊ると、姫君がご子息様の手を引いてホールを出る扉を抜けて行った。
「どこへ連れて行かれた?サロンか?」
「内庭だ。サロンでは人目から逃げられない。この時期の庭は、花もなくて人も少ない」
ソニックはシャドウを連れ、いくつか小部屋を抜けていく。入り組んだ廊下を進むと、またどこかのテラスへ出た。
月光に照らされる周囲を見遣れば、一つ下の階に内庭とはいえかなり大きなバラ園があり、仮面を外したバラの姫君、 ブレイズ様と、ご子息様が垣根の影に見える。
大きな笑い声も聞こえるので、艶めいた雰囲気ではないのだろう。
シャドウに覗く趣味など無いが、ソニックは柵の隙間から暗い庭園をじっと見つめている。
「シャドウに、言わなきゃいけないことがある」
普段よりずっと落とした声で、庭に背を向け柵に体を預けるシャドウに告げる。
「オレ…マリア・ロボトニックを知ってるよ」
「マリア様を? 5年前に、ご病気で亡くなった方だぞ」
「病気じゃない。…死んだ原因を知ってるのはオレだけだ。ちゃんとした証拠は無いけど、きっと…。何かあったら、シルバーを守って逃げてくれ」
「何を…っ」
ソニックは音もなく立ちあがり、頭に掛けていた薄布をシャドウのトゲを隠すように巻いた。
そして、テラスの端に垂直に走っている飾り柱に捕まると、軽やかに下へ降りてゆく。
止める間もなかった。
庭で談笑の声が止む。シャドウは慌ててテラスの柵の影に入った。
「誰だ!?」
シャドウのいる方へ、誰何の声を上げたのはご子息様だった。
見られたのなら仕方がない。月影の中に立ち姿を見せるが、ご子息様ならわかるだろう。
テラスの真下で、今度は皇女様が顔色を変えた。
ご子息様に「ここを動くな」と強い口調で命じると、シャドウのいるテラスへ階段を上ってくる。
ソニックが頭に掛けた薄布と仮面で、皇女様には素顔が解らない状態だったが、今、正体を明かす気にはなれなかった。
真下に残ったご子息様と、内庭に消えたソニックも気にかかる。
「お前がこのような場所に姿を見せるとは。いや、予想はしていたが」
皇女様の、威圧的な声。
すぐに誰かと間違えられている、先日ご子息様から聞いた、シャドウとよく似た者だと気付いたが、それも気になった。
「今度はシルバーを狙っているのか?」
「狙う?」
ソニックが、去り際に言った言葉と合わせると、シャドウに似た者がここで何かを企んでいるということだろうか。
好奇心ではなく、知らなければならないという思いが湧きあがる。
「何故、ボクがシルバーを狙うと?」
「転生するための器として、ハリネズミのカタチを狙うことぐらい、想像がつく」
「転生の器…、それが、黒いハリネズミ?」
「お前のことだ、メフィレス!」
イライラと怒鳴る皇女様に、シャドウは仮面を外して顔を晒した。
ハッと息をのむ皇女様。その様子で、別人だと悟られたのだとわかる。
「ボクは、ロボトニック家の執事、シャドウ。今宵は無礼講と聞いていたので、失礼ながらこのような格好で皇女様にお目にかかりました」
「ロボトニック伯…ではシルバー、いや、マリアの?」
頷きながら、疑問に思う。今日は何故こんなにマリア様の名を聞くのだろう。
そして、メフィレスというその名は、マリア様の警告の声と一緒に、記憶に重い蓋を開く。
その時だ。
悲鳴が聞こえた。
ソニックの、悲鳴というよりも、嬌声に近い、細い叫び声が。
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つづくのだ!
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