ひつじさんとよくにたひと



「もう少し、丁寧に英語を喋れるようにならなくちゃって思った。せめてアンタくらいの」
「ご子息様も随分発音はきれいになりましたが」
「違うんだ。社交界…ってゆーか、…皇女の言葉がめちゃくちゃキレイでさ」

 夜会のあった城で、たくさんの人と会われたのだろう。ご子息様の雰囲気は今までよりもずっと垢ぬけて、精神的にも成長なさったようだ。
 帰ってきてからの勉強が滞るかと思えばそうでもない。知識も追いつかないことを恥じて、今は歴史学を猛勉強中だ。これはいつまで続くか疑わしいが。

「皇女というと、ブレイズ様というお名前でしたか?ご子息様とお歳も近いですね。まだご結婚はお決まりじゃないのでしょうか」
「し、知らねえよ、そんなの! じゃなくて、わからない」
「ですが、皇族の結婚となると、早くに婚約者が決まっているモノですが、ブレイズ様にはそんな噂が流れないのが不思議です」
「ああ、それにはワケがあるらしいぜ」

 言いながら切なそうな表情になるご子息様。きっと皇女さまから聞いたお話でも思いだしているのだろう。
 シャドウは自分には関係の無い話だと思い、テーブルの上の茶器を片付け始めた。

「ああそうだ。アンタそっくりの人を城で見かけた!」
「ボクに? 貴族、ではありませんよね?」
「教会の人だった。年の頃もアンタに近かったから、思わず兄弟がいないかって聞いてみたんだ。そしたらさ」
「…ボクに、兄弟などいない」
「その人もそう言ってた。それに見た目より随分年食ってる声だったからやっぱり兄弟じゃないな」

 では、その者は何なのか。
 問うてみたいその好奇心に、シャドウの中の何かが警報を発していた。
 近づいてはいけない、そう、懐かしい女性の声が蘇る。

「何故そんなことを聞くのかってその人に言われたんだけど、使用人と似ているって言うのは失礼かと思って言わなかった」
「それでよかったのです。黒いハリネズミなど、どこにでもおります」

 まだ話をしたそうなご子息様の、空のカップを取り上げて、シャドウは無理矢理会話を終わらせた。
 足早に部屋を退出して、締めた扉を睨む。

 この部屋は。ご子息様がいらっしゃるずっと前には。
 美しい女性がいたのだ。







 伯爵へ紅茶を淹れる時には強い香りのアールグレイを、ほんの少し苦みが出る程度。
 もともと珈琲党なのだから、力の弱い味では不満なのだ。

「やれやれだな。城の紅茶は不味くてならんわ」
「当たり前だけど、城の方がいい茶葉使ってんだぜ? 口に合わないだけだろ?」
「おーっほっほっほっほっほ! 皇女の茶はちっとも進歩しておらんのでの!」
「あの人は憶える気がなかったからしょーがない」
「いつまでもお主に淹れさせるツモリだったのだからしょーがない」

 伯爵はニタニタと笑っているが、ソニックは笑えない。城の、皇女の様子を聞けば、気にせずにはいられない。
 すべてを捨てて逃げたのだから、知らぬふりをして傍観を決め込んでもいいのだ。
 自分の代わりにシルバーを紳士に育てて、罪滅ぼしのツモリにしてもいい。
 けれど、伯爵の笑みは子ども相手に遊んでいたころとは違う。複雑すぎる人脈の都合が髭に隠れる口元に浮かんでいる。

「何か、あったのか?城で…」
「はてさて。…ところでソニックよ、お主はメフィレスの顔を見たことはあるのか?あの事件の夜」

 伯爵の問いに、ソニックの表情が一変する。体中の針を逆立てて凍りつくような恐怖に震える。

「オレはっ、皇弟を殺してなどいないっ!!」
「わかっておる。10歳にもならん小娘が、ジジイだったとはいえ将軍まで務めた男の首を引きちぎって殺すことなどできるとは思っておらんよ」

 のんびりとした伯爵の口調が、ソニックの逸る鼓動を僅かに押さえた。けれど、思いだすことまで止められない。
 結婚式を終えた日の夜。初夜の祝いにと訪れた僧侶。発した言葉は祝辞でなく呪詛。そして闇の契約。
 真っ白だったウェディングドレスは皇弟の血で染まり、目隠しに猿轡、四肢を縛られ、窓の外は、はるか下から岩を砕く波の音…。

「顔は…メフィレスの顔は見ていない。ずっとフードを被ってたから」
「そうじゃろうの」
「どういう意味だ?」

 伯爵が合図をすると、ずっと控えていたテイルスが手元で弄っていた装飾品をソニックに手渡した。
 ビーズや磨かれた貝で飾られた、女性用の仮面。テイルスがニッコリ笑う。

「危険なことが起こったら、右端についてる羽根飾りを抜いてね。窓の外、庭かテラスまで逃げて」
「…一体何を」
「シルバーが城の仮面舞踏会に呼ばれておる。あやつも来るじゃろう。おぬしはシャドウと一緒に伴をしろ。なあに、使用人がレディのフリをしてもバレたりはせん」
「オレに拒否権は無いんだよな?」
「無論じゃ! のーっほっほっほっほっほ!!」

 太鼓腹を揺らして笑う伯爵に、軽くため息をつく。
 ソニックの汚名をそそぐという正義感などではない、絶対面白がってる。
 けれど。

「ま、いいか。逃げるツモリだったのにロボトニック家のメイドにまでなっちまったからな。この際、真正面から反撃してくるさ」
「そういうことなら教えておいてやろう。あやつ、メフィレスの瞳の色はターコイズだったわい」
「ターコイズ…グリーン?」

 伯爵がゆっくりと深く、頷いた。







 掃除の必要はないと言っていた部屋の扉が開いている。
 ご子息様と話していた時に、彼女のことを思い出して神経質になっていたせいかと思った。
 シャドウがその扉を開けて中を覗くと、青いドレスが揺れていた。
 一瞬目を疑う。けれどすぐ見間違いだと気付いた。彼女とは姿かたちも性格も似ていない。針のトゲの青が似ているだけだ。

「こんなところで何をしている?」
「シャドウか。お前もご子息様に連れていかれるんだろ?仮面舞踏会」
「…ああ、それで。マリア様の服を借りるのか」

 ご主人様のいとこで、5年前に亡くなられたマリア様。使われていたもの一切が小部屋に押し込められ、時々シャドウかルージュが掃除をするだけだった。
 誰も使わないものなら、ソニックが使っても構わない。伯爵も許したのだろう。
 マリア様のドレスはオーソドックスなスタイルが多かったので、多少古いものでも流行に左右されずに着れるはずだ。
 それに、数着のドレスを掛けて悩む姿は、少女っぽく可愛らしい。

「青色のドレスに、こっちの赤茶の薄物を内側から差し入れて、ブラウスのレースをチラ見せすれば、かなり雰囲気変わるかな、ってさ」
「趣味がいいな」
「Thank you.」
「まるで貴族のお嬢様だ」

 マリア様も同じように衣装を選んでいた。
 シャドウはそれを思い出して言ったのだが、ソニックは何故か懸命に表情を隠す。
 悪戯っぽくテイルスから貰った仮面を着けて、シャドウに笑いかけた。

「シャドウも、シルバーから燕尾借りるんだろ? そしたらオレが踊ってやるからさ」
「足を踏むつもりだろう?」
「へへっ! ご明察」

 ソニックはまた視線をドレスに戻して思案し始める。服のコーディネイトに関しては何も言えないので、シャドウはそのまま小部屋を出ようとした。
 扉に手をかけようとして、

 マリアと踊るつもりになっていいからな

 ソニックがそうつぶやいたように聞こえた。
 嫌いな冗談だ。
 だから、空耳だとシャドウは思うことにした。














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エロなしパートですみませーん♪



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