めーめーさんとおやしき
「ご主人様、新しいメイドを入れました」
「んー。むむむむむむ〜〜?」
シャドウがこの屋敷の当主、ロボトニック伯爵の前にメイド姿のソニックを連れてくると、先程までふわふわと落ち付かなかったソニックがやたら下を向いている。
その姿に伯爵は丸い黒縁眼鏡を鼻に掛け直して覗きこもうとする。
「ソニック、挨拶をしろ」
「え!?・・・・で、でも」
シャドウが背をつついても、ソニックはさらにもじもじと下を向く。顔を見られるのが嫌なのか。だとすればその理由が何なのか、シャドウの思考が悪い方に傾いてゆく。犯罪歴でもあるのか、と。
が、伯爵がいつもの高笑いで雰囲気を変えてくださる。
「オーッホッホッホッホ! まあ、よいわ。馬子にも衣装、青いハリネズミのメイドとは珍しい」
シャドウの淹れた珈琲ひとくち、温度を確かめるように口に含み、でっぷりと丸い腹をゆすりながら研究資料に再び目を落とす。
「随分と前のことじゃが…」
パラパラとめくっているのは古い図面。
「わしが皇妃の為に作った全自動珈琲メーカーというのがあってな。おお、これじゃこれじゃ。我ながら傑作だった…子供の悪戯で泥水製造機に変えられてしまったが」
「…珈琲なんか、人の手で淹れた方が美味いに決まってるだろー」
「んー?何か言ったか?」
「いえ……ええと、慣れないうちは粗相をしてしまうかもしれませんが、よろしくおねがいしまーす」
ソニックが頭を床にすれるほど下げた。
伯爵がニヤリと笑いながら、部屋を出るよう手を振ったので、ソニックはそのままくるりと後ろを向いて、シャドウとふたり、書斎…というか研究室を出た。
その途端、脱力満載のため息でガックリ壁にへばりつくソニック。
「疲れる…まさか、ハンプティダンプティがロボトニック家の当主だったとは…」
「ソニック、キミは何者だ?」
「親無し浮浪児っていうのは嘘じゃないぜ」
そうではなく、出自のことだ。先程伯爵が話した事柄とソニックが関係があるのか。だとしたらとんでもない出自ではないのか。
考え込みかけたシャドウの頬に、ソニックが飛びつくようにキスをする。
笑顔は、初めて会った時と同じ。挑むような瞳の緑。
「ここの暮らしも面白くなりそーじゃん!」
ぱっと離れて走っていく。おそらく、メイドが朝の掃除をしている広間に向かって。
シャドウの思考は、ぱったり停止してしまった。
きゅううとお腹を鳴らしたソニックの口に、ご子息様が笑いながら紅茶に添えられた焼き菓子を入れてくれた。
昼食前に居眠りしてしまい、食いっぱぐれたのが空腹の原因だったりする。
「アンタ、その服、似合ってるよ」
「そうかあ? シンプルすぎるだろ。もっと、こう…」
「ルージュやエミーは給金でいろいろ服に足してるからな」
ああ、それで、と納得するソニック。彼女らのメイド服は襟や袖に小さな飾りがあって、遠目で見る分にはわからないけれど、近くで見ればとても可愛らしいのだ。
数年前までは当主のみ住まうお屋敷だったので、シャドウとルージュだけが住み込みで働いていたのだが、ご子息様が遠縁を頼ってここに来てから少しずつ人も増えてきた。若い貴族をお世話するにはまだまだ人が足りない、らしい。
午前中はご子息様には家庭教師がつき、ソニックは屋敷のあちこちを掃除して回っていた。
午後をしばらく過ぎて、のんびりした時間にご子息様がソニックを呼び出したのだ。
遊びに行こうぜ、と屋敷を飛び出してゆくご子息様。ソニックは知らないが、ご子息様にはこの屋敷に来てから初めての楽しい日々の始まりだった。
「へえ、いい庭じゃないか」
「そうだろ。庭師がいい仕事をしててさ。不思議な石の庭もあるんだ」
「聞いたことがある。東洋の…枯山水だったっけ」
ご子息様が目を丸くして頷いた。庭を整える他に、季節を巡らせても美しく見せる技術というのは、東国との貿易で伝わってきた。こんなことは本で読み知る知識ではない。
「アンタすげえな。なんでも知ってる! 庭師の子供だったのか?」
「…ごしそ…あー面倒だ、シルバー、だっけ? 素直だなあ、お前」
「なんだよ。どうせ無学だ!」
「そういう意味じゃない。…って、ちょっと待て」
ソニックが足を止めて、ご子息様もそれに倣う。じっと周囲の音に耳を澄ましていると、馬のいななきが風に乗って届いた。
「厩舎! 馬場もあるのか?」
走り出したソニックは速い。スカートの裾などちっとも気にしない。
ご子息様が追いついたときにはすでに厩舎の中で藁にまみれていた。
馬はみな馬場に出されていて、扉や窓も大きくあけられているけれど、強い生き物の臭いはご子息様は苦手のようだ。顔をしかめてソニックについた藁を払う。
「何やってんだよ」
「馬を触りたいからさ! 馬は賢いから知らないヤツが近づくと警戒しちまうだろ? せめてニオイで安心させなくちゃ」
「そういうモンか」
「あ、ひょっとして、シルバーは乗馬も苦手なんだな」
笑ってソニックが馬場に出ると、ご子息様の馬を一目で見抜いた。一番気性がやさしい馬だ。
そっと近寄り、互いに目線を交換して。心で言葉を交わしたかのように、馬が頭をソニックにすりよせ、それをやさしく撫でた。ご子息様はまるで魔法でも見たかのような顔をしている。
同じように馬に触れようと、ご子息様がおそるおそる手を伸ばそうとすると、
「待てよ。まずオレの頭を撫でてみろ」
言われるまま、ソニックの針の頭をご子息様の手が撫でる。やさしく滑って上から下へ、三度程往復するとソニックはくすぐったそうに笑う。
「怖くないだろ? 今と同じに馬の頭を撫でろ。オレと同じくらい気持ちよくしてやれよ」
同じように、意識するのも簡単に、ご子息様が馬の頭を撫でると、馬はもっと、とねだるように体を寄せてきた。
「すごい…こんなに馬が寄ってきたのも初めてだ。ソニック、アンタは馬主の家の子だったのか?」
「…シルバーは素直だなあ」
「なんだよ。アンタは馬も乗れるのか?」
「Of course! 教えてやるよ。必要なことだから、さ」
「わかった! 騎手の子供だったんだ!」
「…素直を通り越しちまうぜ」
苦笑したソニックに、馬が"走らせろ"と頭を寄せてきた。
ご子息様が嫉妬したように間に入ったけれど、どちらに嫉妬したのかはよくわからなかった。
「ほら、あそこ。チャオがいるだろ?」
ご子息様が指差したのは食堂(もちろん当家の方の。使用人のは別にある)の窓から見える高い木の上。
草原や水辺を好むチャオが高い木の上にいるのは珍しい。
「もう1週間くらい移動していない。怪我をしてるんじゃないかと思うんだ」
部屋に明りが入るころ。外の夕空はまだ白い輝きを残しているので、木の上のチャオはかろうじて確認できる。
助けようとして脚立を用意したけれど届かなかった。長い梯子で近寄れば上に逃げてしまった。さらに屋敷の屋根に上がる為の梯子…はチャオのいる木の枝が上部で細くなっているので掛けられなかった。
「なんとか助けてやれないかな?」
うーん、とソニックが考える。梯子でゆっくり上がればチャオは逃げる。ならば、とびつくような勢いで上がればいい。元気なら逃げて降りるだろうし、怪我をしているなら上に逃げる余裕を与えなければいい。
「OK なんとかしてやるよ」
「本当か! …他のメイドや、シャドウにも頼んでみたんだけど、自然に降りるのを待てって言われるばっかでさ」
「実を言うと、オレもその方がいいと思う。けど、シルバーはアイツが怪我してるように見えるんだろ? じゃあ早く助けてやった方がいい」
ソニックが身をひるがえして食堂を出ていく。
廊下でルージュがソニックを叱る声が響いた。
「ちょっと! 給仕の手伝いしなさいよ!」
「Sorry! 別の用事を言いつかっちゃってさ!」
食堂でご子息様がクスクス笑っているのを、先輩メイドは恐縮してお辞儀をした。
庭に隣接する林はすでに暗く、厩舎にも明りが無ければ誰かがそこにいるなんて思えなかった。
「あれ? なんでシャドウが馬の世話をしてるんだ?」
「そういうキミが何故今ここにいる?」
「それはちょっと…」
言葉を濁すソニックに、きれいに世話をされたシルバーの馬が擦り寄ってきた。昼間と同じように撫でてやる。
「庭番が馬の世話をしてるモンだと思ってた」
「年寄りだからな。力仕事は執事がやることになってる。とはいえ、ほとんどがボクの仕事だ」
「乗れるのか? 馬」
「…ボクを誰だと思ってる?」
「じゃあ乗せてくれ! 急いで!」
「は?」
ソニックが手早く鞍を置いて、柵を外し馬を外に出してゆく。他の馬を世話していたシャドウが慌てて追いかけたときには、ソニックは馬場を速歩(はやあし)で巡っている。
馬に乗れるのかという質問は、何故そんなに乗れるのか、に変わるけれど、それを言い出す余裕もない。
「待てソニック!」
「手を伸ばせ、シャドウ!」
思わず手を伸ばしたところに馬が最接近し、ソニックがシャドウを馬上にえいっと引き上げた。まるで曲芸だが、何度も練習したかのように軽々と成功してしまう。
ソニックが手綱を微妙に操ると、馬はさらに速度を上げ、馬場の柵に向かって走ってゆく。
「何をっ」
「飛べ!」
結局、ルージュに給仕をされながら、ひとりで夕食をとっていたご子息様は、珍しく夕刻に聞こえる馬の足音を不思議に思っていた。
「なんだろう?」
ルージュも答えられるわけがなく、不思議そうに首をかしげた。
わーわーと誰かの言い争う声と一緒に馬の足音もどんどん近付いてくる。
たまらず、ご子息様は重いカーテンを開き、窓も開け放した。後ろにルージュも続く。
ふたりが覗いた方向から、シャドウが馬に乗って近づいてくる。そしてその後ろに器用に立っているのは…
「もう、あの子一体何なのよ」
「曲芸師の子供かなあ? …あっ!」
馬が向かう方向に、さっきソニックに話したチャオのいる木がある。
何が起こるのだろうと、わくわくするご子息様が見つめる。
件の木の横を通り過ぎる時、手綱を握るシャドウの肩を踏み台にして、ソニックは高く高く飛び上がり、梯子でも届かなかった枝を掴むと、それを軸にくるりと周り、さらにもう一段上、チャオがいる枝まで飛び上がった。
「やったあ! 捕まえた!」
ご子息様が食堂を飛び出して木の下へ行く。上の方でチャオを捕まえたソニックが少しずつ降りてきて、最後は宙返りで地面へ飛び降りた。
「シルバー、よくわかったな。コイツ、本当に怪我をしてる」
「ホントだ。羽根が傷ついて降りられなかったんだな」
「…悪い…コイツの世話、頼む」
ソニックがチャオをご子息様に手渡した途端、激しい殺気を伴ったシャドウがソニックの首根っこを掴んで馬上へ引き上げた。
そのまま厩舎の方へ向って馬がゆっくり去ってゆく。
「あ、怒られちゃうかな?」
「そうね。明日、二人の腰が立たなくなってなければいいけど」
ルージュが大人っぽく笑う、その理由がご子息様にはよくわからなかった。
手の中のチャオが安心して甘える声をあげる方が、重要事項だと思えた。
えろくなかったね。
緩 急 !!wwww
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