マリアと呼ばれた少女は月明かりの中でオルガンを弾く。
その周りに村の子どもたちはひとりもいない。
窓から覗いた時と同じ讃美歌を弾いているのに、とてもとても、寂しいメロディに聞こえる。
さらりと金の髪が揺れて、顕わになった細い陶磁のような首筋には、小さな丸い傷跡が2つ並んでいた。
「ありがとう、シャドウ。私を救ってくれて」
流行り病があった。
体の弱い者…小さな子供や年寄りから死んでいった。
マリアも、祖父の牧師も例外ではなく、連日高い熱に浮かされ死の淵に沈もうとしていた。
神の名を呼び、息絶えようとしたその時、現れたのは悪魔だった。
牧師は神に仕える信念を曲げず、苦悶の表情を浮かべ死んだ。
けれど、マリアは、悪魔と契約してしまった。
「すまない。キミはもう二度と陽の光を浴びることはできない」
「あなたがいるわ。あなたが、わたしの陽だまりよ」
マリアはオルガンを弾く手をとめて、シャドウに沿う。
甘える様に。
砂糖菓子のような艶やかな香りを漂わせるマリアに、黒い吸血鬼は手を伸べることができなかった。
マリアを助けたのは気まぐれではなかった。確かに互いに恋心を抱いていたのだ。
けれど、下僕のように変わってしまった彼女は、本当の意味でシャドウを愛しているのだろうか。
「わたし、この村もシャドウも大好き。あなたはずっと守ってくれるんですもの…」
マリアはシャドウの堅い態度を気にした風もなく、甘やかに微笑む。
氷のように冷たい手がシャドウの頬に触れた。それはとても心地よくて拒まなかった。
母の顔は憶えていないが、この手はとても似ている気がした。純血種であるシャドウだが仲間はいない。みんな滅びてしまった。
父だけはどこかに存在するかもしれない。あの人は特殊だったから。
隷属的でも、シャドウを愛しているというマリアは…かりそめの命で生きているに過ぎない。願いを叶えてやる、なんて言い訳だった。
ずっと一緒にいたいと願ったのはシャドウだった。
「キミをひとりぼっちにしたのはボクなのに」
あのまま、死なせた方が良かった。薔薇色の頬をした彼女は失われてしまった。
時の流れから切り離された魂は、永遠にこの淀みに留まり縛られる。
たったひとりで生き残るはめになった彼女を、この箱庭のような教会に閉じ込めてはならなかった。
真に彼女を愛してしまったのなら、決別を選ぶべきだったのに。
マリアの瞳が、青い蛍火色に輝く。シャドウを見つめて、癒すように微笑んで。
「あなたの瞳は悲しい色ね」
甘い誘惑。
シャドウはマリアを抱きしめて、覗く首筋に再び牙を突き立てた。
つづく
2009.06.14
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