「くそ、もうこんなところにまで火がきてるのか」
「まだ水撒いちゃだめなの?」
「まだだ」
先触れに、鮮やかな赤のタテハチョウが飛ぶ。ソーマとポポに、急げ急げと呼びかけるように。
熱帯の森は普段けだるい暑さと、いつまでも賑やかな虫の声が聞こえるはずなのに。
この森に入った時から暑さは尋常ではなく、虫たちもいない。
ふたりは一日中、煙に追われて休むことなく走っている。
チョウは力尽きて落ちても、すぐに次のチョウがあらわれる。ソーマは顔色を変えることもないが、それはチョウの願いを知ってるからだ。
逃げ惑うように走っていても、向かうのは一定の方向だ、とポポにもわかった。
「ソーマ、どこに向かってるの?」
「湖沼。この森にひとつだけ残ってる。そこにみんな集まってる」
チョウが止まった。困惑して舞い上がる。どうやら煙に囲まれたようだ。
このままではすぐに炎に巻かれてしまう。
「あと少しなのに」
「飛んで行けない?ソーマの蝶で」
「風が起こると一気に燃える。経験あるだろ?」
そういえば、とふたりは顔を見合わせて苦笑する。
笑っている余裕など無いはずなのに、ふたりならなんでも越えられるような気がするからだ。
ブン、遠くから羽音が聞こえる。あの時みたいに。
「ギラファ?」
信じられない、とソーマが空を見上げると、青く輝く甲虫がふたりの上を駆け抜けた。風は起こらなかった。
「守られてるね。ついていく?」
不思議と、ギラファが通った場所だけ、火炎の予兆が消えていた。
ようやくたどり着いた、干上がりかけた湖の周りには、甲虫、チョウ、ハチ、トンボ、アリ、さまざまな種類の虫たちが争うことなく身を寄せ合っていた。
「ムシたち・・・ばかり?森の民は?」
「一番最初にオレが逃がした。こうなってからでは助けようが無いからな」
相変わらず不器用だな、とポポは思う。
森の民には他の場所で生きる力もあるけれど、虫たちにはここ以外の場所が無いから。
「それで?ぼくはもう盛大に水撒きしていいの?」
「折角だから、飛ばしてやるよ」
ソーマが白いチョウを指先に現した。一瞬の白に目を奪われてると、ソーマの姿が掻き消える。
「飛ぶって、…わあっ!」
ふわり、白い羽につつまれてポポの体が持ち上がる。ぐんぐん地面が遠ざかる。
以前、守護者の証の力で飛んだときとは浮遊感が全然違う。やわらかなくせに風を捕まえて一気に駆け上がる。
「飛ぶってこういうことなんだ…すごく、軽い」
青空の真ん中までくると、地上の景色が一望できた。森中に白い煙がたちこめている。
ポポがプゥの水玉を胸の中で握りしめる。
「ギラファは死んだ。この森には、アイツの子供の幼虫がいる」
守ってやってくれ。ソーマの呟きが続いた。
「一緒に願ってよ。プゥの水玉は守りたいと願うときに力をくれるんだ」
空は、小さな水滴で満ち、やがて黒い雲が湧き立って、森に水煙が溢れた。
4へ続く。
2006.04.18