何のために今まで戦ってきたのだろう?
国のため。
無抵抗の子供まで殺したのは、生かしておくと脅威になる可能性があるから。
名誉なんてものは必要ない。
国と名誉とどちらが大事なのか?
だから、殺した?
命令だったから?
命令されるのは好きだった。
誰かに必要とされていると思えた。
休戦になって、命令が無くなった。
好きに生きてよいと…。
意味がわからなかった。
戦う場所を探した。
覆面を外して、自ら戦える場所を探した。
遺跡の秘密を知って、ノーチスの奴らがまだ戦争をやめないつもりなのを知って。
私はまだ戦えると思った。
平和のため?
国のため?
自分のため?
死ぬのが怖かった?
たくさん殺して。
いつも自分だけが生き残る。
平和を望むふりをして、いつも血の匂いを欲している?
違う…
私は本当に平和を望んだ。
でも…
それでいいのか?
こんな血にまみれた人間が平和を望むなんて。
戦っているときは信頼されていると思える。
戦いが終わると、とたんに不安になる。
怖い。
人が怖い。
信じることが怖い。
信じられることが怖い。
裏切られるのが怖い?
…私が裏切ってしまうかもしれない、それが怖い?
本当は誰も私のことなんて信用していないんじゃない?
本当は誰も私のことなんて必要ないんじゃない?
もう誰も傷つけたくないのに。
生き続ける限り、私は誰かを傷つける。
もう誰も傷つけたくないのに。
足音が近づく。
草を踏む音から、焼けた土を踏む音に変わって止まる。
止まった足音に振り返る。
この星辰の広場は、元は美しい花が咲き乱れていたらしい。
今は、醜い大穴と、醜い焼け跡が広がっている。
ああ、また夜になってしまった。
白い月明かりに、エヴァンだけが色づいて見えて。
エヴァンなら、決めてくれる?
本当は、自分の中で、もう答えが出ているのに。
それでも、最後の選択をエヴァンに託すのは、甘え?
本当に私は生き汚い…。
腰の鞘から剣を抜く。
「殺して…私を殺して」
剣を、エヴァンに向けて差し出して。
夢の続き?
それは、私の望んだこと?
私の剣がエヴァンの手に渡る。
優しい瞳が私をみつめて。
私の剣がエヴァンの左側の首筋にぴたりと寄る。
惑うことなく、その手が動く。
血が飛沫く。
みるみるうちに、エヴァンの左半身が赤く染まってゆく。
「どうして」
傷から溢れる液体に触れる。
熱い…。
夢じゃない。
エヴァンの手から剣が落ちて、私の腕を掴む。
「おなじことな…だ…」
「離せ、喋るな!動かな…」
「ルティ…がしぬっていう……は、おれが…ぬ……」
急激に力を失って崩れ落ちるエヴァン。
支えきれず、一緒に崩れて。
冷たい地面に重たくなったエヴァンを横たえると、赤黒い染みも落ちてゆく。
血が出てる。
血が出てる。
急いで止めなきゃ、
死んでしまう。
死んでしまう!
混乱するのと同時に、身体は冷静に手当ての処置に動く。
ポケットに入れっぱなしだった傷薬の小瓶を取り出して、急いで蓋を開けて。
冷たい液体を手のひらに受けて、エヴァンの首の傷に当てる。
間に合って。
お願い、間に合って。
傷から溢れる血の量が少なくなる。
薬が効いているのかどうかわからない。
何度も、薬を塗りつけて。
薬の色と、血の色が混じって、そこらじゅうが赤く染まって。
青白い月に照らされて、エヴァンの肌の色は今まで見たことも無いほど白い。
このままエヴァンが死んでしまったら…
初めて知る。
耐え難い孤独感。
脈も呼吸も、まだ止まってはいない。
身体は冷たくなってゆく。
動かない手を取って、強く握る。
少しでも温めたいと、頬に当てる。
いつのまにか、また自分が泣いている。
このままエヴァンが死んでしまったら?
私はどうなるの?
強い強い喪失感を抱えて、生きていられない。
何も考えられない。
「…」
小さく乱れた息が漏れる。
「エヴァン、…エヴァン!」
呼びかけると、全身が一瞬小さく痙攣して、また力が抜ける。
長い息がこぼれて。
そして、薄く瞼が開いて、瞳が動いて、私を見つける。
さっきと同じ、優しい瞳。
そのまま、長い時間を、声を殺して泣いた。
「ごめん、ルティナ」
何故謝るの?何を謝ってるのかわからない!
言いたくても、声にならない。
ただ泣いて、堪え切れなくなって、小さく呻くだけ。
「こんなふうに泣かせたくなかったのに」
まだ動きの鈍い指が、涙を拭ってくれる。
顔にかかる髪を梳いてくれる。
私の腕に触れて、撫でる。
「そ、か、使わなかったのか、あの傷薬…。手の傷痕、残るぞ」
「使っていたら、死んでいた!」
叫んでしまう。
もう、涙を止められない。呼吸は嗚咽に変わる。
「死んでもいいって思ったんだ」
「おまえにはまだやることがあるだろう?クァン・リーのカケラを探すんじゃなかったのか!?」
怒鳴るように言うと、エヴァンは少し困ったように。
「う…、そう、なんだけど、忘れた。いや、違う。意味が無いって思ったんだ。
これからおれがやりたいことに、ルティナがいないと、その全部に意味が無くなる」
「私にそんな価値なんて無い!残忍な罪を重ねて、生き汚くて…自分の死さえも本当は怖くて、選べない!
こんな私に…生きる場所も意味も、もうどこにも無いのに…」
「それでも、ルティナは生きなきゃならない」
ああ、これは最後通告だ。
私はもう死ぬことさえできなくなったのだ。
「それでも、おれはルティナを」
「だめだ!このまま、おまえに受け入れられたら!…弱くなってしまう!」
懸命に温もりを拒絶しようとして、自分の心にうずくまる闇の部分を呼び覚ます。
「強くなければ…生きてゆけなかった!何があっても、揺らがない意志で、たくさんの人間を殺して、
それでも迷わずにいられる強さがなければ…」
「違う。そんなのは強さじゃない。誰かを傷つける剣は諸刃なんだ。必ず傷つけたほうも傷を負う。
痛まない心なんて無い。麻痺してるだけで、痛みを感じないだけで、強くなんてないんだ」
私の中の闇を包んでいた硬い殻。
小さな破片になって壊れていく。
「…殺すたびに痛みを感じていたのなら、とっくの昔に心なんて壊れてた。違うか?」
闇の中にうずくまっているのは、臆病な私?
「痛みがなければ、ひとはひとでさえもありえない。
今ならわかるだろう?だから、もういいんだ」
今ならわかる。
今まで誤魔化し続けて、見えなくなっていた自分の心。
初めて知った。悲しみと痛みと孤独と。
「おれがいる。みんながいる。
だから…もう、ひとりじゃないから」
暗く落ちこんだ罪の淵で、差し伸べられたては暖かくて。
一度触れてしまうと、もう止めようがなく。
「エヴァン」
何もかもが一ヶ所に向かって激流を作る。
その先にいる人。
「エヴァン」
また指で髪を梳いてくれる。
「もう、泣くなよ。ルティナ」
「…、ん…」
私が初めて得た安息は、あなたのなかに。
少しずつ色を取り戻し始めたエヴァンの肌に触れて。
そしてくちびるに、私から口付けを落とす。
「昨日の夜は…」
水の底に沈んだ記憶。
次の言葉を待って。
「いや、もういいや」
いきなり話が終わってしまう。
エヴァンはいつもの、屈託の無い笑みを浮かべている。
「ルティナ、笑って」
どんなふうに笑えばいいのかわからなくて。
それでも精一杯の気持ちをエヴァンに差し出そうと思った。
弱く臆病だった私。
エヴァンが迷わず死を選んだあの時に、一緒に死んだことにしてもいい?
過去も罪も変える事はできないけれど。
私に何かできることがあるのなら。
あなたのために笑いたい。
そんな理由でも、生きてみたいと思ってもいいの?
2002.11.30