恋しない






 お小遣いと相談しながら、お店の一番前にキラキラ飾ってあるコーナーで考える。
 どうしよう、道具はマンションにあるものでなんとかなると思うんだけど、この小さなハート型とか、かわいいな…
 ラッピングもしなくちゃ。でも、

「アヤちゃん、何してんの?」
「わ、わたるお兄ちゃん!?…びっくりしたぁ。え、あ!」

 わたるお兄ちゃんの腕を引っ張って、ワゴンの陰に隠れた。

「あの、もしかして、お兄ちゃんも一緒…ですよね?」
「美鶴は向かいの本屋さんにいるよ。ほら、宮原もいるでしょ」

 指差した先に、確かに背の高い二人。目立つ目立つ。困っちゃうなぁ。
 わたるお兄ちゃんはニコニコ笑って私を見てる。

「チョコレートの型を選んでたの?」
「…100均で買ってるなんて、内緒にしててください」
「いいよ。僕にもチョコちょうだいね」
「それは当然、あげますっ!美鶴お兄ちゃんと一緒でいいですよねー?」
「宮原も同じチョコだよねー?」

 なんて、ニコニコ笑って言うのって、…なあに?
 俗に言う、牽制球ってヤツかなぁ。

「も、もちろん、おんなじ、ですっ」

 …言ってしまってから後悔してしまう。
 どうしよう、告白したかったな。きっと、たくさんチョコ貰うんだろうな。
 私が敵わないような、見た目も年齢もつりあう人が、たくさん告白するんだろうな。

「ところで、わたるお兄ちゃんは何か買いにきたんですか?」
「ああ、僕もチョコ用のラッピングに使えそうなモノを探しにきたの」
「…お兄ちゃんにですか?」
「うん」
「宮原さんにも友チョコあげる?」
「あーげない。僕があげるのは美鶴だけ」
「ずるいっ!」

 あー!思い出した!去年、お兄ちゃんが1週間くらい飾ってたヤツがわたるお兄ちゃんがあげたチョコだったんだ!

「亘、…アヤ!?何やってんだ」

 …見つかっちゃった。そんなに怖い顔することないでしょ、お兄ちゃん?

「べーつにっ!…こんにちは、宮原さんっ!」
「こんにちは、アヤちゃん」

 ほら、宮原さんは優しい。私にツッコミなんてしないもん!

「本屋さんで、何買ったんですか?」

 宮原さんの小脇にかかえてる大きな袋は向かいの書店のモノ。聞いたら、宮原さんはすごく嬉しそうに…子供っぽくニッコリ笑った。

「ユニバース!注文してたのがやっと届いたんだ!」

 袋の間からちょっとだけ見せてもらった。宇宙写真の本。
 あぁ、私がラッピングコーナーにいたツッコミが無いのは、この本にたましいを持っていかれてるからなのね…。
 きっと宮原さんは、女の子よりも星の方が好きだわ!

「アヤちゃん、お買い物しないの?」
「また次にします。…よし、作戦を考えなくちゃ」
「作戦?」

 宮原さんと美鶴お兄ちゃんが首をかしげたけど、本当に考えるんだから。
 私が、宮原さんの星くらいの女の子になれる方法を!












「アヤ。…あのね、あんまり言いたくないことなんだけど」

 叔母がはあ、と短いため息をついた。
 ここ数日、顔をあわせることができなかったのは、帰宅時間がずっと深夜だったから。時々は飲みに行ったりもするだろうけれど、大概は仕事だ。大学を卒業して入った会社は、多忙で若い社員を使い潰すようなところだったけれど、その方がいいと叔母はひたすら仕事に没頭してきた。
 まるで、他のことへ視線を向けることを恐れるように。

「あなた、今、好きな人がいるでしょう?」

 アヤはこくりと頷いた。同時に胸が高鳴る。見抜かれたことよりも、叔母の言いたくないことを予感して。

「ダメよ。好きになっちゃダメ。どんなに優しい人でも、あなたを好いてくれたとしても」

 何故、と聞けなかった。
 叔母の忠告は、経験から来るものだから。

「芦川の家のせいで、大切な人が潰れてゆくところを見たくは無いでしょう?」

 白くて長い指が、叔母の顔を覆った。そのまま小さな声で「ごめんなさい」と続いた。
 叔母は何も悪くない。
 自分を、そして美鶴とアヤを守る為に、誰かを好きになることさえも諦めてきた優しく悲しい人を、これ以上心を痛めさせることの無いように。
 バレンタインが近づいてきて、テレビも町中もきれいにラッピングされたチョコで溢れてる。
 今年も、友チョコなんてふざけた名目で終わってしまうのだろう。

 私たちには、恋愛なんて、望んではいけないものだから。












 問題集の文字列がくだらなくつまらないものに見え、つい時計を確認してしまう。さっきから5分も経っていない。集中力が欠けてきたことを自覚して、シャーペンを放り出す。

「お疲れー。食べる?」

 椅子にかけたまま組上げたひざに雑誌を乗せて、宮原は小箱を差し出した。
 座ったままローラーを転がして、その小箱に指を伸ばせば、ひとつずつ包装されたチョコ菓子だった。

「貰い物?」
「違う。この時期いろんなチョコが出るから、試すんだ」

 ふうん、生返事しつつ取り出したチョコを口に放り込めば、するんと口の中で溶けて炒った香りが広がる。

「もう少しビターでもいいな」
「次はそういうの見つけてくるよ」

 って言いながら、宮原はくくっと思い出し笑いをする。

「今年も三谷のチョコは甘そうだよ」
「知ってんのか?」
「材料売り場でホワイトチョコ買ってたもん」

 額を押さえてため息。もうひとつ、宮原のチョコを頂く。

「そういえばさ、芦川は三谷にチョコあげないの?」
「あげない」
「あげたらいいのに」

 含みのあるいつもの笑顔。
 宮原の場合、まるっきり能天気に提案してるわけじゃない。
 だが、恥ずかしい、照れる、という感情ではなく、想いを伝えることを躊躇う自分が、まだここにいる。

「きっと、三谷は喜ぶよ。すごくね」

 そんなことわかってる。今までずっと一緒で、これからもきっとそうなのだ。
 だけど、あの事件の後、恋人にこっ酷くふられてしまった叔母の恋愛感を思うと、素直になんてなれそうにない。

「糖分、さんきゅ」

 再び、机上の問題集に意味を見出し、答えを埋めてゆく。
 宮原のひざの上の雑誌が捲られる音がパラリと聞こえた。












「叔母さん、ちょっと出かけてきます」
「いってらっしゃい。最近物騒だから、遅くならないように帰ってらっしゃいね」
「はい」
「…昨日は、チョコありがと」

 二日酔いのせいで顔色の悪いままベッドに寝そべってる叔母は、小学生の私から見ても十分ドキドキするほどお色気がある。
 きっと、恋人がいる。
 でも私がいるせいで、その人を家に迎えたりはできないんだ。
 いえ、私がいなくても、叔母は恋そのものを諦めてる。

 兄が起こした事件…あの時私は高校生だったんだけど、人殺しの妹って散々言われて、ね。
 その時付き合ってた彼は慰めてくれたんだけど、彼の友人やご両親が、許してはくれなかったの。
 大学でもお付き合いしたヒトは、いたわ。
 けれど、甘い言葉を吐きながら、真実を知れば恐れて逃げるような、そんなヒトとしか出会えなかった。
 だから、私はもう二度と恋なんてしないの。



「お兄ちゃん!」

 駅前にある本屋さんの前で、コートのポケットに両手を突っ込んでたその人が、パッと振り返ってにっこり笑ってくれる。この笑顔は私だけのもの。亘さんだけに向ける笑顔や、宮原さんとカッちゃんに向ける笑顔もあるけど、「アヤ」って呼んでくれる時のお兄ちゃんは、暖かな部屋でトロトロに溶けちゃうチョコみたいな笑顔。これは本当に私だけのもの。

「暑い〜」
「走ってきたのか」

 うんっ、て頷きながら、お兄ちゃんの腕を絡めてとった。

「亘さんたちは?」
「雑誌コーナーでエロ本みてる」
「えー!?なにそれー」

 腕を組んだまま本屋さんの中に入って、3人の高校生が固まって何か話してる場所の後ろに立って、そーっと隙間からのぞいてみると、

「車の本じゃないっ!お兄ちゃん?」

 唇を尖らせて文句を言うと、お兄ちゃんは向こうを向いてクスクス笑ってる。

「わ、アヤちゃん!」「ビックリした!」「早!さっき電話したとこなのに!」

 だって、急いで来たんだもん。
 嬉しくなってきて笑っちゃうと、みんなもふわんを笑ってくれる。こんな瞬間が私は大好き。



 本屋さんで待ち合わせて、そこで喋るのは限界だから、カッちゃんオススメのケーキの美味しいカフェに雪崩れる。
 この時期らしく、チョコやイチゴのケーキがいっぱい。席に落ち着くと、お兄ちゃんたちも甘いケーキを注文する。かっこいい高校生4人がそろってケーキなんて可愛いって言うと、

「アヤちゃんがいるからだよ」
「男同士で食っても味気ないよ。甘いものは女の子と一緒じゃないとねー」

 なんて、カッちゃんも亘さんも調子がいい。
 宮原さんとお兄ちゃんも、穏やかに私のお世話を焼いてくれるし。
 おひめさま気分ってこういうの。4人のナイトを従えて?

「そだ、毎年お呼び立てして申し訳アリマセン。アヤからみんなにチョコですっ!」
「今年は食べれンの?」
「酷いカッちゃん!」
「去年はカチカチだったもんね」
「宮原さんもやめてー!去年の話はしないでー!」
「初めて手作りしたんだもん。仕方ないよね」
「亘さん大好きっ!」
「…」
「お兄ちゃん、何か言って」
「アヤのチョコを貰うのが、この日の一番の楽しみだ」

 お兄ちゃんは感無量。毎年チョコ攻めに合い、男子校に行ってもなお靴箱や机に入れられるお洒落な小箱に悩まされ。そんな中で唯一、いや唯二の憩いはアヤと亘さんがあげるチョコなのだ。
 可愛らしくラッピングされた袋の中には小さなチョコが5つずつ。

「サンキュ!アヤちゃん」「ありがとう」「ありがとう、アヤちゃん」「…(まだ感無量)」

 亘さんがちいさく笑った。

「アヤちゃんにチョコもらえるのも、本命の彼氏ができるまでだよね」
「アヤちゃんのチョコ貰いたい男子なんて、掃いて捨てるほどいるモンなー。オレ、ラッキー!」

 カッちゃんがふざけて続けたのを、お兄ちゃんは怖い顔で睨みつけて、宮原さんは…肯定も否定もしない。ひょっとしてスルー?

「彼氏なんていらないもん。お兄ちゃんたちがアヤの一番好きな人だよ」

 言ってしまって、胸がツンと痛くなった。
 好きになっちゃいけない。
 自分が傷つかないように、じゃなくて、負担になりたくないもの。
 だから、私はこれでいい。

「ふぅん。解かった」

 ふと、宮原さんと視線が絡んだ。

「え?何が?」

 思わず聞き返したけれど、コーヒー飲まれて誤魔化されちゃった。

「あ、三谷、あれ」
「ミタニ、ミタニ、アレ出して」
「そうだ、忘れて…なかったけど、ちょっと…あった!」

 亘さんが鞄をごそごそして、出てきたのは小さな包み。

「一回開けちゃってるんだけど、みんなからプレゼント」
「中学合格おめでと!」
「わあ、ありがとう!」

 包みを開けると、携帯音楽プレイヤーが出てきた。

「すごい!欲しかったの!ありがとう」
「最近の歌とか、みんなが好きな歌とか、入れちゃってるけど、気に入らなかったら消してね」
「…俺、参加してないんだけど」
「美鶴の音楽の趣味ってボクと一緒じゃない」
「この間やってたドラマのクラシック曲とか、お前知らないだろ」
「ラプソディインブルーなら俺入れたけど。ベト7も」
「…アヤ、貸せ。それ消すから」
「いやー!消さないで!私も観てたから知ってるもん!」

 白い、小さな機械を手のひらにつつんで、耳に当てる。聞こえないけど、聞こえてきそう。

「アヤちゃんが受かったとこって、どんな中学?」
「ミッション系だっけ?すごいレベル高いお嬢様学校だよね」
「え?寮があるところしか考えてなかったの」
「それでよく面接が通ったな」
「頭がよかったからじゃない」

 ケーキ食べてお茶を飲んで、お喋りして。
 本当に素敵なお兄ちゃんたち。
 来年のバレンタインも、こんな風に過ごせるかしら。中学に行ったら…よくわからない。

 楽しい時間はあっという間。
 お店を出るときに、みんなバイバイって別れて、お兄ちゃんがマンションまで送ってくれることになって。
 さっきみたいにお兄ちゃんの腕を独り占めして歩く帰り道。

「あのね、お兄ちゃん…叔母さん、好きな人がいるみたい」
「そうか。…上手くいけばいいな」
「叔母さん、芦川さんじゃなくなっちゃうのね」
「俺が高校出たら、ひとりで住むつもりだったから、叔母さんが結婚しても、アヤの帰る場所はちゃんとあるから」

 ふふって笑っちゃう。
 知ってるもん。ひとりじゃなくて、亘さんも一緒でしょ?

「お兄ちゃん」
「なんだ」
「大好き」

 ニッコリ笑って言うと、お兄ちゃんは愛想笑いしてくれる。ふふ。困ってる。

「アヤは…、アヤにも好きなヤツがいるだろ」

もう一度、お兄ちゃんの腕にぎゅっと掴まって、答えは保留にしておいた。












 夜、11時を過ぎて、携帯の着信音が部屋に響いた。
 辞書に栞を入れて、ディスプレイを覗くと、「芦川」と家のマーク。

「はーい、宮原です」
『…遅くにすみません、芦川…アヤです』
「こんばんは。…何?お兄ちゃんの電話が繋がらないとか?」
『え、お兄ちゃん、電話中なんですか?』

 30分ほど前から細かなメールのやりとりがあって、さっきとうとう部屋を出て行ったから、今頃は三谷と仲のいいケンカをしてるところじゃないかな。

「チョコ、ありがとうね。美味しかった」
『いえ、あの、…よかった』
「俺のだけ、星の形に入れてくれたんだよね。嬉しかった」
『…み、…祐太ろ、さん』

 震える声。
 ダメだよ、その先は。

「アヤちゃんの本命さんが見つかるまでは、チョコ楽しみに待ってるよ」

 電話の向こうが静かになった。
 アヤちゃんの、胸から血が吹き出したね、俺のせいで。

『宮原さん、の、本命さんからは、チョコ貰ったんですか?』

 つとめて元気な声。

「今、本命さんはいないんです。てか、恋をする余裕が無くて、さ」
『ウソでしょー?宮原さん、余裕タップリに見えるし。恰好良くて素敵なヒトだから、彼女なんてすぐに』
「アヤちゃん」

 遮って、止めて。

「今の俺はダメだよ。だから、アヤちゃんが良く言ってくれるのは嬉しいけど、今は、イタイな」
『え…どうして』
「どうしても。アヤちゃんが見てる俺は、見かけだけだから」
『…私、宮原さんのこと、ちゃんと見えてなかった…んですか?』
「俺はお芝居上手で嘘吐きなんだ。だから、アヤちゃんは悪くない」
『…ごめんなさい、私、何も、解からなくて、』
「こっちこそ、ごめんね。…アヤちゃん」

 言ってしまいたい。全部、さらけ出してしまいたい。
 キミのことが大好きだよ。
 でも、今の俺には力が無いから。キミを守る、守りきる力がないから。
 それどころか、自分を支えることだけで精一杯なんだ。
 でも、いつか、きっと、

「…時間をくれる?」
『時間…ですか』

 アヤちゃんのさっきの誉め言葉が本当になったら、

「今の、ナシ。ごめん。ホントにダメだな、俺。アヤちゃんのこと好きだから甘えちゃうよ」
『…もう、何がホントかわかんないですっ』

 ごめんね。茶化さないと、言えなくて。

『あ、そだ、お祝いに貰った音楽聴いてるんですけど、“木星”の歌を入れたのって宮原さんでしょう?』
「アタリ。木星コレクション。いろんな人が歌ってるでしょ」
『星が好きなんですか?歌が好きなんですか?』
「いつか、木星を見せてあげる。世界観変わっちゃうよ」
『いつか、ですね。楽しみにしてます』

 ガチャガチャ!と乱暴に部屋の扉が開閉して、芦川が戻ってきた。
 俺が携帯で話してるのを見て、バツが悪そうに物音を小さくして視線を外した。
 あ、照れ隠し。

『お兄ちゃん、ですか?』
「うん。話す?」
『ううん、いいです。あの、この電話もナイショにしててください』
「了解。じゃ、またね」
『はい。おやすみなさい』

 つとめて明るく、電話が切れた。
 通話終了の文字を見つめて、小さくため息をつく。

「今の電話、アヤだろ」

 こちらを見ずに、机に頬杖をついたまま、芦川が聞いてくる。ナイショにしたって意味無いんだよね。

「うん。…振った」
「………、宮原、お前、…バカか!?何を考えてるんだ!」

 芦川は、天国から地獄へ移動って感じだろうか。肩を震わせて、本気の罵声を浴びせてくる。

「どうして欲しいんですか?お兄ちゃんは」
「お前がお兄ちゃんて言うな!」
「アヤちゃんのことが好きなのは本気。でも今はダメ」
「…そういう意味か。バカ。アヤを傷つけるな」
「うん。ごめん、芦川」
「お前の笑ってる顔…ムカツク。見たくない」

 芦川はノロノロと自分のベッドに入り込んで、カーテンを引いて閉じこもった。
 携帯を操作する小さな音がする。毛布に潜ってやってるな。相手は三谷、かな。
 机の上の辞書を再び開く。
 英訳のレポート、いつになったら終わるだろうか。
 音楽プレイヤーのヘッドホンに手を伸ばしかけて、やめた。











おわり










アヤちゃんと宮原は、もにょもにょとじれったいのが好きです♪
・・・
ごめん、アヤちゃん!

2007.01.28〜02.14


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