茜雲





 夕立で湿ったブルーシートを持ち上げて、僅かな隙間から中に潜り込む。
 最初に三谷とここに入りこんだのは、5月だったろうか。幽霊を探しにふたりで深夜に入り込んだのだ。
 今は8月。三谷が失踪してもう3週間も経つ。
 三谷の小母さんは入院したままで、時々母ちゃんとお見舞いに行くけれど、いつもいつ見にいっても泣いてる。小母さん、すごく痩せた。
 オレが話しかけると、悲しそうに申し訳無さそうに泣く。だから、最近はお見舞いに行くのも迷う。でも母ちゃんは行けって言う。

 三谷はどこへ行ったのか。
 一緒に消えた、隣の組の芦川ってヤツも同じところにいるのか。
 散らかりっぱなしの鉄骨の間を抜けて、階段を上がる。
 かつん、かつん、響く足音に、自分以外の物音が混じった気がした。

「誰?誰かいるのか?三谷か!?」

 階段を駆け上る、その先に、てっぺんに、人影が見えた。
 逆光で見えにくかったけど、三谷じゃなかった。芦川でも。
 お互いに、相手がわかって同時にがっかりした。

「小村、か。芦川かと思った」
「それは、コッチのセリフだぜ。なんで宮原がこんなとこにいるんだよ」

 急いで上ってきた分の息をまとめてしていると、狭い階段のてっぺんを宮原が半分あけてくれた。鉄骨の手すりがグラグラ揺れてる。

「このビルに出る幽霊が、あいつらを連れてったんじゃないかと思って」
「それでここに?お前も連れていかれたらどーすんだよ」
「いいんじゃない?」
「よくない!いいわけないだろ!」

 怒鳴ってから気付いた。
 宮原も、三谷の小母さんみたいに泣いてる顔だった。
 探して探して探し疲れた顔だった。

「芦川、どこにいったんだろ」
「三谷もね。いるとしたら、ここしかないと思うのに、いつもいない。あいつら、このビルにこだわってたし」

 宮原にも心当たりがあるのか。
 春先から僕らの学校をにぎわせた幽霊騒ぎ。
 何も知らない転校生のくせに話題の中心にいた芦川。
 奇妙なほど不思議な現象にこだわっていた三谷。
「芦川と三谷は死んだんじゃないか」そんな噂も駆け巡った。
 芦川の家庭環境のことも学校中、特に5年生には筒抜けだったし、三谷の家が離婚で揉めてたことも、今は皆が知ってる。
 だから、親に、保護者に愛想が尽きてふたりで世を儚んで、なんて。
 馬鹿馬鹿しい。吐き捨てつつもちょっぴり自信がなくなるのだ。今は小学生だって簡単に自殺してしまう時代だから。

「あいつらの共通点ってなんなのかな」
「親に殺されかけたってことじゃないのか」
「意地悪いこと言うのな、宮原って」

 意外だった。いつも穏やかに笑ってるとこしか知らない学年イチの優等生が、届かない入道雲の上を睨みつけてるなんて、きっと今の自分以外、誰も知らない。

「三谷のとこ、ガス中毒だったんだろ、子供も道連れに。なんで大人って一人で死ねないのかな」
「ひょっとして、怒ってんの?」

 宮原は顔を背けて、うつむいた。
「夢を見るんだ」と呟く。
 オレも、夢を見るよ。
 三谷と一緒に野球をして遊んで、親父に誉められたときのこととか。イチロー顔負けだ!って。
 なのに、バットを振る三谷は、この世界の恰好をしてなかった。
 きっと、宮原の夢に出てくるあいつらも。
 三谷の小母さんも言ってた。亘の夢をみるって。今までは「楽しかった家族の思い出」のことかと思ってたけど、違う気がしてきた。
 遠い世界の夢。それはオレたちの夢とも繋がってるんじゃないだろうか。

「芦川は、帰ってくるのを誰が待ってるんだろう」
「宮原が待ってるし、オレも待つ。そんできっと…」
「きっと?」
「三谷はさ、芦川が帰ってくるのが待ちきれなくて、一緒に行っちまったんだぜ」

 言ってから納得する。そうだ、三谷ならきっとそうする。
 三谷は芦川を連れ戻しに行ったんだ。
 思いついたら即行動、ってオレよりも三谷のほうがやっちまってたもん。いつだって。

「小村が言うと、そんな風に思えるよ。芦川は三谷が連れて帰ってくる」

 宮原が空の上を指差す。
 遠い入道雲の上に七色の橋がかかった。
 斜めに夕陽が差し込む幽霊ビルのてっぺんで、茜色に染まる雲の向こう側にある世界を、オレたちは思った。





おわり。








三谷母がワタルの旅を夢に見たように、
カッちゃんと宮原も、何か感じていればいい。

2006.12.03


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