アウトバースト





 双眼鏡を引っ掴んで、秋の夕空に飛び出した。
 今のうちに、まだ夕陽が残るうちに、観測場所を探さないと。

 きっかけは、地学部顧問からの短いメール。
「スワン彗星の等級光度が4等級台」
 それで十分だ。星観人の心を騒がせるには。

 西側に障害物が無くて、街灯も無くてある程度暗い場所。
 丁度いい!と足を止めたところから双眼鏡を覗いてたら、どこかの小母さんが不審そうにこちらを見る。
 しまった、手前にマンションが…覗きだと思われる!
 慌ててまた走り出す。

 いろいろ探してみたけれど、結局、三橋神社になった。観測地として最良という場所ではないけれど、人目が無いという理由ではピカイチだ。
 錆びたジャングルジムの上、杜の木は高いけれど、西の空を覆いつくすほどではなく。
 あとは、高度だな。ヘラクレス座はかなり低くなってるから。
 双眼鏡を遠いビルの上の赤い点滅灯に向けて、ピントを合わせて、

「変質者!?」

 ガラガラガラン!大きな音を立てて、双眼鏡のケースが落ちた。

「よ、よかった、ケースだけで・・・」
「祐太郎さん…、何やってるんですか?」
「アヤちゃん。とりあえず、携帯、通報するの止めてくれる?」

 暗闇に慣れた目は、小学生の女の子が戸惑っている姿をはっきり映す。彼女からはコチラが見えにくいはず。

「コメットウォッチャー!スワン彗星がアウトバーストしてさ、大慌てで見に来たんだ」
「え?」
「彗星の尾が見えるよ。核が割れたのかな?急に明るくなって」

 落日の最後がオレンジ色に燃え、空が藍色に染まっていく。
 三日月、ベガの白い輝きから西に、見えなくなったアークトゥルスの方向へ。
 記憶の中の星図を辿って、あの辺り、かな。かんむり座とヘラクレス座の間、4等級台だともう少し暗くならなきゃ見えないか。

「落し物、持ってきました」
「ありがと」

 アヤちゃんもジャングルジムの一番上まで登ってきた。スカートだけど…まあ、暗闇だから普通の人には見えないでしょう。
 今度こそ落とさないように、双眼鏡のケースを鉄棒に括りつけた。

「まだ帰らなくていいの?」
「おにいちゃんは亘おにいちゃんのところだし、叔母さんはまだ帰ってこないし」
「アヤちゃんがよければ一緒に観測しない?あの辺りにいるんだ、スワン彗星が。きっともうすぐ見えるはず」
「祐太郎さん!」
「は、…ハイ?」
「・・・・・・・なんでもないです」

 なんなんだろう。折角観測場所まで来たのに、アヤちゃんは空を見上げてくれない。
 興味ないのかな?

「アヤちゃん、星わかる?たなばた星、真上のあれだよ」
「もう10月終わりですよ?なんで7月の星があるんですか?」
「・・・説明していい?」

 地球の本当の一日は23時間と56分、残りの4分の間に公転した分を自転が追いつく。一日4分のズレが季節の星座のズレになり、積もり積もれば4年に一度のうるう日になるわけだ。
 初夏の頃のたなばた星は今の位置とは約90度、西側に動いて見えるから、秋空にもまだその姿が残っている。

「わかる?」
「全然わかりません」
「ごめん、説明下手で」
「彗星、どこにあるんですか?」

 怒ったみたいに言った後、アヤちゃんは急に笑い出した。

「祐太郎さん、子供みたい」
「そうかなぁ」
「じゃなかったら、恋人に会いに来たみたい」
「あ、いいね、それ」

 遊具の隙間に見える蛍光灯が、明かりを増した。
 空は天文薄明。
 狙った辺りに双眼鏡を向けると、いた。薄く尾を曳く小さな小さな雲が。

「肉眼でも見える・・・。小さいけど」
「どれですか?」
「ええと、上から辿るよ。白い明るい星から下にきて、ウエストのキュっとなったH形が横向いてるでしょ?その帯のところのちょい下あたりにいるんだけど」

 双眼鏡を渡して、大体の方角へ向けてあげると、「あれかなぁ?」と小さなつぶやき。

「星っぽくないヤツですよね?」
「そうそう、雲っぽい。でも、あれ以外に雲は無いでしょ?」
「ホントに、細長い雲・・・」

 そこでやっと気付いた。
 アヤちゃん、すごい薄着だ。そりゃそうか、日差しが強い昼は暑いくらいだし。

「上着・・・、って俺のあんまりキレイじゃないけど」
「あ、ダメです、祐太郎さんが寒くなっちゃう」
「平気」
「だって」
「星観てるときは、寒く無いんだ。だから、着て」

 学校指定のカーディガンは乱雑な扱いを受けてかなりボロっぽくなっているけれど、何も無いよりはるかにマシだ。小さな肩を包みこむと、アヤちゃんはまた怒ってるような楽しいような、複雑な視線を向けてくる。

「祐太郎さんの彼女になる人って、大変」
「・・・どうせ、いないよ」

 アヤちゃんは「あはは」と笑って、空を見上げた。
 ぐるっと背中を逸らせて、東の空を指差す。

「祐太郎さん、あの星、なあに?」

 あれは、冬の星、カペラ。







おしまい。










天文ヲタは私です。

星に嫉妬・・・ってするらしい。(私はしたことが無い)(されたことはある)
スワン彗星、久々の目視可能彗星なので是非観測したいところ。
ウチからは条件最悪でダメっぽいんですが〜(涙)

2006.10.26


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