城東第一小運動会・前





1.



『三谷…助けてくれ』

 そんな電話に、亘が慌てて美鶴のマンションに来てみれば。

♪あなたがダイスキってー だれかーが思ってるー ときめくちからはまかせなさーい!

「おにいちゃん、ありがとう!!これ、ちょうどいいよ!」
「うん、よかったな…」

 軽快に歌って踊るアヤと対照的に美鶴は絶望的だった。
 ダイニングテーブルの上にある、琥珀色の液体を前にして。

「どうしたの?」
「飲めない…」

 大きめのグラスにナミナミと注がれたそれ。亘が手にして、飲んでみようと口を近づける、と。

「なにこれ!?」

 ツンとくるニオイに驚いて、グラスを置いた。

「ス」
「ス?」
「お酢。レモン入り黒酢ドリンク」
「なんで、そんなのがあるの?」

 美鶴がペラリと渡したのは、「じょうとうだいいち、いちねんせいだより」。
 なになに。
 運動会の演技にペットボトルを2本使います?

「芦川って普通にジュース飲むでしょ?炭酸好きだし、ペットボトルなんていくらでも…」
「アヤが、黒酢ドリンクのペットボトルじゃないとイヤだと言うんだ…」
「な、なんで?」
「小さくて四角いのじゃないと、手に余って持てないんだ」

 アヤは小学1年生にしてはかなり小柄な方で、手のひらも小さい。
 本人もそのことを気にしていて、けれど、負けないくらいいつも元気を振りまいてて。
 美鶴も、できるだけそういうハンディを感じさせないように、細やかに気を配って…いるのだけれど。

「せめて、開封してなかったら、母さんが飲んだのに…」
「そんな!これを飲むのか!?」
「女のヒトはこういうの好きだよ?美容と健康の為なら、なんでもできるんだ…」
「お前は?飲まないのか?背が伸びるかもしれないぞ」
「芦川は?ますます美人に磨きがかかるよ」

 そう言いあってみたところで、琥珀色の液体は消えることも無くふたりの間でゆらゆらしている。
 だからって、捨てるなんてできない!!
 共に貧乏性。ならば、これは絶対、消化しなくてはならない。

 どちらが?



おうちでの準備も運動会ですよ。







2.



『今週、20分休憩の時間に城東ヨサコイの練習をします。高学年は運動場へ・・・・』

「芦川、行かなくちゃ!」
「本当だ、芦川!」

 登校後間もなくの校内放送に、美鶴と一緒に歩いていた亘と、小村が声を揃えた。
 ちなみに、他の高学年児童に「行かなくちゃ」という雰囲気は無い。

「何、それ」
「城東ヨサコイだよ。僕らの学校で代々4年生が受け継ぐ運動会演技」
「こんな、感じでっ」

 小村が斜め上に腕を振り上げてピシッ!ピシッ!とポーズをキメる。

「だから?」
「4年生の演技の後に、高学年が全員出てきて一緒に踊るんだ」
「卒業生とか、高学年に兄弟がいる低学年の子も踊るよな」
「僕らは去年やったから知ってるけど」
「芦川、知らないだろ?」

 嬉々として身振り手振りを交えて喋る亘と小村に、美鶴は軽く頭痛がする、気がした。

「逃げたい」

 額に軽く指先を当てている悩ましげな姿に、そこらの女子などは逃亡経路をつくってあげたいと思ってる。
 けれど、そこに届いたもうひとりの声に、女子どもの思考は180度転回する。

「ダメだよ、芦川。全員参加なんだから」
「あ、宮原が今いいこと言った!」
「オレたちが付き合ってやるからさっ」
「み ん な で 練習すればいいんだよ」

 この宮原の発言により、5年生女子はこぞって20分休憩のヨサコイ練習に参加することになる…。



 2時間目終了のチャイムが鳴って、20分休憩。
 運動場の朝礼台の周りには、かなりの人数が集まっていた。
 今年初踊りの4年生と、6年生の転校生と一緒に踊ろうという20人くらいと、5年生は…何故かほとんどが出てきている。
「芦川くんが踊るんなら〜」と5年2組のみならず、他の組の女子までが出てきて、つられて男子も…という感じ。
 4年何組かの担任が、「踊れない子は前に集まって」と呼びかけたので、美鶴の他10人くらいが朝礼台の下にダラリと並んだ。
 なんでまたこんな踊りに気合をいれるんだか…つまらなそうな美鶴の視線の先に、亘と小村と宮原がコソコソ喋って何か相談していた。5年生の女子たちも、合図しあってキレイな等間隔に並んだ。

 音楽が始まる。
 見学組が驚いた。
 4年生はともかく、5・6年生の踊りは一糸乱れぬ調子で、マスゲームさながら。
 運動会のダンス演目用にアレンジされた曲に合わせて、手を挙げ、足を踏み鳴らし、ひらりひらりとジャンプする。
 印象的なのはみんなの笑顔だ。踊りなれている余裕だけじゃなくて、全員が同じ時空を共有する快感に酔っている。

 美鶴の視線は亘に集中する。亘もチラチラと美鶴に視線を送る。
 たのしそうだな。たのしいよ。変なヤツら。一緒にやろうよ。

「はい終わり〜。わかったか?」
「わかんない!先生、これ難しすぎ!」

 隣で見学していた6年生らしい男子が朝礼台の上に文句を言った。音楽も、振り付けも、かなり複雑だった。
 見学組はかなり不安なのだが、教師は「何回かやってればそのうちできる」とか言って取り合わない。

「芦川!」

 宮原が手招きする。

「憶えた?」
「んなわけないだろ」
「カンタンだよ、なぁミタニ?」
「カッちゃんの歌を聞いたらね」

 亘が言うと、小村が腹を抱えて笑い、宮原も顔を背けて笑いをこらえている。一体何事?
 再びヨサコイが流れ始めて2度目の踊りが始まる。
 亘たちは小村の歌に合わせて時々笑い転げながら、聞いてた女子たちも「コムラのバカー!」なんて叫びながら最後まで踊った。

 チャイムが鳴って、3時間目。

 美鶴はぼんやりと窓の外を眺める。4年生がヨサコイの練習をしている。
 絞り気味のボリュームも静まり返った教室には意味が無く。どこか近くの席でエンピツの先が作るリズムが聞こえる。
 美鶴の耳に、さっきの小村の歌が甦る。

   シュワッチ、シュワッチ、
   はーらへったドーン!
   おみこしかついで、ひだりもかついで、
   おーまわーりさーん!
   みぎう○なーげろ、ひだりうん○なーげろ、
   ふまずにじゃーんぷ!

「芦川、授業聞いてるか?」

 いつの間にか、黒板に図形が描かれていて、担任が渋い顔でこちらを見ていた。
「83ページ、問2、ア・イが同じ角度なら、ウの角度は?」
 小声でフォローが入る。

「45度、です」
「…はい正解。宮原、余計なお世話はいいから黙ってろ」

 前の席が首をすくめた。
 窓の外は、4年生の真剣な顔が並んでる。

 何とか踊れそうだな。
 見物を続けながら、美鶴もあの中に入る自分を想像すると、なんだかとても照れてしまい顔を上げられなくなった。



みんなで練習するのも運動会ですよ。







3.



 曇りの予報は晴れに外れた。乾いた風が心地よい土曜日。

 登校した児童はお弁当を教室に置いて運動場に出る。
 クラスは身長順の交互に紅白の組に分けられている。美鶴は白、亘も白。
「敵にならなくてよかった」とは亘の弁だ。
「そんなに俺に負けるのがイヤなのか」と美鶴が言ったらムッと唇を尖らせる。
 ちなみに、小村も白、応援団の長いハチマキとタスキを引き摺って走り回ってる。
 5年生の応援席は朝っぱらから騒がしい。

 開会式、校長の話が短く済んで、全校生徒でラジオ体操。
 保護者席にもパラパラと人が集まり始めた。
 多くは場所取りのシートを敷いて帰っていくのだけれど、ひとりだけ、ゴロリと寝転がってる小父さんがいる。
 クスクス笑い声がさざなみみたいに広がる。
 小村が「あちゃー!」と盛大に額を叩いた。

 体操が終わって応援席に戻る途中、美鶴は宮原を捕まえた。
 宮原は赤組、応援団の赤いタスキが微風にたなびいている。

「応援合戦のとき、低学年の方に行くんだろ?」
「うん。あ、芦川の妹、赤組なのか」

 勘のいい学級委員長は、保護者席の方へ視線を走らせた。

「わかった。保護者と芦川の分も応援しておくよ」

 もともとそれが役目だけどね、と付け加えてのほほんと笑う。退場門へ走って移動する間、3人ほどの小母さんが「宮原くん!」と呼んで手を振ってきた。

「いまの、宮原の保護者?」
「違うよ。近所の小母さん。俺のところは来られないと思うんだけどな」

 にこやかに手を振り返す、宮原はご近所アイドルなのだろう。

「父さんは土日が休めないし、妹が小さいから母さんもムリできないし」

 ふうん、聞きながら考える。応援団までやりながら、宮原の応援は誰がするんだろう。

「頑張れよ」

 思わず言葉に出してしまった美鶴に、宮原は満面の笑みを浮かべた。

「お互い様でしょ」


 応援席に戻ろうとした美鶴を、大声で呼ぶヤツがいる。「あしかわー!」「あしかわー!」煩い。
 さっきゴロ寝をしていた小父さんが起き上がり、赤く焼けた顔(よく見ると酒焼けだった)で小村と亘を笑わせている。

「芦川!これ、オレの親父!」
「これ、たぁ何だ!バカたれ息子が!アシカワくんはワタルちゃんの友達だってなぁ」
「芦川ってすごく走るの速いんだよ。小父さんきっと応援のしがいがあるよ」

 はぁ、美鶴は適当に、それでもとりあえずは失礼の無いように相槌をうつ。
 言ってる最中から亘はこみ上げる笑いを抑えるのが大変だった。

 5年生、最初の種目は棒引き。
 火薬の弾ける音を合図に、11本の棒を奪い合う。
 亘に誉められた程度には速足の美鶴が、ひとりで一本奪って自陣に戻ってくると、

『いよぅ!オトコマエだねぇ、アシカワくん!』

 保護者席から飛んだ校舎がビリビリ震えるような大声援に、美鶴は背中が硬直するほど驚いた。
 小村の小父さんは声がでかすぎだ。
 ついでに、親子でそっくりだ。
 驚きをそんな感想に変えて、美鶴は新たな棒を目指してフィールドへ戻っていった。



保護者さまの応援も運動会ですよ。







4.



 一年生が♪プリッキュアーで踊ってるのを、美鶴は目を細めて眺めていた。
 アヤが音楽に合わせて、ヒラヒラの飾りがついたペットボトルをバトンのように振り回して、他の子たちと一緒に跳ね回ってる。
 アヤも美鶴を見つけて、大喜びでジャンプ!そのせいで着地のタイミングがズレてしまったけれど、それもご愛嬌。
 はっちゃけぶっちゃけノーノープロブレム!

 幻界のことがなければ、こんな幸せな景色を見ることはなかった。

「芦川!ちょっと」

 競技は2年生のボール運び。
 本当なら応援席の前で声を張り上げてるハズの宮原が美鶴を呼んだ。赤帽を脱いで目立たないように。

「運動会の手伝い役、何も当たってなかったよな?」
「あ、ああ。運良く」
「その強運、ひっくり返してやろう。さっき3組の体育委員が転んで怪我しちゃってさ、代理探してたんだ」

 あからさまに「面倒くさい」と顔で現す美鶴。

「なんだよ。芦川の為にトクベツにその役を奪ってきたのにさ」

 自信たっぷりな宮原に、美鶴の不審も僅かに後退した。



 入場門から一年生たちが精一杯腕と足を振り上げて行進してくる。
 赤が勝つか、白が勝つか、僕らの頑張りにかかってるんだぞ!
 そんな気迫。幼いばかりではない!といわんばかり。でもやっぱり可愛らしい。
 一列ずつの行進はくるりと円を描く。中央には、それぞれの組色のカゴ。

「あっ!」

 思わず声をあげたアヤに、隣の友達が「どうしたの?」と聞いた。「ううん、なんでもない!」そう応えながら、アヤは嬉しくて仕方が無い。
 赤組のカゴ持ち役に、おにいちゃんがいる。何にも知らないみたいに、赤い帽子を深めに被って下を向いてるけれど、いちばん近いところでおにいちゃんがアヤを応援してくれる。

「がんばろうね!」

 大きく宣言すると、アヤの周りで「おおーう!」と声が上がった。
 美鶴の口元が小さく動いた。

「がんばれ、アヤ」



 パァン!と始まりの合図…から1分近く経っているのに、一向にカゴに玉は集まらなかった。
 ドバドバ振ってくる玉を耐えながら、美鶴は可笑しくて仕方が無い。
 アヤがいる世界はこんなにも明るい。

 この世界を与えてくれたワタルと、支えてくれる友人たちに、美鶴は深く感謝する。

 それにしたって、1年生の玉入れって、全然カゴに入らない。
 涙目になるのは、それが可笑しいせいに違いない。



競技のお手伝いも運動会ですよ。






後編へ続く。



ほぼ、自分ちの運動会がネタです。

1.黒酢ドリンクを2本飲んだのは私。
2.伝統継承演技、みんなで踊るとすごいかっこいいです。
3.おばちゃんのアイドルは本当にいます。
4.お手伝いの子を見て、つい妄想…通報しないで…!!

2006.10.08


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