「お前の名前を言え。言わないならもっと酷くする。言えば楽にしてやるよ」
言ってしまったら、終わりだ。
腕から注入されるのは、寄生虫のような毒。全身に這い回る。
太い虫、細い虫、ねばつく体液は鈍い痛みと、焦れる快感を伴って、穴という穴に潜り込む。
熱くて焼ける、冷たくて凍える。
払っても、払っても、纏わり着いて締め上げる。
足掻いても、足掻いても、かかるものも無い。
鏡に写るのは、
「お前の名前を言え。言わないならもっと酷くする。言えば楽にしてやるよ」
鏡に写るのは、小夜子、
引き裂かれる、いつも、何故?
farewell -03
「イヤ…いやだああ!・・・も、だれか、たすけ」
「大丈夫よ、もう安全よ。ここがどこかわかる?私がわかる?」
みたことがある、ここ、どこだ、このひとは、
「…ロミさん、ヒロミさん…?…はっ…ぁ…ここ、ど、」
「渋谷のうらない屋の上の事務所。わかるでしょ?昨日倒れてたんだよ?憶えてる?」
「わから、な…、ぁくさん、せ…」
「莫山先生はユウちゃんのこと守ってくれるから大丈夫。水、飲みなさい。脱水で死ぬわよ」
「いらない、吐きそ…」
ペットボトルがおしつけられた、もんどうむよう、
口をつけると、流れ込む水に毒素が薄くなる気がする、呼吸が安定して、表面の意識がハッキリしてくる。
綿のシャツが汗でびしょ濡れだ。汗だけじゃなくて、涙、涎、吐いた胃液、多分失禁もある。
「覚せい剤?短期でこんなに皮下に打ったんじゃ、致死量スレスレね。穏やかじゃないわ」
「い、今の、が、フラッシュバックかな?頭痛い…吐きそ、すみません、迷惑かけて」
「なんでこんなにやられたの?」
「殴り殺されるのと、どっちがラクかって、選択肢が、あったから」
手渡された服に、ソファの影で着替えると、いくらか気分が浮上する。
だるさに耐え切れず、そのまま床に転がった。
「バカねぇ。莫山先生はユウちゃんが何に追われてるか、大体ご存知よ」
さすが、謎のうらない師…。もちろん占いで知ったんじゃなくて、あの人には暴力団関係のルートもあって、手を廻して下さったんだろう。えらい弁護士のセンセーなのに、本業間違えてるよ、あの人。
「まだ具合悪そうだけど、カイちゃん呼んで髪の染めてもらおうよ。見た目を変えたほうが安全だから」
「美容師だっけ?ついでに切ってもらおう。別料金かなぁ」
ヒロミさんの手のひらが額に当たる。握られた冷たい石の感覚が心地よい。身に着けているアクセサリーは実用的。この人の占いは雑誌の連載よりも、実際に占って貰う方がいいな。
「先生がね、宮原のお父さんには連絡済みだから、帰れるようになるまでうちにいなさいって。ついでに風水占い叩き込むって言ってたわ。あたしが先に宝石占い教える予定だったのにね?」
「帰れるようになるまで、かぁ…。父さんにも迷惑かけちゃったな。折角、今まで守っててくれたのに」
喋ってないとこのまま死にそうだ。震えが止まらない。脳のどの部分に異常をきたしてるんだろうか。解体して洗えば元通りになるんだろうか。生物教室で標本台に貼り付けて、メスを入れて、開いていくのは俺の頭、じゃなくて小夜子の頭?
変な夢、いつも、殺されるのはいつも小夜子だ。俺の代わりに。
懐かしいな、学校の教室、もう帰れないかもしれない。
書置きはしてきたけれど、あいつら、どうしてるかな。三谷、芦川。
家には母さんがいて、父さんがいて、弟は同じ学校に通うのかな、妹の手芸は上手くなったかな、それから、それから、小夜子は死んだんだっけ。正気を保てない、どうしても。
小夜子が戻ってしまったのはこのせいか。クスリがあればラクになれる、このままだと狂ってしまう。
帰れるのかな?おれ、帰る場所があるのかな?
手紙なんか置いてくるんじゃなかった。
すごく未練があるみたいだ。
…あるんだ。俺は、あいつらと一緒にいるのが好きだった。
でも、もうすごく遠い。
消えてしまいそうだ。
ああ、そうだ、アヤちゃんと一緒に、遠くへ行くって約束してたっけ…。
頭の中で、ガチャガチャとガラスが割れて突き刺さっていく、そんな痛みが満ちる。神経が切れていく。
目が見えない、耳が聞こえない、声が出ない、空気が無い、足が着かない、堕ちる、
また…。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
宮原がいなくなって2週間。
級友から、あいつはいつ出てくるのか、と聞かれることも少なくなった。
その代わり、学校辞めるんじゃないか、という雰囲気が薄々漂っている。
進学校だから、突然学校を去る者も多い。宮原の場合は授業についていけないという理由じゃないけれど、消える直前に「恋人ができた」とみんなが知っていた。女に狂って、という理由ならありえないわけでもない。納得できてしまう。
相変わらず、クラス代表代理をなんとかこなしながらも、亘はいたたまれない。気分を察して、美鶴も亘と一緒にいる時間が増えた。
掲示板の整理を終えて、展示物を返却するときのふたりのため息を、クラス担任が気付いた。
「代理すまないな。お前たち、宮原のこと何か聞いてないか?」
顔を見合わせた。まさか辞めるという噂が本当だったりしないだろうか。
焦りを隠せず、亘はうろたえる。
「いいえ、僕たちは何も。まずい事でもあるんですか?」
「出席日数がなぁ。このまま続くとさすがに支障が出るだろう?」
「学校には連絡入ってないんですか?」
「初日に家から電話があったきりだ。確か、遠い親戚が亡くなったとか」
「亡くなった?」
初めて聞く話だ。
「忌引きでは長すぎますよね?」
「まあ、根が真面目な宮原のことだから、その通りだと信じてはいるが、そんな理由でズル休みするヤツもいるからな。本人が出てきてから詳しく事情を聞くさ」
職員室を辞しながら、亘と美鶴はもう一度顔を見合わせる。
嘘でも本当でも。やっと、糸口を掴んだ気がした。
その日、亘は再び宮原の家まで行ってみることにした。今度は美鶴も一緒に。
玄関で呼び鈴を押して、応えたのは宮原の母親だった。
美鶴はインターホン越しに丁寧に名乗り、「宮原くんの忌引きの件で」とその先を濁した。扉が開いてからも、完璧な立ち居振る舞いを崩さない。宮原の母親に向かう丁寧すぎるほどの口調は、ごまかしを許さない迫力を帯びている。
だが、少しも怯まず、柔らかな微笑をうかべた宮原の母親は、「どうぞ、中へ」と、息子不在の部屋へふたりを通した。その様子が、宮原にとてもよく似ていた。
家の中は、不幸事の影も無かった。父親のガソリンスタンドはいつも通りに営業しているし、弟妹は普通に学校に行き、塾に通ったり友達の家へ遊びに行ったりしている。母親も、一見何も変わらない。
宮原だけが、消えてなくなって、それでも日々は動いている。
彼の部屋だけが、空白を主張している。
「あの子を心配してくれて、ありがとう。芦川くん、三谷くん」
「宮原、どこに行ったんですか?いつ帰ってくるんですか?」
「俺たちのところには、メモがありました。帰れないかもしれないってどういう意味ですか?」
矢継ぎ早に聞く。母親の落ち着き様も、美鶴には苛立たしかった。
「居場所は、私も知りません。帰れないかもしれない…、そうね、あの子のせいで私たち家族や、あなたたちにまで問題が起こるようなら、あの子は帰ってこない方がいいわ」
突き放したような言い方に美鶴は激する。
「あなたは、宮原が戻らなくてもいいんですか?家族なのに」
その冷たい怒りも、宮原の母親は静かに受け止めた。何故か亘にはその姿が自分の母、邦子に似ていると思った。
「あの子はきっと帰ってくる。そう信じることしか、私にはできません。今は帰れば、総てを失うし何も守れない。だからひとりでがんばっている」
「お母さんも、心配、なんですよね?」
「当然でしょう?あの子はひとりで行っちゃったんだもの」
まるで、幻界への旅を見守っていてくれた、邦子と同じ、母性だ。
「僕らで、力になれることはありませんか?」
亘が問うと、宮原の母親はくるりと部屋を見回して、いなくなった子供に思いを馳せる。
「あの子が、何も言わないのは、それだけ私たちを大切に思ってるからだわ。大切な人にほど、絶対に言わない」
言いながら、その認識を確かめている。そんな感じだった。
そこから、何も聞けなくなった。
美鶴は寮ではなく自宅のマンションへ帰る。
翌日からの連休に叔母が仕事で家を空けるので、アヤの保護者役を買ったのだ。(アヤは留守番くらいひとりでできるとゴネたのだけれど)
亘と通り慣れた町内の細道を歩いて、ぽつぽつと、浮かぶ疑問を口にする。
「あいつ、なんで寮に入ったんだろう」
「家で勉強しづらいから、じゃないの?」
「弟妹も、もう幼児ほど手がかかる年齢じゃないだろ。家にはあいつの部屋だってある。去年までは家から通ってたじゃないか」
「…家、宮原がいなくても、普通になってたね」
「寮だって、住み着いてるって程じゃない。いつ、こんな風に消えてもいいように準備してたんじゃないか」
ひとりだけでそっとフェイドアウトする、宮原なら簡単な芸当に思える。
「それにしちゃ、クラス代表や有志を引き受けすぎだよ」
「いつでも周囲にいい顔を見せて?あいつに不満があったり敵らしいヤツなんかどこにもいない」
普通、人の印象はマイナスの方に興味が向くものだ。いい人のいいところよりも、嫌いなヤツの嫌いなところ。
もし、いなくなっても、印象に残りにくいように?
「…どうして、僕と美鶴の傍にいるのかな?一緒にいると楽しいから、だと思ってたけど」
小学校のときから。
亘が親の離婚の問題が学校で騒がれて揺れたときも、さりげなく級友たちの間に入ってくれた。
美鶴の過去に起こった事件の噂が再燃するたびに、率先して大人な対応をして、みんなをガキっぽい感情から卒業させた。
亘と美鶴の間に友情以上の感情が生まれた頃も、ともすれば傷つけあいそうな関係を、小村と一緒に支えてくれた。
二人以上で遊ぶときには、大概一緒に行動してくれた。
「別の理由があるとすれば?」
「僕たちが、目立つから、かな?」
宮原なら、亘と美鶴以外に親しい友人を作ることも簡単だ。けれど、そうすれば宮原も目立つ。客観的に見てみると、宮原も美鶴や亘と同程度に強い個性がある。
なのに、それに気付かせなかった。距離が近すぎて、見えなかったのだ。
「なんで、僕たちに、何にも言ってくれないんだろう」
落ち込む亘の肩を抱きながら、美鶴の耳に、宮原の母親の言葉がこだまする。
大切な人ほど、絶対に言わない。
「信じて、待ってていいんだよね」
「それしか、できることが無いだろう」
つづく
2006.09.12
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