行ってはいけない。
失敗すれば今のお前の、大切なもの、総てを失うよ。
来てはいけない。
次に狙われるのはあなたと、あなたの大切な人たちなのよ。
わかってる。それでも、だ。
あいつが来れば、許してやる。
あいつが来なければ、許さない。
あいつが来れば、殺してやる。
あいつが来なければ、
farewell -02
「ご家族の方ですか?」
「いいえ、ちょっと前に知り合って」
「小夜子さん、楽しそうに電話してましたよ。随分お若い恋人さん、ですね」
葬儀、なんてもんじゃない。遺体を焼いて、共同墓地に入れただけだ。その骨さえもほとんど残らなかった。
付き合ってくれたのは、年取った看護士ひとり。
たったひとつの遺品といえる、ピンク色の携帯電話。
ポケットから同じものを出して、二つをこっそり看護士のカバンに入れた。
後で必ず取りに行きます。メモをした一万円札を挟んで。
斎場なんて淋しいところにあるのが普通で、何が起こっても、助けを呼んでもどうしようもない。
正午の日差しに当たって真っ黒の影ができる。歩く速度を追い越して、ゆっくり車がとまる。
降りてくる喪服のような、黒い服が4人。不自然じゃないなぁ。ちょっと感心。
「深沢祐太郎くん、だろう?」
そいつは俺が5歳のときにこの世から消えた。日本国中のどこからもその戸籍は出てこないよ。
「違います」
「小夜子によく似ている。あの男はまだ逃げてるんだが、お前が代われば命だけは助けてやろうじゃないか」
冗談。小夜子を殺したくせに。
お前達が。あいつが。
「先ずお前の母親の居場所を教えてもらおう。さぞかしお幸せに暮らしてるんだろうな」
言い出すことがあまりにも予想通り過ぎて、苦笑してしまう。
後ろにまわった男が、腕をねじり上げた。無抵抗で捕らえられる。
どうせ暴行されるんなら、可能な限り体力は温存しておきたい。
「賢いな。すぐに殺しはしないよ」
若い女なら、客でも取らせるんだろう。小夜子のように。
男なら?バラされて臓器売買されて、ってとこかな。
怪我をさせられて逃げられなくなるのも困る。時間を稼がないと。
路線、変更。
芦川と三谷が「したそう」なときの顔を思い浮かべてみよう。ほら、芦川が三谷に何か言われて、照れるときの。
がんばれ俺…。
「やめて、手が、いたい」
言った自分が驚くほど、艶を帯びた声。
一瞬で男たちの目の色が変わった。可笑しいほど単純な欲望だ。心の中だけで苦笑する。
「こいつ、あっちの店に売れそうだ」
「その前に、クスリ打ってやろう。痛くないようにな」
乱暴に車の後部座席に押し込まれると、途端に伸びてくる、汗ばんだ指。
視界に入るきもちわるいエロオヤジは脳内削除して、仲の良い同級生が睦まじくやってる、と思うことにする。
「いやだぁ、やめて、ください」
演技に酔ってくると、覚悟と、度胸が据わる。どうにかして、逃げるチャンスを掴まなくては。
帰ったら、あいつらに礼を言わなきゃなぁ。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
休みが明けても宮原は学校に来ない。当然、寮にも戻ってこない。
自転車通学を続けている亘は、下校途中に自宅のすぐ近所にある宮原の家に様子を伺いに行ってみた。けれど、そこにも宮原はいなかった。
応対に出た小学5年生の弟は、
「兄は家にいません。どこに行ったかも僕はわかりません」
と、戸惑いがちに繰り返すばかり。
弟にとってそれが真実なのだろう。兄がどこへ行ったのか、本当に知らない。
兄の行方を両親から教えてもらえないことの悔しさよりも、突き当たった壁の大きさに、途方に暮れているようだった。
「じゃあ、何かわかったら教えてください」
ごく普通に亘が告げた言葉にも、弟は申し訳無さそうに目を伏せた。
宮原の行方は強固に隠されている。
「家出、かなぁ」
クラス代表代理を押し付けられた亘が教室に溜まったプリントを撤去しつつ、手伝いに巻き込んだ美鶴に宮原の家の話をする。
「まさか、幻界じゃないよね。あの手紙、美鶴のと同じじゃないの?」
「幻界でも、願いを叶えたら帰れる。最初から戻れないなんて、書かないだろう?」
確かに。幻界の旅人なら、最初から諦めた旅などしないだろう。
「普通に考えれば、携帯電話の女の所じゃないか。あんなに頻繁だったんだし」
「けどさぁ、それってこんなに隠す話?前にもあったじゃん。同学年で、かけおちしちゃったヤツ」
それは他人のことにあまり関心が無い美鶴でも聞いた話だった。付き合ってた女子高生との間に子供ができたとかで、逃げたつもりですぐに知人・友人からアシがついて、連れ戻された。婚約して丸く収まるまで、学年じゅうで大騒ぎだった。
比べて、宮原の逃げっぷりは見事なものだ。誰も宮原の行方を知らない。
そして、何故か、誰も宮原の不在を困らなかった。
亘にしても、普段から宮原の仕事に巻き込まれていたことと、美鶴の細やかなフォローもあって、無難にクラス代表代理をこなしてしまった。
他の部活や生徒会活動にしても、誰かが宮原から「すべきこと」をしっかり伝授されている。
まるで、線路の上を惰性で走るトロッコみたいに、軋みながらも道を誤ることがない。そして、スピードが遅くなれば、誰かが慌ててハンドルを漕ぐのだ。
宮原がいなくても、前に進むことはできる。
「でも、いつになったら帰ってくるんだろう、宮原」
しっかり者の宮原のことだから、線路が途切れる前に戻るつもりなのだ。
そう思いたいのに、どこか不安が付き纏う。
「宮原はいつ帰ってくるんだ?」
3、4日すると、同級生たちも亘と美鶴にその問いをもってくる。当然、答えることはできなかった。
「お前ら知らないの?友達じゃねぇの?」
「友達、だけど」
「だよなぁ。お前らがいちばん宮原と仲いいし」
同級生も自分たちをそんな風に見ていた。
3人は出身小学校も同じで、去年までは亘と登校が同じだったし、今は寮で美鶴と宮原は同室だ。
正確には、亘と美鶴は2人だけで完結した世界を作っていて、宮原は傍でずっと2人のフォローをしている。友人というポジションに置けるのは、他校に行った小村と、宮原だけだ。宮原も友人だと思ってくれている。そう信じて疑ったことなど一度も無かった。
なのに、今となっては宮原がどこにいるのか、どういう状態なのか、亘も美鶴もさっぱりわからないのだ。
2人なりに宮原の行方を捜してみたりも、した。
わかっているのは「年上の女」、一度だけ漏らした「小夜子」という名前。そして同じ通信会社の携帯電話を持っている。じゃないとあんなにかけっぱなしの通話なんてできないだろう。
宮原の交友関係は広い。部活は中学の頃から変わりないが、先輩つながりで大学まで遊びに行っている。
生徒会関係ならば、近い場所にある高校との交流行事にマメに顔をだしているし、年上と限定してみても、共学も女子高もあわせると10校ちかくになる。共通の顔見知りにそれとなく宮原のことを尋ねてみれば、
「宮原は友人は多いけれど彼女は知らない」
「小夜子という名前で宮原に近しい者に心当たりは無い」
となるのだ。
使っていた携帯電話から調べることもすぐに手が詰まった。誰も、宮原の携帯番号を聞いたことが無かったからだ。
「あの電話、小夜子って人以外とは話してなかったの?」
「ああ。その相手と話すための電話だとしても、他に、例えば家に電話をしたりとか、小夜子以外に使うことがあってもいいのに」
「そうじゃなかった?本当にひとりだけ?」
相手の女もそうなのだろうか。たったひとり同士の為の携帯電話。
「おかしくない?メールは?」
「メールは全く使ってなかった。通話にしか使っていない」
「…履歴に残るから、かな?メールは残っちゃうけど、通話は残らない。発信番号だって、お互いの番号しか登録してないんだったら、それは完全に閉鎖された世界だろ?」
「なんで、亘がそれに気付く?」
「僕、前に携帯盗られてさ、美鶴の番号とメアドを見られちゃったんだ。あれからロックの強いヤツに変えただろ?」
「…じゃあ、やっぱり宮原はどこにも何も痕跡を残さずにどこかへ行ってしまった、というわけか」
見事な失踪だ。
宮原なら、幻界に行っていても不思議じゃない。
本気で、途方に暮れる。
「早く、帰れよ」
怒りの混じった美鶴のつぶやきに、亘も、心を沿わせることしかできなかった。
友達だと思っていたのに、置いていかれた。
その不安と淋しさは、ふたり同じ痛みだった。
つづく
2006.09.11
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