腐臭




 サルの声が遠ざかる。キーキー。ギャアギャア。
 口の中に入れられた雑巾を唾と一緒に吐き出した。
 無音に溶け込もうと息を殺しているのに、ピィーンと耳鳴りが体育倉庫にこだまして聞こえる。
 僕の身体さえ、僕を裏切る。

   下校の時刻になりました。まだ校内に残っている児童はすみやかに

 身体中、あちこちが引きつるように痛む。
 足の間から生暖かいものが滴り落ちる。
 腕の力だけで上体を起こし、散らかされた服を探す。埃まみれの下着とズボン、今日はシャツを破かれていないだけマシだった。

 転がったボロ雑巾よりもボロボロだ。
 伸びてきた髪を後ろからも引っ張って顔を隠す。

 体育倉庫の重い扉を隙間からすり抜ける。校舎に戻ると昇降口から入り、教員用の靴箱に下足を入れる。
 僕の靴箱はゴミくず入れになっている。数日前からはわざわざ生ゴミやゴキブリの死骸まで入ってる。そこまでして僕を泣かせたいらしい。僕としてはその労力に感心さえしているのに。

 薄暗い廊下。はしゃぎ声ひとつ響かない。
 3階まで上がって、細く開いた教室のドアを覗くと、誰かが僕の机に何かをしていた。
 鉢合わせすると面倒だ。今日はこのまま帰るか、それとも教室の誰かが消えるまで待つか。
 僅かの間考えていると、その誰かが顔をあげ、僕に気付いた。

「芦川くん」

 クラス担任の教師だった。僕が一番キライな女。同情だけは十人前。

「今日、芦川くんの上靴が無かったでしょう?だから、探して見つけてきたの。ほら」

 ついでに洗ったのか、らくがきは消えていないが、泥は落ちていた。

「まだ校内に残ってると思って教室に入ったら、誰かが掃除の途中でバケツをひっくり返してそのまま帰っちゃったみたいで、それで」

 僕の机だけ、水浸しだったらしい。
 あらかたこの女が拭いたんだろう。体操服は濡れているけど。
 親切そうな笑みを浮かべる担任。でも僕はあなたを信じていないから。

「じゃあ、僕は帰ります。さよなら」

 カバンを掴んで出て行こうとすると、女が慌てて引きとめた。

「芦川くん!…背中、それ、どうしたの!?」

 薄いシャツの布地を越して、血が滲んでしまったらしい。

「ちょっと、待ちなさい」

 腕を引かれる。何も抵抗をしない。シャツを捲り上げられる。
 その、おぞましさ。

「離せ」
「…傷だらけ…まさか芦川くん、身体も」
「離せ」
「これは…犯罪だわ、校長…保護者にも連絡」
「離せと言ってる」
「言いなさい、誰にやられたの?」

 かみ合わない会話がばかばかしい。笑いがこみ上げてくる。

「あなたに何ができるんですか?」

 今まで、何をしてくれたんですか?
 騒ぎを大きくするばかりでしょう?
 僕がわざわざ校内で隙を作る理由もわかりませんか?

 外に出たら、殺されるからですよ?

「犯罪者の子供には何をしたって構わないんだよ」
「それは、間違いよ。みんな間違ってるのよ」
「なら、僕ひとりにかまけてないで、みんなとやらを守るのがあなたの仕事でしょう」

 みんな、だってさ。あのサルどもが。
 あんたはサルの調教もできないんだろ。

 ごめんなさい。と言って泣く。
 その十人前の涙が大嫌い。

「芦川くん、もっと、自分を大切にして」

 女が僕を抱きしめる。
 化粧品が薄く匂う。
 母親と同じ。
 全身が総毛立つ。

 僕は女を突き飛ばした。




おわり




小学3年くらい?えええー!?
いきなりすごいことしてすみません。
この子はキレイキレイと言われるだけに、絶対やられてると思います。

あー、全国の小学校の先生ごめんなさい。土下座。


2006.07.07


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