Fight! 〜前編〜 |
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宿中に甘い匂いが立ちこめる。 その匂いにある者は顔を綻ばせ、またある者は期待に胸を膨らませながら明日に想いを馳せる。 男達の決戦の日は明日。 だが一日早く戦場となった厨房では女の子達が腕捲りをして難敵に挑んでいた。 女の闘いはすでに始まっていた。 「あー!!リナさんそれ私の生クリームですー」 「何言ってんのよ。 早い者勝ちに決まってるじゃない」 甘い匂いとは裏腹に厨房には悲鳴とも怒声とも付かない声が響き渡る。 「酷いです。私が使おうと思ってたのにぃ」 「あんたはまだそこまで・・・ あー!アメリア。ナベ!ナベ! お湯が吹いてる!!」 「え?ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ・・・・・・またやり直し・・・」 お湯が入ってしまったボールを覗き込みアメリアはガックリと肩を落とした。 やり直しの回数はこれで半ダースを越え、新記録を樹立中だ。 「うう・・・リナさんの所為ですよぉ・・・」 「何でそうなるのよ。 大体あんたが生クリームを使うのはまだまだ先でしょうが」 「でもでもぉ・・・」 アメリアはぐしぐしと鼻を鳴らし恨みがましくリナを見る。 そんなアメリアにリナは嘆息した。 「それぐらい混ぜちゃえば分かんないって」 「いーえ。作るからには完璧を目指します!」 さすがにテーブルの上には上がらないが背後に炎を背負ったアメリアに、すかさずリナが水を差した。 「で、材料は?」 「・・・」 「さ、仕上げに入ろーっと」 ちゃっかりと生クリームを手にしたリナは涼しい顔で自分のチョコに入れる。 まだチョコを溶かし終えてないメリアとは対照的にリナはもう半分以上仕上がっていた。 温度が下がってきたチョコをバットに移すリナにアメリアが泣きついた。 明日のバレンタインの所為で品薄になったのを、町中の店を回ってやっと手に入れたチョコだ。 今更買いに行っても手に入らない。 「リナさーん」 「はいはい。んな事になるんじゃないかと思ってたわ。 ほらミリーナのチョコが残ってるから。 あれで出来るでしょ」 「本当ですか?!」 リナが親指で示した先には材料のチョコが置いてあるだけで本人の姿は既に無い。 使った物はきちんと片付けられ、そこに彼女が居たと分かる痕跡は、削られた残りのチョコだけとなっていた。 チョコを見つめる二人の間に言い難い空気が流れる。 失敗するからと言う理由で生クリームその他を断ったミリーナは、ほれぼれするような手つきでチョコを削った。 ミリーナに削られたチョコは薄くすけ、溶かすのが勿体ないような出来。 危なっかしい手つきでチョコを溶かし、これまた危なっかしい手つきでバットにチョコを流し込んだ。 出来上がったのは使った材料の半分程度の溝のない板チョコ。 呆気にとられるリナ達の視線に件の美女は『私は無器用ですから』と顔を赤らめ、逃げるように姿を消した。 「・・・・・・削るのは上手かったんだけどね・・・」 「そーですよねぇ・・・」 リナの隣で頷く少女はそのミリーナと同じくらい危なっかしい手つきでボールを扱い、ミリーナに遙か及ばない手つきでチョコを削っていた。 「・・・・・・はーっ・・・」 ごちっ。 握った拳に息を吹き掛けるとリナは容赦無く隣の少女の頭を撲った。 「痛いですぅ」 「あんたは人の事言えないでしょうが!」 「ふえぇぇん」 「泣いてる場合じゃないでしょう。 材料それで終わりなのよ!」 「うえぇぇーん」 「ったく・・・ もう少しであたしのが出来るから、そうしたら手伝ってあげるから」 どうしても自分だけで作りたいと言うから口は出しても手は出さなかったのだが、このままでは出来上がらないのは目に見えている。 何より食べ物を粗末にするのはお天道さまが許してもリナには許せない。 不満そうな顔をするアメリアを一睨みで黙らせると、かつてチョコレートだったものを指さした。 「あんた、あれ責任持って食べるのよ」 「えーーー」 今度こそ不満の声を上げたアメリアをもう一度睨み付ける。 「食べ物を粗末にする事は悪!」 「はっ。そうでした。 分かりました、わたしが責任を持って全て片付けます!!」 チョコを食べられなくしたのはアメリアだから片付けるのも当然アメリアの責任なのだが、 何故か胸をはってアメリアは片づけを受け持った。 「じゃ頑張ってね。 あたしはこれを仕上げちゃうから」 まんまと自分の片づけ物までアメリアに押し付けてリナは作業を再開し・・・ 「ほら、もっとちゃっちゃと混ぜる!」 「はい!」 「温度が下がりすぎ!」 「はいっ」 「今度は上がりすぎ!!」 「はいいっ」 「チョコレートは温度調整が命よ」 「はいぃぃぃ〜〜〜っ」 「ふっ。さっすがリナちゃん。プロ顔負けの腕前だね♪」 厨房のテーブルに陣取ったリナが出来上がったチョコを手に取り自画自賛する。 その横では、アメリアがぐったりとテーブルに突っ伏していたりする。 「アメリア、さっさとラッピングしちゃうわよ。 晩ご飯の用意までにここ返さないといけないんだから」 「はぃぃ・・・」 一応返事はしたものの頭がテーブルから上がる気配は無い。 リナの容赦無いスパルタのおかげで無事チョコは出来上がったのだが、その所為で本人は無事とは言い難い状態になっていた。 「これぐらいで音を上げるなんてやわねぇ・・・」 「これぐらい・・・」 「何よ、あたしなんか姉ちゃんにもっとしごかれたわよ?」 「もっと・・・」 譫言のように呟くアメリアにこれ以上言っても仕方がないと思ったのか、リナは一つ肩をすくめるとテーブルの反対側に陣取った。 そして艶やかにコーティングされたチョコに手を伸ばす。 「ラッピングの前に・・・あーーん・・・」 味見のつもりで手に取ったチョコを口に運ぶリナ。 と、そこへタイミングを計ったように厨房の入り口に長身の影が現れた。 「・・・いい匂いだなぁ・・・」 そのまま匂いに引かれるように、ガウリイはフラフラと厨房に入ってくると、積み上げてあるチョコに手を伸ばした。 「ダメ」 ばし。 ガウリイの手が空中で叩かれた。 そのくせもう片手に持ったチョコをこれ見よがしに口に運ぶ。 「ん〜〜、デリシャス♪やっぱりリナちゃん、天才♪」 「あ〜〜〜。リナだけずるいぞ。 こんなに沢山有るんだから1個ぐらいくれたって良いじゃ無いか」 「ダメったらダメー。これは明日の分なの」 「ちぇっ・・・じゃあ明日ならくれるのか?」 「明日ならね」 「分かった」 口振りこそ渋々引き下がるものだったが、その目が笑っているのをアメリアは見た。 「なんて、姑息な・・・」 タイミングを計ったように、ではない。 実際にはかっていたに違いない。 何と言う(リナの)チョコに掛ける執念! 改めてガウリイのリナに対する執着ぶりを確認させられて、アメリアの背中に戦慄が走った。 「・・・ガウリイさん、相変わらずですね・・・」 「そーね、相変わらずクラゲよねぇ・・・」 「・・・」 何も気付いていないリナの朗らかな声が救いと言えば救いだった。 この分なら明日間違いなくガウリイの手にチョコが渡るに違いない。 一安心したアメリアは自分のチョコを手に取った。 これを予め用意してあった箱に入れピンクの包装紙とリボンで包めば出来上がりだ。 暫く包装紙と無言の格闘を続けていたアメリアだが、リナはどう巻くつもりなのかと顔を上げた。 だが生憎とリナの様子は見えない。 リナのチョコは比喩抜きに山と積んであった。 「それにしてもリナさん、沢山作りましたねぇ・・・ ガウリイさん、これ全部食べたら太っちゃうんじゃ無いですか?」 「なーに言ってんのよ。 これ全部ガウリイにあげるわけ無いじゃない」 「え?」 顔も見えないチョコの山の向こうから至極真面目なリナの声が返ってきた。 思わず立ち上がれば、チョコの山の向こうに同じ大きさの小さな箱が量産されつつあった。 「ちょ、ちょっと待って下さい。 それ誰にあげるんです?」 事によっては血の雨が降ることになる。 ドキドキと祈るような気持ちでチョコを握りしめるアメリアの前でリナは一つずつ指を折っていく。 「えーっと。ゼルでしょ、ルークでしょ、フィルさんでしょ、ミルガズィアさんでしょ、レイルでしょ、バーグラーでしょ、ジェフリーはぢょせふぃーぬさんが怖いからパスとして、 ギザンでしょ、ワイザーのおっちゃんに、門番その1でしょ、それから・・・ 勿論父ちゃんとおまけにスポット。 後は・・・そーね、ゼロスも一応男に入れても良いかな」 折った指が広げられ、また折られ・・・次々と上がる名前に茫然としていたアメリアだが、ゼロスの名前に我に返った。 「リナさん、そんなに義理チョコを配る必要無いんですよ」 幾ら義理でも、ガウリイとゼロスを同列に扱うのはあんまりじゃないか。 遠回しにした抗議もリナの前では無意味だった。 「ギリ?ギリチョコって何?」 「リナさん?! まさかと思いますが、明日が何の日かご存じですよねぇ・・・」 「人をガウリイみたいに言わないでよ。 知ってるからこうやってチョコを作ってんじゃない」 「あ、あはは・・・そーですよね。 幾らリナさんでも・・・」 「それにしてもあんたもミリーナも欲がないわねぇ・・・ 一年に一度のチャンスなのに。 あたしなんか、来月が楽しみで楽しみで♪」 ニコニコと笑うリナの顔に嘘は無い。 音符付きの弾んだ声を聞きながらアメリアは今更ながらに思い出していた。 チョコを作るときも、ガウリイと約束をしていたときも、あのリナが全く照れていなかったことに。 「り、り、り、リナさん。 もしかして、もしかすると、もしかする時、じゃなくて。 バレンタインの意味をご存じ無いとかそんな事無いですよね?ね?」 掴みかからんばかりに伸びてくる手をヒョイと避けて、リナは心外だと言うように眉を顰めた。 「あんた、さっきから人のこと馬鹿にしてんの? 知ってるに決まってるじゃない。 バレンタインは年に一度の・・・」 「年に一度の??」 「先行投資の日に決まってるじゃない」 どんがらがっしゃーーん 「そもそもの始まりは千年前の降魔戦争まで遡って・・・」 「あ゛あ゛あ゛・・・」 「食料が無くなった時・・・って人の話聞いてる?」 とうとうと蘊蓄を垂れていたリナは、派手な音と共に倒れ妙な呻き声をあげるアメリアが居るテーブルの下を覗き込んだ。 アメリアはふらつく頭を抑えながらテーブルにしがみつくようにして上半身を起こした。 「り、リナさん。その話誰から聞いたんですか?!」 「父ちゃんだけど? 他にも渡すときはにっこり笑って『来月楽しみにしてるわ』って言うのが決まりだとか。 もしその時に変なことをしようとする奴が居たら呪文で吹っ飛ばして良いとか・・・」 「う゛う゛う゛う゛う゛・・・」 騙されてる。 完璧に騙されている。 アメリアは机の下で頭を抱えていた。 リナの父親が虫よけのつもりで嘘を教えたのだろうが、それでもここまで信じ込むのか?? それとも『転んでもタダで起きたら貧乏人』と言い切る商売人の一家としてそれが正しい姿なのか?! それにしたって、これではガウリイが哀れすぎる。 激しく苦悩するアメリアに今となっては救いにもならない朗らかな声が掛かる。 「何よアメリア。さっきから変な唸り声だして。 具合でも悪いの? ならさっさと部屋に帰りなさいよ」 「あ、あのですねぇ、リナさん!」 勢い込んで顔を上げるとせっせと小箱にリボンを結ぶリナの姿が見えた。 本当ならばこの熱心さはガウリイのために向けられるもので・・・ そこではたと気が付いた。 果たして真実を知った後でもリナはガウリイにチョコをあげるだろうか? 「ぐおおおおおぉ・・・」 「アメリア・・・・・・ さっさと部屋に帰えんなさい」 後編へ |
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