美女と野獣1


さあ、昔話を始めましょう―――
それはここより遠く離れた異国の地。
鬱蒼とした森の奥深く、その城はありました・・・


不気味なその城は高い鉄柵に覆われ、中に入ろうと試みる者達を拒んでおりました。
それだけではありません。
中へ入った者達は口を揃えて言いました。
あの城には恐ろしい獣が棲んでいる、と。
そしていつしか、城へ近づこうとする者はいなくなっていました。


ある嵐の日。
森の中を一人の旅人が馬にすがる様にして歩いていました。
朝、宿を出た時は晴天だったというのに一体どういう事でしょう。
天に穴が空いたかと思うような雨は確実に身体の熱を奪い、強い風は気を抜けば身体が木々に叩きつけられそうです。
このままでは・・・
旅人がそう思った時、空が放った一条の光が遠く佇む城を浮かび上がらせました。
その不気味な佇まいを―――


それは不思議な城でした。
正面の門は固く錆び付き、無理矢理こじ開けなければならなかったと言うのに、一歩中に足を踏み入れれば、今まで見た事が無いほど素晴らしい庭が広がっていました。
綺麗に刈り込まれた木々に季節の花が植わった花壇。
そして庭のあちこちに咲き乱れる大輪のバラの花・・・
これほどの庭に人の手が入っていない訳はありません。
それは城の中も同様でした。
「誰かいませんかー」
重く大きな扉を開け、幾ら声を掛けても誰一人姿を現しません。
壁に掛かったロウソクには火が灯り、床に塵一つ無いと言うのに、です。
仕方なく旅人は城の中に足を踏み入れました。
薄暗い城の其処彼処に残る人の気配。
しかしどこを覗いても人は疎か、生き物の姿もありません。
旅人は次々と扉を開けていき、そして・・・
辿り着いたのは食堂でした。
大きなテーブルの上には一人分の料理が用意されていました。
パンにサラダに肉にスープ・・・
湯気の上がるスープはたった今、注いだばかりに見えました。
飲んでくれと言わんばかりのスープに旅人の咽がなります。
ついでにお腹も。
「誰かいませんか!」
もう一度旅人は呼ばわりましたが、帰って来るのはこだまだけ。
―――結局飲まず食わずだった旅人は最初は遠慮がちに、最後はガツガツと全部食べてしまいました。
そしてお腹が一杯になった旅人は、続いて城の中の探索を続けます。
大人が両手を広げた幅はありそうな豪華なシャンデリア。
人が100人は入ろうかという大広間。
天蓋つきの立派なベットのある部屋が並ぶ廊下。
見るもの全てが珍しく素晴らしいものばかりでしたが、中でも城の西側にそびえ立つ高い塔の上で見たものは、とても強く旅人の目を引きました。
それはバラの花でした。
部屋の中央にある小さなテーブルの上にその花はありました。
ガラスのケースの中に支えもなく浮かんだバラからはキラキラと光がこぼれ落ち、旅人が見ている間にも次々と色を変えていきます。
見れば見るほど不思議なバラでした。
「これは・・・」
思わず旅人が手を伸ばした時、咆吼が響き渡りました。
「触るな!」
旅人は咄嗟に身体をひねりました。
声を追うように腕に走る焼け付くような痛み。
見ると左腕に抉られたような傷跡。
怪我がそれだけで済んだのは偏に旅人の反射神経ゆえでした。
剣に手を伸ばしながら振り返った旅人が見たものは・・・
燃えるような紅い瞳をした獣の姿でした。
「そこから離れなさい・・・」
グルグルと唸りをあげながらこちらの隙を窺う獣。
フサフサと全身に生えた栗色の毛並み。
ピンと尖った耳とひげ。
スラリと伸びたしっぽがリズムを取るように左右に揺れています。
口元からは牙が覗き、太い足から生えたその爪の威力も今身をもって体験したばかり。
明らかに獣のフォルムを取りながらもその身に服を纏い、そして喉から漏れるのは人の言葉。
何よりその瞳に宿るのは英知の光。
「離れろっ!」
三度の吼え声を放ち、獣の全身の筋肉が張りつめました。
今度は旅人の喉元を狙う為に。
ところが―――
「すまん。そんなに大事なものだとは知らなかったんだ」
殺気を振りまく獣の前だと言うのに、剣を引いた旅人は何と獣に向かって頭を下げました。
そんな旅人に獣は驚いた様に動きを止めると、人間くさい仕草で立ち上がり自分の姿を示しました。
「・・・あんた、この姿が恐くないの?」
「そりゃあ、いきなり襲われたんだから怖くないと言ったら嘘だけどな。
元々ここに無断で入ったのオレの方だし、飯も勝手に食っちまったし。
それに目がさ、ただの獣には見えないし」
指で頬をかく旅人の腕から血が滴り落ちました。
獣は黙って部屋を出ていったかと思うと、すぐに薬と包帯を持って帰ってきました。
「・・・手当をしてあげるわ」
旅人を傷つけたはずの爪のある手が器用に動きます。
無言で傷の手当てをする獣でしたが、鋭い爪をしまい包帯を巻く様は優しささえ感じるようでした。
「サンキュウな」
やがて手当が終わり、包帯を巻かれた手を押さえて礼を言う旅人から目を逸らすと、獣は立ち上がりました。
「・・・ゼル、アメリア」
獣の呼び声に合わせて、二つの物体が旅人の前に現れました。
「ティーポットと燭台ぃぃぃ!?!?」
「・・・悪かったなぁ、燭台で」
「お呼びですか」
旅人が驚きの声を上げるのも無理有りません。
ヒョコヒョコとテーブルの上に現れたのはどう見てもティーポットと燭台。
絶句する旅人を前に獣が手を振りました。
「傷が治るまでここにいるといいわ。欲しいものがあったらこの二人に頼めばいいから。
でもこの部屋には二度と近づかないで。
次は・・・殺すわ・・・」
自らの意志で歩き、喋るティーポットと燭台に案内され、部屋を出る旅人が見たのは。
バラの入ったガラスケースの前に、項垂れた様に立ち尽くす獣の姿でした。


そんな獣の前でバラは変わらず光っていました。




その2に続く...


2001年?


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