2005年を振り返る
今年もあとわずか。あっという間の1年でした。
結局のトコロ、無事に乗り切った感じですが、新年早々から波乱気味。
今年を一文字で表すと・・・ずばり「病」の1年でした。
@昨年暮れから今年5月頃まで
愛しき近藤嘉宏さまの腱鞘炎騒動
A5月
顔面神経麻痺にて10日間の入院&1週間の自宅療養
B7月
友達ががん告知を受ける
C8月
母が胃がんに
D9月
弟が過労にて入院
E10月
同僚が白血病に
まずは2004年暮れから引きずっておりました、愛しき近藤嘉宏さまの腱鞘炎騒動です。
年が明けても調子はよくならず、何回かの演奏会はプログラムが変更になりました。でも彼はいつもと変わりなくひょうひょうとしていて、プログラムは変更になったものの演奏会は一度のキャンセルもなく、予定通りにテレビ出演も何度かこなされていました。
「弾かないのが一番の薬なんだけど」と社長さんはおっしゃっていたけれど、近藤さんは「弾く、弾ける!」、さらにプログラムの変更も「その必要はない」とおっしゃっていたそうで、説得するのが大変そうでした。
ああいう仕事の人って、病気や怪我をしても会社勤めみたいに有休はないし、誰も代わりはしてくれないし、休んだ分だけ収入も減るだろうし、もしかするとファンも離れていってしまうかもしれないだろうし(ごく少数だろうけど)、大変ですよね。
でもその後、いい医者に出会えて、近藤さんはめきめき回復。今年はデビュー10周年ということでショパンの6重奏などを聴かせてくださり、今年前半の苦悩などとうの昔のことのような気がしました。
「何かを乗り越えたあとに、人は必ず成長できる。そう思えば苦労も人生には必要な大事なことのひとつなのだ」ということも教えてもらいました。
しきりに近藤さんの心配をしていた私でありましたが、次に病に襲われたのは私でございました。
5月のある日、全く突然に顔の右半分が動かなくなりました。これはびっくりしましたねー。「顔面神経麻痺」だって。こんな病気があるなんて全然知りませんでしたし。原因は不明、耳からウィルスが入り込んで顔が麻痺することがあるらしいのですが、それはまれなケースで、たいていは過度のストレスが原因だそうです。病院でいろんな検査をしましたが、ウィルスも見つからず、結局体にはなんの異常も見つかりませんでした。
過度のストレス・・・?覚えがないんですが、しいていえば去年の夏から新しい部署に異動してプレッシャーはありましたし、勤務時間も大きく変わったので、生活がガラリと変わりました。でも仕事は楽しかったし残業も前部署の6分の1ほどに減って自分ではラクになったと思っていたんですが。プライベートではマンションを買ったりと人生最大の負債を背負ったこと、そして周囲の「早く子供を作れ」との声と。
同時に浮上してきたのが「姑との同居」です。それで悩みましたね。きっと顔が麻痺したのはこれが原因だと思われて仕方がありません。
今ではこの件については一切考えるのはやめました。封印、『クサいものにフタ』です。明日には明日の風が吹く。これしかないでしょう。
で、顔面麻痺は思ったより重症で、10日間の入院をしました。生まれてこのかた入院なぞしたことない私でしたが、今年は貴重な体験をさせてもらいました。
3歳の男の子と同室、病棟は産婦人科と小児科と同じフロアというきわめてハードな環境でしたが、寝て起きて食ってウロウロして、という日々が10日間。時間がゆっくり流れました。体に異常はないし、食べ物の制限もなかったのでお菓子やアイスを食べたり、喫煙コーナーで糖尿病のおっちゃんたちと雑談したり。
外出も外泊も届を出せば自由だったんです。でもなぜか、いまだに謎ですが「外出しよう」と思わなかったんですよね。風呂も病院の風呂は週に2回しかないので、私の場合、近くの銭湯にでも行けばよかったのです。でも思いつかなかった。
今、同じ状況を与えられれば、毎日スーパー銭湯行ってビール飲んで、映画見たり食べ歩いたり、5月だったので気候もよかったし、日頃できないような「昼間の生活」を満喫するのになーと思いますが。もったいないことをしたもんだ!(笑)
そういうことを思いつかないほどに疲れていたのかもしれません。
からだって自分が思っているよりも繊細で正直です。できないことをムリしてやるのは「頑張ってる=エライ」のではなく、バカなんですね。
私の場合、近藤さんみたいに「誰も代わってくれない」仕事でもなく、病欠もあるので給料もそのまま変化なし。
が、顔が歪んだのはショックでしたねー。人と会う仕事ではないのでなんの影響もないといえばないのですが・・・しかも退院してからも顔はちっとも治らず。そんな時に近藤さんと電車で・・・あわあわわ。いつもはサイン会の数秒のために念入りに化粧するのにな。あの時はほとんどスッピンでしたよ。だって口紅塗ると顔が歪んでるのが余計に目だって気持ち悪かったんですもの。ああ、神様はひどいことをしてくれたもんだわ!でもそのかわりとっても優しい王子様に接することができました♪ 幸せでした♪
そしてありがたいことにダンナも自分のことは自分で出来る人です。なんの気兼ねもなくラクさせてもらいました。友達もブログを通じて励ましてくれました。顔が歪んだために目が見えにくくレスもつけないのに。皆様、その節はありがとうございました。
改めて家族や会社や友達や、自分をとりまく環境の素晴らしさに気がついたのでした。いろんな意味で極上の休日といえるものだったと思います。
顔の方は幸い、思ったよりも早く回復しました。自分ではまだ違和感があるのですが、他人にはほとんどわからないくらいにまで回復。「長くかかる。治るかどうかもわからない」と医者には言われていたのですが、ここまで治れば上出来だと思います。
その後立て続けに家族や知り合いが病気になりました。
幸い友達、母、弟は無事に回復。友達は手術が成功し、今も通院していますが経過は良好、母はもう大病院のお世話にはなっておらず、近くの病院で月に1度ほどの通院で経過を見る、ということになりました。体力もだいぶ回復してきました。弟もしばらくは仕事を軽くしてもらっていましたが、最近元の仕事に戻りました。
白血病の同僚は抗がん剤の治療だけでは足らず、移植を待つことになりました。骨髄バンクは今、「メンバーが足りない」とCMで言われているように、患者の3分の2以上が適合する骨髄が見つからないまま亡くなっていくのが現状で、家族の骨髄も適合する確率は30%程度と言われています。ドナーはそう簡単には見つかりません。
もうダメかもな・・・なんて言ってあげればいいのだろう・・・しばらく言葉が見つからなかったです。
でも先月末に希望の光が!「検査の結果、お姉さんのと合うことがわかった。さらにバンクにも同型の登録が見つかった」との連絡がありました!!
これを奇跡と呼ばずして何と言いましょう!!!
これからも治療の道は大変でしょうが、乗り越えていってくれることを願います。
「なんかいいことないかなぁ」
20代の頃は口癖でした。
「今年も何もなかったなぁ」
30代に入っても毎年年の暮れにはそう思っていました。でもここ数年になって「何もない」ということが一番ありがたいことなのだと思うようになりました。
今年はいろんなことがあったけれど、来年は可もなく不可もなく、プラスもマイナスもない、そんな静かで平穏な1年になることを願わずにいられません。
安定した仕事があり、素敵なダンナもいて、今年は家も買いました。
人間には本当に大切なものはそうたくさんないはずです。
来年の暮れには「今年は何も変わりなかったな」と静かに迎えられますように。
ここを見てくださっている全ての方々とそのご家族の皆様が、来年も健康で平和な1年を過ごされますように。
今年もあとわずか。お世話になった皆様ありがとうございました。
来年もよろしくネ♪
男 の 涙
男の人は弱い生き物だからいたわってあげないといけない。
というのが私の基本的考えです。できれば守ってあげたいと思いますが、自分にそこまで包容力があるのかどうか疑問なので「いたわってあげたい」と思っています。
女の涙は武器になる、といいますが、男の涙は微妙ですね。ときには「とてもみっともなく」見えるし、ときには「とても感動的」に見えるし。
女の涙はその点ダメです。女の涙にはたいてい「何かしらの下心」や「嘘」がありますから。
私が見た、男の涙の話をしましょう。
大学時代につきあってた人がいました。2年と数ヶ月でしたかね。
彼は大学の先輩でしたが、私とつきあい始めた頃には自分の郷里に就職が決まっていて、まもなく遠距離恋愛になることはわかっていました。
で、遠距離恋愛が始まったわけですが、彼にはやがて女ができました。
最後に会った日、彼は泣いてました。新しい女がいるのにどうして泣くのか、捨てられた私が哀れだからか?それとも申し訳ないとでも思っているのか?
若い頃、私はいつでも強い女でありたいと思っていました。あんたに捨てられたからって私はちっともミジメじゃないわ!って。好きな人に弱みを見せるなんて格好悪くて絶対イヤだ、もう愛していないのならさっさと捨ててよね!次、行くから!って。
私は彼にとっても愛されていた、と思います。彼はまだ若いのに私と結婚することまで考えていて、両親に手紙を書いてくれたし、ピアノが得意だった彼は私のために曲を書いてくれたりしました。
誠実な人だったと思います。ところが私は結婚願望があまりなく、結婚よりも仕事がしたいと思っていました。でも彼は私に、自分のそばにいてほしいと言いました。なんとありがたいことでしょうか?でも当時の私にはそんな彼が自分勝手なワガママ人間としてしか写らなかったのです。
そして私は自分から愛情表現をすることをしませんでした。本当は彼のことを好きなくせに自分から「好きだ」とか「一緒にいたい」とか言わなかったのです。彼はそんな私に「ホントにオレのこと好き?」と何度も言いました。
こっちからそんなこと言えるかぁ!格好悪い!
「彼の愛情>私の愛情」でないとイヤだったんですよね。好きだ好きだと言わせておくのがすなわち「彼より上位に立っている」ことだと思っていたのです。
それが誤りだったことに、この時気がつきました。
彼は私の誕生日に手紙をよこしてきました。「今日は会えません。理由はもうわかっていると思うけど、もう好きでなくなった、それだけ」と。
好きだ好きだと言ってくれてた人から「もう好きでなくなった、それだけ」と言われればもうそれはどうしようもないでしょ・・・返す言葉もなし。ムリヤリに強い女を演じていた手前、今さら「ちょっと待って」と言うこともできず。
自分が上位に立っていたつもりが、この恋は彼が主導権を握っていたんだ、と思い知らされました。
彼はその数ヶ月後に新しい彼女と結婚したそうです。
ゲンナリ・・・。
強い女=気が強い女ではないんですね、そのことにも気がつきました。
愛している人に愛していることをきちんと伝えることができるのが、本当の意味での強さなのではないだろうか?好きです、愛しています、と言えることの方が相手に言わせることよりもカッコイイんではないか??
彼の涙を見たときは「同情しないでよね!」と腹が立ちましたが、今は中身の伴わない強がりを続けていた自分のみっともなさにただただ呆れ、恥ずかしい思いでいっぱいになります。弱い犬ほどよく吠える、とはよく言ったものです。
もちろん、中身の伴った女が男に対して強気に振舞うのはカッコイイですけどね・・・アタシにはムリですわ・・・。
次の涙は大学時代に世話になった男の涙。
彼は私より10近くも歳の離れた人でした。が、父の知り合いでもあったため、私も昔から彼のことはよく知っていました。
ある日仕事中にその人から電話がかかってきました。「今日時間ある?ちょっと話を聞いてほしい」と言われました。
私は慌てました。というのも電話口で彼が泣いていたからです。
とりあえず帰宅して、それから車で迎えに来てくれるということでした。
車の中で話を聞きました。
彼は奥さんに離婚を迫られていたのでした。奥さんはその原因として「性格の不一致」をあげていたそうですが、彼が言うには「奥さんに新しい男ができた」とのことでした。そしてそれが許せないので、裁判を起こして勝ちたい、と言うのだった。
? 彼は調停ではなく判決を取りたいと。で、その手続の方法を私に教えてほしいと言うのだった(私は当時、法律事務所で働いてたため)。
奥さんとやり直したいんですか?と聞くと、とんでもない!あんな女とやり直す気などさらさらない、とのこと。
じゃあもういいじゃないですか?子供もいないんだし・・・子供がいたらいろいろ決めなきゃならないこともあるけど、もうお互いに別れる気なんだったら、裁判所の世話になんかなることないですよ。Aさんも奥さんのことなんか忘れて新しい人生を歩んだらいいじゃないですか?
と、言ったんだが・・・「オレは不貞を働いたアイツを痛めつけてやりたい。そのために判決を取る」と。
そーゆーのはね、空しいだけですよ。だいたい、不貞を働いたという証拠が取れるんですか?
アイツは否定するけど、ずっと前から親しい男がおったんや、絶対あの男が原因に違いない、と彼は譲らないのであった。あーもうこれは典型的な被害妄想に違いない。
「ところでAさん、今回の立候補のことは奥さんに相談したんですか?」
「いや・・・そんなこと言わなくてもアイツならわかってくれると思ったし」
彼は当時、国会議員に立候補しており、選挙活動の真っ只中にいました。Aさんは選挙に出ることを自分ひとりで決めてしまったらしい。
「そういうことはちゃんと奥さんに相談しないとダメです。議員の奥さんってのは大変な苦労をすることになるんですからね」
「そんなこと、相談せんでも全然問題ない、わかってくれてたはずや」
議員の奥さんがどれだけ大変か、西川ヘレンを見たらわかるだろうが。
あーもうこれは話にならん。きっとAさんは奥さんの立場や考えなんか気にかけず、自分の信じる道だけを見つめていたに違いない、と思った。
裁判も調停も勧めません。もしそれでもやりたいと言うのなら他をあたってください、と私は言った。
さて。議員とはやはり公約や実績で選ばれるべきではありますが、昨今ではやはり選挙も「イメージ」が重要です。離婚がバレると得票にかなりのダメージが出ると思われ、「絶対にこの話は秘密にしてほしい。噂はどこからでも漏れるものだからお父さんにも言わないでくれ」と固く口止めされました。私は口は固いですよ。言わないでくれと言われれば絶対に誰にも言いませんから。
そしてさらにもっと深刻な愚痴を言い・・・ここでは省略します。
彼がその後どうなったのかは知りませんが、選挙が終われば他人に話してくれてもいい、とのことでした。が、めでたい話でも面白い話でもないので私は引き続き黙っていました。
1年後、父が「おい、A君、離婚したんやって。だいぶ前らしいぞ。知らんかったなあ」と言っていたので、ああ離婚したんだなと思った。
裁判を起こしてでも痛めつけてやりたい、という男の怨念に触れた貴重な体験でした。ってか、裁判てそーゆーもんじゃないと思うんだけどナ・・・。
次は息子を失った父親の涙。
これもかなり昔の話です。法律事務所で働いてた頃のことです。
酔っ払いの集団暴行で巻き添えをくい、なんの罪もないのに殺されてしまった人の父親の涙。
うちの事務所の弁護士は加害者側の弁護をしていました。私も調書を読みましたが、ホントにむちゃくちゃな事件でした。致命傷を負わせたのは別の人のようでしたが、その人の弁護団は無罪を主張。しかしうちの弁護士は「致命傷を負わせてはいないが、かかわっていた罪は認めて賠償します」との姿勢でした。
それは壮絶でした・・・被害者の母親は裁判所の廊下で泣き叫び、うちの弁護士をののしりました。そっちは保釈金さっさと用意して釈放されたのにうちの息子は二度とは帰ってこない!と。
公判の期日も被害者側には伝えていませんでした。被害感情にさらに募らせ、それは被害者のためにもよくないとのことだったんだろうと思います。
で、ある日突然、被害者の父親がうちの事務所を尋ねてきたのです。弁護士の留守中でした。
慌てました。こ、こ、これはどうすればいい?とりあえずお茶を出し、応接室に座ってもらいました。誰もいないので、一対一で話をしました。父親は公判の期日を教えてほしいと言いました。
それはできません、と言うしかないのです、私には。でも意外とあっさりと引いてくれました。
「息子はね、とっても優しい子でした。本当に我々の自慢の息子だったんです」と延々と話し始めるお父さん。うん、うん、そうですね、としか言えない私。
「女の人はいいですよね。泣いて叫べるから。いろんな人に話を聞いてもらえるから。でもね、僕は男だから泣いたりわめいたりできないんです。怒りをぶつけるところがないんです・・・もうこの気持ちをどうしたらいいのかわかりません」
と言って涙を流すのでした。
私はこの時、「この仕事、辞めよう」と思いました。
法学部を卒業して、法律関係の仕事について、一応満足でした。法は正義だと思っていました。そういう仕事に就けたことは素晴らしいことだと思っていました。でも立場によっては法は必ずしも正義ではなく、法によって守られるものもあれば、切り捨てられるものもあるんだと改めて知ったのです。人の感情とかね。
でもこういう物の考え方は仕事人としては失格ですね。うちはあくまで加害者側の弁護をしていて、それで給料もらってるんですから。仕事人としてはこんな情にいちいちほだされていてはいけないのです。実際、今の会社に就職してからこの話を人にすると「甘いな。プロ意識が足らん」と批判されましたから。
今、同じ状況に遭遇したら、私はどんな気持ちになっただろう、と時々考えます。
あの時はお父さんと一緒に泣きそうになりましたが、今は・・・。
話はいくらでも聞いてあげるだろうけど(私でよければいくらでもそうしてあげたいと思うけど)、仕事と感情はきれいに分けられると思います。
それが人としていいことなのかは別として。
女の涙は嘘、あるいは下心。
男の涙は・・・そうだなぁ、「哲学」ですかね。
女の涙より、奥が深い。
憲法改正について思うこと
(日本国憲法前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛なる信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
私は憲法の前文がとっても好きで、これに憧れて大学の頃憲法のゼミを選んだ。
前文、かっこいい。惚れ惚れします。なんでそう思うのかここで説明したいと思います。
ところで昨今、憲法改正論議が盛り上がってますが、一番の論点は9条2項の改正でしょうね。
第9条(戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
以下、私の個人的考え。
1項については・・・「国際紛争を解決する手段としての」武力行使を禁じているから自国の自衛のための武力を持つことについてはOKなのかなあ。自衛権って難しいです。やはりある程度は必要なのかもしれないけど、どの程度装備すれば自衛できるのかがわからない。
でも2項については改正の必要は全くないと考えます。
2項では交戦権を否認しています。外国を相手に、または外国へ行って戦争をすることは憲法違反なのです、今のところ。
だから湾岸戦争でもイラク戦争でも日本はアメリカみたいに戦うことができない。アメリカから「来い!」と言われても「憲法があるから」ということでなんとか歯止めできたのだ。2項がなければ今ごろ戦死者続出、死ななくていい人が、悲しまなくていい遺族がたくさん出ただろう。
でも自衛隊はイラクに行っているではないか?日本の自衛隊はたてまえ上「軍隊」ではない。9条2項で「戦力の不保持」が規定されており、軍隊として機能することはできないから。だから自衛隊は軍隊ではない。
でもこんな認識、世界の誰が信じるだろう。日本の自衛隊は世界第2位と言われるほどの莫大な予算に支えられ、その規模・実力は世界第3位だとも言われている。
危険なところには行かないから大丈夫だと政府は言うが、危険ではないところってどこやねん?誰が保証できるねん?
現に小泉首相は報道陣向けの「自衛隊視察ツアー」を組んでいたのに、直前になってドタキャンした。理由は自分が抱える「郵政民営化」の問題のヤマ場を迎えるこの時期に「報道陣に何かあったら不利になる」からだということらしい。やっぱり自衛隊がいる場所は危険なのだ、と自ら言っているようなもの。
アメリカは最大の協力者として日本を見ている。「共に戦争をしようと思っても日本には憲法がある。じゃまだから変えろ」とまで言っている。
危険だ危険だと根拠もなく安易に決めつけ、他国に攻め入りあちこち誤爆して罪のない民間人を殺しまくり、「危険だという認識は間違いだった」といけしゃあしゃあと言ってのけるアメリカ。さらに突き詰めると、危険だと判断した根拠もあやふやだったそうではないか?!びっくりだ!
そんなアメリカは9・11のテロで膨大な犠牲者を出した。自業自得だろう?やったからやりかえされただけのことだと思う。テロの犠牲者はアメリカの犠牲になったも同然。政府の、ほんの一握りの人間のために大切な命を奪われてしまった。『あいつが危険だ、あの国が危険だ』と見るからに知性のない顔で好き勝手に言い放つ大統領。はっきり言ってアンタが一番危険や。
日本だってそうだ。中国や朝鮮やアジアのあらゆる地域で自国の利益のために殺し、奪った。
韓国へ行くと年配の人は日本語ペラペラな人がたくさんいます。「カミカゼって知ってるか?僕の友達はあれでたくさん死んだよ」、ボルネオ島に行くとリゾートビーチの片隅に「日本軍が落とした爆弾です」と飾ってあった。戦争の傷跡は何年たっても人々の心から消えることはない。何の気なしに行った観光旅行でもたびたび日本人であることを恥ずかしいと思うことがある。戦争は勝っても負けても恥なのである。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」
他国を無視しての対等関係はありえない。他国を無視しての自国の主権の維持は不可能だと思う。
自国のことにのみ専念し他国を無視した結果、日本は原爆落とされてめちゃくちゃになった。原爆は広島と長崎に落とされたが本当は京都が予定だったというのは有名な話。地元の人なら知っている、梅小路機関車博物館の辺りだったそうだ。あんなとこに落ちてたらウチの親、死んどったわ。
原爆は普通の爆弾とは違う。核爆弾だ。核爆弾を落とされたのは日本だけ。世界唯一の核被爆国である日本はなにがなんでも戦争に協力するようなことがあってはならんというのは当たり前すぎる話。
「一緒に戦争をしよう」との他国の圧力があっても、「政府の行為によつてふたたび戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」た、って前文に書いてあるやん?「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」って、前文の最後でめちゃめちゃカッコよくキメてるやん?
沖縄に行ったことありますか?アメリカの植民地状態ですよ。海がきれいで暖かくてきれいな花がいっぱい咲くあの美しい小島。あの空に米軍機が低空飛行するんですよ。そりゃあもうものすごい音で。バリバリバリ!!!のんきに観光していたさなかに聞いたあの音はちょっとそこらでは聞くことの出来ない音でした。何かが爆発したのかと思ってビックリしましたもん。米軍機は朝早くからおかまいなしに飛ぶらしいです。米兵の横行もニュースで見るとおりです。
2項が変えられてしまうとどうなるのか。考えただけでも怖いです。たとえば正式に「軍隊」を持ち、しかも交戦権が与えられることになればアメリカの思うままに戦争ができることになる。憲法で認められた軍隊なのだから何も制約がない。湾岸戦争の時にはたくさんの自衛官が退職したそうだ。正式な軍隊として戦地へ赴くことになればみんな怖がって自衛隊など入らなくなる。兵力が不足する。
そして徴兵制へと。私らの年代の者はもう歳をくっているので戦争に連れて行かれることはないかもしれんが、今の若い人、子供たちは徴兵で訓練され、やがては日本軍として戦地へ赴くハメになるかもしれない。可能性はじゅうぶんにあると思うけどな。
息子たちは銃を握り、人を殺し、泥水すすりながら極限の恐怖の中、「おかあさん」と泣きながら戦地を逃げ回る。そして最期は爆弾で首はもげ、手足バラバラになって死ぬ。娘たちは夫に死なれ、心の傷は一生消えず、悲しく寂しく苦労の多い人生を送らなければならなくなる。めでたく夫が生還しても、化学兵器が爆裂した地域で過ごした夫とのあいだに子供をもうけることは恐ろしい(枯葉剤や劣化ウラン弾によって汚染された胎児の写真はこの世のものとは思えませんよ・・・)。
そんなことありえないと思うかもしれないけど、ありえないなんて保証はどこにもない。今の時代、人命より利益、人命より規則が重んじられることは明白すぎるくらい明白。それ以前に「憲法」は国の最高法規であり、そんじょそこらの規則や命令とはケタが違う。私の夫を、子供を戦場へ送らないで!と泣いてわめいたところで、残念ながらもうどうすることもできない。
そこで慌てて「憲法を元に戻そう」と言ったって憲法はそうやたら簡単に変えられるもんではない。議論や手続に何年もかかる。
憲法はあらゆる法律の中で一番おおもとになる法律。法律の頂点なのだから一条でも変わるといろいろな法律が変わる。国ががらっと変わってしまうかもしれんほどの力を持っている。
簡単に改正してはいけない。時代の流れというのも考慮しないといけないのでしょうが、平和で安全な生活を壊すことになるかもしれない改憲はしないでほしい。そのために、頼むから・・・9条だけは護ってほしい。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
平和に生きる権利、安全に生きる権利をおろそかにしてまで得なきゃいけないもの・欲しい利益ってなんなんだろう。
9条を変えようったってそしたら前文とのかねあいはどーなんの?これを変えたら前文も変えなきゃダメだよね?崇高な理想をうたった、あの美しい前文に手ェつけるんか?
最近起こったJRの脱線事故。あれを見ていると背筋が寒くなる。自社の利益にのみ固執し、脱線しても後続列車を止める指示すら出さず知らん顔、こんなふうにどこまでも安全をおろそかにしたうえに、人を救うことより出勤時間を守ることを優先、会社に奉仕させられる社員たち。人権無視の教育により自殺者が出て裁判ざたになっても、弁護士会から注意を受けても聞く耳持たず。規則を守るためなら個人の尊厳を踏みにじることもいたしかたない?
聞いてる方が恥ずかしくなるような醜態が次々と明らかになるたびに「そんなことありえない」と思う。でもあれが今の日本の現実。信じられない、ありえない。そんなことが実際に存在し、まかり通ってきたのだ。
あの醜態を見ていると、将来の日本の縮図を見るような気持ちになる。
人の命をおろそかにしないでほしい。
アタシの言いたいことはそれだけです。
私 の 履 歴 書
中学1年の冬
体重ついに50キロを超える。
高校2年
順調に成長し、55キロを余裕で超える。
この間、常に痩せたいと願いつつ、なすすべもなく途方に暮れる。
大学入学時
受験勉強の疲れからか自然に3キロ減少。
大学2年
彼氏に「2重アゴがかっこ悪い。痩せろ」と言われ、ダイエットを決意(ちなみに彼は身長157センチ、体重52キロ。この体型こそどうかと思うが・・・)。
が、肉屋でバイトを始め、店長が売れ残りのヒレステーキを毎日のように昼ごはんに焼いてくれるので太る。
チビ彼に「太っているのは自己管理ができないだらしない人間である証拠だ」などとののしられ、悔しさのあまり本気でダイエットを決意。
@ りんごダイエット ひたすらりんごを食べ続ける。りんごしか食べてはダメ
結果・・・一時的に痩せる。が、、りんごはあまり好きでないため苦痛になり挫折
A ゆで卵ダイエット ゆで卵を毎食食べる。晩ご飯は普通に
結果・・・ゆで卵を作るのが面倒。家族の協力も得られず断念
B 食事を減らす&運動 できるだけ食べない。バイトの行き帰りは原チャリを使わず徒歩に変更。毎日腰痛体操(なぜかこの頃腰痛になり、病院通い)
結果・・・6キロ減。周りから心配されるほどに痩せた・・・というより食べられないつらさからやつれた。トンカツの夢を頻繁に見た。今まで意識したことがなかった自分の「トンカツに対する愛情」に驚いた。1日だけ、という決意のもと、トンカツを自分で作って思う存分食べてみた。
結果・・・腹をこわしてピーピー。再びダイエット生活に入る。
以後、順調に痩せ、50キロを切った。ストレスから無気力になり、休日は寝たきり、部活もやめてしまった。こんなに痩せてもチビ彼はひとことも「痩せたね」と言ってはくれなかった。2年後、このチビ彼とは別れた。別れて正解だった。
3ヶ月ほど続いたダイエット生活も体力精神力の限界により中止。半年後、少しづつ体重が戻り始め、一年後にはすっかりもとどおり。
大学卒業後
社会人になったら自然に痩せた。3キロ減。しかしまだ痩せたい。
@ オオバコダイエット 粉末ジュースで腹を膨らませて食事を減らす方法
結果・・・こんなジュースで腹が膨れるほど、私の胃袋はヤワではなかった。
A ジョギング
結果・・・簡単に2キロ痩せた。が、続かず、太っては走り、太っては走りの生活をしていた。
フリーター時代
仕事辞めたら激太り。1年で5キロ太った。高校時代と変わらない体重に!!気の緩みのためか体調も不良。
再就職(現在の会社に)
フリーター時代に増えた体重は自然に減った。しかしまだ痩せたい。
@ スポーツジム通い
体脂肪率を測ったら29%。やや肥満と出た。インストラクターに「運動しないダイエットを繰り返した人が陥りやすい、典型的な隠れ肥満ですね」と痛いトコロを突かれ、筋肉をつけるためにマシントレーニングを重視。体脂肪は21%に減少。現在もキープ。しかしカネが続かないのと忙しいのとでジムは退会
A ダイエット食品
その1:通販で買った、クッキー・スープのセット
結果・・・2キロ減・結婚式を控えていたので気合も入りまくり・久々に50キロを切る。しかしリバウンド。
その2:20万払ってクスリに手を出す。錠剤を飲むだけでOK、食事制限もなしというのがウリのクスリ
結果・・・全く効果なし。ローンだけ残る(号泣)
その3:減肥茶
結果・・・絶大な効果をあげた。が、頻繁にトイレに行きたくなるので社会人には不向きであった。特有の甘ったるい味にも辟易してやめる
その4:にがりダイエット
結果・・・全く効果なし
夜勤を10ヶ月間続けるとだんだん太ってきた。このまま中年太りの域に入るのか?危機感でいっぱいだった頃、昼勤に戻される。そして、
B 仕事
昼勤に戻ったはよいが苦手な先輩と仕事を組まされ、1ヶ月に4キロ減、翌月に2キロ減。どこまで痩せられるのかと期待したが、先輩が異動になったため減量もストップ。そして・・・
その後、微妙に痩せたり太ったりを繰り返していますが、なりゆきまかせです。
取得器具
1998年頃:@を取得
2000年頃:Aを取得
2005年4月:Bを取得
@ バー | A スライダー | B ステッパー |
取得の動機
痩せたいという気持ちと「鍛えたい」「体力をつけたい」と思う気持ちが混在しており、双方の希望を実現するため
現在の健康状態
かろうじて良好
家族
食事制限ダイエットには絶対反対の夫(ご飯食べないと叱られます)
一日中、食っては寝ている巨大ネコ
備考欄
私は今までさまざまなダイエットに取り組んでまいりましたが、得た教訓としてはジム通いで「正しく運動する」のが結局のところ確実で手っ取り早いということです。
人生に王道なし。
以上。
紅 茶 の 話
私はかねてから紅茶が好きで、いろんなとこに出かけるたびにお茶の店を探し、入るとなかなか出てこられません。
以下、現在のコレクションです。おととしに上海に出かけたため中国茶も入ってます。最近ほとんど買ってないので少ないですが・・・。
一番のお気に入りはやはりダージリンでしょうか。でもなかなかおいしいのが売ってなくて困っております。一番おいしかったのはネパールの街なかで見つけた専門店で買った「ファーストフラッシュ」でした。ダージリンは春夏秋に収穫されますが春摘みがファーストで夏摘みがセカンド、秋摘みがオータムナルです。ファーストは香りがよく、セカンドは味がよく、オータムは渋めでいかにも「紅茶」ぽい味がするそうです。
ダージリンのよいところはなんといっても「香り」でしょう。さわやかで、淹れた途端に部屋の中がいい香りでいっぱいになります。
ダージリンの次は「ウバ」でしょう。世界三大紅茶はダージリン・ウバ・キームンですがキームンはスモークされているのでかなりクセがあります。私はあんまり好きじゃないです。
ウバでおいしいのはロイヤルコペンハーゲンが出している青色の缶入りのものが一番です。花やかな味わいです。華やかではありません、「花」やかです。すごく上品な香りと味!おすすめです。
最近はフレーバーティー(紅茶葉に匂いをつけたもの)が人気ですが、代表格としてはアールグレイ。ベルガモットという柑橘系の香りをつけた紅茶でアイスティーにするとおいしい。
アールグレイではJackson’sが出しているものが一番。強烈ともいえる香りで、他を寄せつけないおいしさです。
ティーインストラクターという資格があるのをご存知でしょうか?紅茶のソムリエみたいなものです。その資格を取ろうと思い、資料を取り寄せましたが、何が何でも講義には出席しなければならないらしく、資格取得の講義に申し込む前に現在勤務している会社の上司からの「仕事の都合で講義に欠席させるようなことはしません」という一筆がいるとのことであきらめました。
そのかわりといってはなんですが、紅茶入門講座に行き、修了証をもらいました。1ヶ月だけ、週に一度の講義でした。
当時私は夜勤だったので仕事帰りに午前中の講義に行ってました。平日の午前中といえば専業主婦か水商売ぽい人ばかりで、人には全然馴染めませんでしたが勉強しに行っていたので平気でした。教室の隅にひとりで座り、講義が始まるのを待つ時間も楽しかったです。毎回スタッフの人がおいしい紅茶を淹れて持ってきてくれるのです。
テイスティングの授業では紅茶教室の主催元の紅茶会社からおエライさんがやってきましたが、バリバリのアイビーファッションで身を固め、いかにもイギリス紳士といった感じのいでたちだったので面白かったです。
紅茶の木は学名「カメリアシネンシス」というもので、緑茶も紅茶もウーロン茶も全て同じ木の葉っぱからできています。発酵の度合いが違うだけです。緑茶は無発酵、ウーロン茶は半発酵、紅茶は発酵させたものだそうです。最近は国産の紅茶もいろいろ出ていますよ。和菓子カフェなどに行くと置いてる可能性大です。日本の紅茶は淡々としたあっさり味で、なかなかいい感じです。もっともっとブームになってほしいなあ。がんばれ、ニッポン!
私は酒好きで有名(?)ですが、身内や親友格の友達は私へのおみやげに紅茶もしくはお茶道具を買ってきてくれます。最近は自分で買うより人からもらう方が多かったりします。
ここ最近のお気に入りは「ヌワラエリヤ」。高原で採れる紅茶で「天空からの贈り物」と称されたりします。淡白ですが柔らかい味で、飲むとほんわかします。
ミルクティーにするなら「ケニア」。ケニアもいろいろ探しているのですが、ダージリンと同じく日本でおいしいものはなかなか見つけられません。一番おいしかったのは実際にケニアに行ったときに宿泊していたホテルで買ったのが一番でした。まったりとしていて豊酵な味はミルクで割ってもちっとも薄れません。
結婚する前のことですが、100グラム10000円という紅茶を買いました。独身の頃、私は結構金持ちでした・・・。シルバーチップという種でしたが、紅茶葉の新芽の部分だけを摘み取った最高級品です。確かに香りはよかったですが、味は薄かった・・・あまりに新芽すぎて。これは単品で飲むより何かに混ぜて飲むのがいいと思いました。
ネパールやケニアや中国やお茶のおいしいところはたくさんありますが、アメリカやヨーロッパ(イギリス以外)や日本はコーヒー文化なのでおいしいものを見つけるのは難しいのかもしれません。
東ヨーロッパを旅したときにも紅茶店を探しましたが、なかなか見つからなかったです。ところが偶然通りかかった街で見つけたので入ってみました。
プラハだったと思いますが、坂道の途中にあって雰囲気のよい店でした。メニューには小さい字で手書きで100種はゆうに超えているであろう数の紅茶が載っていました。
「メロンティー」に目がとまりました。メロンのフレーバーの紅茶なんて聞いたことない!これは飲んでおくべし!!というわけで喜びいさんで「メロンティープリーズ」しました。
店員はびっくりして「メロンティーなんか飲むの?マズいからやめとき」と言いました。
いいえ私はメロンティーが飲みたいのです。だからマズいからやめときなって。いえいえまずくてもどうでもとにかくメロンティーが飲みたいのです。そう?じゃあいいけど・・・ホントにマズいよ。
1分ほど押し問答が続きましたがメロンティーを持ってきてもらいました。
木の味がしました。おいしくなかったです。
「ヨーロッパはコーヒー文化だからおいしい紅茶にめぐりあえない」
悟りきって店を出ました。
実は私、コーヒーって苦手なのですよ。出されたら飲みますが自分で買ったりはしません。カフェオレやカプチーノみたいにミルクで割ったのは案外好きですが、ブラックを飲むとフラフラして眠くなるし、アイスコーヒーを飲むと気分が悪くなったりするのです。コーヒー豆の炒った香りは「いいなぁ」と思うのですが、体質には合わないようで残念です。
おいしいお茶を求めてこれからもいろんなところへ出かけたいです。
ウチに来たときにはおいしいケーキをご持参ください(厚かまし!)。心をこめておいしいお茶を淹れさせていただくわ。
気になっていること
どうでもいいんですけど、どうも気になってしょうがないことがあります。
もう何年も前の話ですけど・・・・・・。
ダンナとふたりで某温泉地に泊まりで旅行に行きました。そこは温泉だけでなく1大アミューズメントパークも名物でございまして、その敷地内にはサファリパークがありました。動物好きの我々ですので、このサファリパーク見学もとっても楽しみにしていたわけであります。
さて到着。
サファリパークへ行くのは2度目ですが、ここに来るのは初めてでした。
サファリというと大きなバスにすし詰めになりながら巡る、というパターンが一般的かと思われ、我々もそのつもりでおりましたが、バス乗り場の手前に個人グループ用ジープがたくさん止まっていました。ダンナが「せっかくやし、これに乗せてってもらわへんか?」と言うのですがバスより割高。
でも案内人を独占できるし、何よりも「バスでは行けない諸施設にもご案内、生まれたばかりのトラの赤ちゃんも見られます」とのこと。
トラの赤ちゃん!!!見たああああい。我々早速手続を。ジープに乗っていく人はめったにいないのか、案内役が現れるのに時間がかかりました。
やって来たのは私よりちょっと若いくらいのお兄ちゃんでした。
いざ出発。
すし詰めバスを横目に見ながら、兄ちゃんの流暢な説明に耳を傾ける。写真もゆっくりいっぱい撮れたし大満足。
そしていよいよ施設に到着。車を下り、殺菌剤の入ったトレイに靴の裏を浸してから入場。
建物の外にゾウがいて、檻から鼻を出していた。触っていいよ、とのことだったので恐る恐る触る・・・ゴワゴワ。ゾウの鼻に触れながら夫婦並んで写真撮影。なかなか貴重なショットでした。
そしていよいよ建物の中へ。再び殺菌剤に靴の裏を浸して入る。
そこは医療施設で、ベッドや医療機器もいくつかおいてあり、兄ちゃんは親切に案内してくれた。
つのが折れたシカのような生き物が檻の中に入って休んでいた。
あらら、痛そうね・・・怪我してしょんぼりとしたシカが一匹。
「つのが折れたんですねー。で、このようにここに保護して治療にあたるわけです」
兄ちゃんはシカの名前や、つのが折れたいきさつについて語りながらも私の顔をチラチラと。私も兄ちゃんの顔をチラチラと。
シカが休んでいた檻の向かい側にもうひとつ檻があり、その檻はなぜか黒い幕で覆われていて中が見られないようにされているのでありました。私はそれが気になり、兄ちゃんの「シカの説明」もそこそこに、黒幕の檻に気を取られていたのでありました。そしてそんな私を兄ちゃんも気にしていることは明らかでありました。
「さあ、次はいよいよトラの赤ちゃんがいますよ」
兄ちゃんは別棟に案内しようとしてくれたが、
「すいません、この檻は?」
「あ、それは案内できないことになってますんで」
兄ちゃんはあっさり流した。
「何かいるんですか?」
「いえ、何にもいませんよ」
何もいないのか。私はてっきりヘビとかワニとかライオンなどの人に近いところで見せるには危険な動物、あるいはあまりに大怪我すぎて客には見せない方がいいと思われる動物、もしくは昼行性・夜行性の動物がいるのかと思ったのですが。
何もいないなら幕で隠すこともなかろ?
「どうしてこんな黒い幕をしてるんですか?」
「特に意味ありませんよ」
「ふーん・・・・・・」
そしてトラの赤ん坊がいるという施設に入るのに再び殺菌剤を。ダンナが靴を浸している間、私は黒幕に手を触れ、めくってみようとした。
「あっ!だ、ダメですっ!!!」
兄ちゃん、大慌てで駆け寄ってきた。慌てに慌ててロレツも怪しい。
「この中は何があるのかな、と思って・・・・・・」
兄ちゃんの、尋常ではない慌てぶりに私もオロオロ。この中に何かがいる(ある)のは明らかであった。
「ボ、僕も知らないんですよ!」
知らない・・・・・・?知らないって、アンタここで働いとるんやろが???
ここの案内を任せられている案内人であれば当然、この施設のことは熟知しているはずでは?
これ以上聞いてはいけない。これは知ってはならないことなのだ。興味本位で素人が見知りするべき簡単な問題ではないのだ・・・と私は察知。おとなしくトラの赤ちゃん見学へ。
トラの赤ちゃんは檻の奥の方にいたけど、あどけない顔でこちらをじいっと見ていました。かわいかったです♪
しかしトラの赤ちゃんよりも、あの黒幕の檻のたたずまいの方が記憶に残って離れない私でした。
兄ちゃんも正直な人です。適当に「別のシカが眠っていますから」とか言えばいいものを。次からはぜひそうしてほしい。知らないだなんて言われると、言われた方は恐ろしさ倍増である。のちのちまでお客を悩ませるような応対はどうかなあ。
あまりに気になるので問い合わせてみようかと思ったこともありますが、兄ちゃんのあの動揺ぶり・・・「僕も知らないんですよ!」のセリフを思い出すとどうしても「知る勇気」が持てませんでした。
心に残っている言葉
生まれてこのかた30余年、個人的に心に残っている言葉を集めてみました。
「やりたかったけどできなかった」はそれをするだけの情熱が自分になかっただけのことだ。
大学生の時かな、何かの本で見た言葉。そうだよねー・・・どうしてもやりたいことなら何が何でもやろうとするもんね。言い訳はいけません。常に自分の気持ちに正直に、「なりたい私」になれるよう努力しよう。人を妬んだり恨んだりするのは厳禁です。私にも才能があれば、お金があれば・・・なんてぼやいてるヒマなぞありませんぞ。せいぜい頑張ろう。
自分に足りないことは「つらい」と感じる。そしてそれは自分にとって必要なことなのだ。
どっかで見かけたカレンダーに書いてあった。作者は不明。
ま、そうだわね。苦手なことをするのはつらいに決まってます。なのでイヤな仕事とか気の進まない事項が目の前に存在しているときには「これの克服は間違いなく自分にとってタメになることなのだ」と思うように心掛けています。なかなか難しいけどねえ。
壁にぶちあたっているだろ。それは幸運なことだ。ただそれを乗り越えればいいんだから。いちばん不幸なのは壁すら見えないことだ。
演劇の先生に言われたこと。20代の前半に演劇教室に通っていた私。趣味でやっていたことですが、最大の目的は「度胸をつけること」だったのです。ホントに小心者だったのですよね、私。初対面の人とかすごいニガテで、知らない人に話しかけるのとか絶対できない人だったのです。それが原因で仕事に支障が出てたほどですから。
で、当然つまづきましたわよ、演劇。「自分を捨てて」芝居を演じるなんてこと、私にはできません。
「自分のカラに閉じこもりすぎ」と先生に叱られ、全人格を否定されたような気になったもんです。ずしりと落ち込む私に先生が言ったのが上の言葉でした。
一番の親不孝は親より先に死ぬことだ。
うちの母が言った言葉です。最近の子供がらみの凶悪事件を見るたびにこの言葉を思い出します。親が子を思う気持ちが凝縮されているではありませんか。
本当のバカは自分がバカだとは考えない。
これもうちの母。中学の頃、私は数学が苦手で、いくら頑張っても成績上がらず。「私ってバカなんじゃないか、真剣にそう思う」と言ったら、この言葉を返された。
勉強、できた方がかっこええやん。
大学の時につきあってた人が言っていた。確かに。私は将来子供ができたら「勉強しろ」とは言わないつもり。「できんでもええけど、できた方がかっこええと思うけどな」。これで決まりだ。
自国の歴史を語れるか?
大学のときの友人に言われた言葉です。25歳くらいのときだったかな。仕事がいやでいやで、「辞めて語学留学に行く」ことを検討していたときのことでした。周囲の人々は顔をしかめましたが、彼だけは「いいね!ぜひ行くべきや」と励ましてくれました。
が・・・「語学は『手段』やで。英語ができても自分に『語るべきもの』がなければなんにもならんで。とりあえずは自分、自分が生まれ育った国のことについて他人に語れるか?」と言われたのでした。
「自分自身、特に外国へ留学するのなら日本人としてのアイデンティティーを持っていなければ、そこで何を学んでもムダ」ということ、語学だけ学んでも意味がないということをこの言葉でいやというほど思い知りました。留学は私にとって「単なる逃げ」でしかなかったことも。多分、彼にも見透かされてたのだと思います。これはかなりショックな言葉でした。
本当に好きな人とは楽しいときに一緒にいたい。
秋元康が言ってた言葉。うーん、いいこと言うね。私もそう思う。悲しいときにそばにいてほしいとは思わない。そういうときはひとりになりたいと思う性格です。
おいしいものを食べた時、きれいなものを見た時、何かに感動した時、「これをあの人にも教えてあげたい」「あの人にも見せてあげたい」と思う。
愛する人の笑顔を見ることは最高に幸せなことだと思うのです。
女の顔は、30までは「親からもらった顔」、30過ぎたら「自分で作った顔」
この言葉はキツイわぁ・・・ごく最近、会社の男の人から言われた言葉です。同窓会に行くと、昔アイドルだった女の子がすっかりオバちゃんになってたり、逆に地味だった子がハッと驚くいいオンナになってたりするんですって。
「男はせいぜいハゲるか太るかだけど、女はなぁ・・・女は日頃の生活ぶりがすぐに顔に出るぜー。同窓会の時だけおしゃれしてきてもダメなんだよな。バレバレなんだよ!」
「今のん名言ですねー!肝に銘じます」と、こうべを垂れた私であった。
でもさ、女って結婚や出産で大きく人生が変わるんだもんなぁ。男の人はそれほど変わんないかもしれないけどね(反論随時受付)。
***番外編***
今日の魚は新しいです。
うちの近所のスーパー、激安なんですけど鮮度がイマイチ。特に魚は。「安いけど古いんやよなー、あの店」と夫婦で愚痴っておりました。ある日、そのスーパーに出かけると「今日の魚は新しいです」と張り紙が・・・。
おぬし、バラしてどうする!「普段は新しくない」ということを。