諱は高重。高岡重宗の嫡男。出雲守護山名播磨守満幸の臣。 (※興國4年(1343)6月1日、鰐渕寺に奉る願文を高岡高重のものとする説があるが世代齟齬す。これ「名和高重」のものならん) 明徳元年(1390)傍流高岡四郎師重、同五郎直宗らと戦ふ。 さらに翌年京極治部少輔の代官隠岐五郎左衛門尉と出雲富田城に戦ひ討死す。この時出雲の本領を失ふと云ふ。