佐々木近江守
Sasaki Ouminokami
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官は近江守。近江入道とも称す。六角佐々木氏の流なり。

近江守を称し山名氏に仕ふ。文明年中、山名政豊が山城守護に在任(1474-1478)せる時、 山名氏奉行人として奉公人の中に名あり註1)
円山川の淵「浅倉の岩歩危」に岩山城註2)を築き之に拠る。
大永2年(1522)但馬久斗庄を乱暴せり註3)

嫡子に定高あり、定高の子に佐々木近江守義高あり。


註1)『山科家礼記』文明9年(1477)10月27日條による。
註2) 現 兵庫県城崎郡日高町浅倉砦
註3)『山名誠豊文書』山名誠豊が大永2年(1522)楞厳寺へあてた文書に、 「當寺領久斗庄下司分内田戸平松之事、佐々木近江守違乱之由候間、堅申出候之処、 尤可然候。然上者建立勤行已下無懈怠之勤之可有領知候也。恐々謹言。 大永弐(1522)壬午 七月十二日誠豊(御書判)」とある。
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