丹州観音寺(京都府福知山市)

あじさい寺本堂写真

観音寺略縁起

奈良時代インドの帰化僧、法道仙人によって一霊木から十一面千手千眼観世音菩薩像を刻んで草堂に安置されたのが開基。
平安時代に巡錫をされた空也上人によって七堂伽藍を建立。
当寺が最も隆昌をきわめたのが鎌倉時代。北条時頼・貞時らの暑い庇護を受け、二十五余坊の寺坊が軒を並べる中本山の寺院として栄えた。
しかし、明智光秀の焼打で堂塔坊舎はことごとく灰燼と化した。それでも江戸中期には大聖院、多聞院、密教建築の本堂(府指定文化財)を再建する。しかし明治二十九年には、この二坊も補蛇洛山観音寺として統合される。
そして現在では丹波のあじさい寺として多くの参拝者から親しまれる花の寺となる。


開基
奈良時代七二〇年に法道仙人によって、ご本尊十一面千手千眼観世音菩薩像(霊沸観音)が刻まれ、以後、丹後地方の観音信仰の中心として栄えてきた古霊場です。

関西で最も古いあじさい寺
約五〇年前ご本尊秘仏の御開帳に万灯万華をお供えしようと発願があり、その万華の花としてあじさいが選ばれ、多種植樹されたのがあじさい寺の始まりです

後利益
あじさいは家族和合、夫婦円満、良縁拝受に後利益があるといいます。沢山の花弁が集まって一輪を成している仲のいい花だからです。「今日も仲良く紫陽花」とも読めます。

トップページへ

名所、名庭へ

観音寺(あじさい寺)写真へ

観音寺(あじさい寺)のバリアフリーへ