10.その後 2



 壮麗に設計された人口湖の前で俺は立ち止まった。
 湖面に映った月がゆれている。同じリズムで弾む心臓の音が内側から聞こえた、気がした。
 さて、どう切り出すかな。
 ためらっていると後ろからルークが先に話しかけてきた。
「ガイ、俺はもう、本当にルーク・フォン・ファブレだ。いいと、思えるか…?」
「何を馬鹿なこと…」
 振り返ってルークに笑顔で答える気だった。今更それがどうしたと。
 けれどぎょっとしてしまった。真剣な表情が、低めの声音が、彼をアッシュであるように感じさせたから。
「俺たちは、本当に一つになったから。一つの体に、溶け合ったオリジナルとレプリカの意識。溶け合ったからこそ帰ってきたんだけどさ」
 ルークの言った前半部分はさっき聞いた。しかし、その後に続いた言葉の方に俺は疑問を持った。
「どういうことだ」
 ルークが顎を上げて下目使いで俺を見る。髪を切ってからのルークはそんな風な目のやり方はしなかったから、これもアッシュと混じった部分なんだろうか。
「三年前、俺は気がついたらホドの瓦礫の中で立っていた。今日いきなり出現したんじゃねえ」
 この告白はちょっとじゃなくショックだった。
 俺は、思いとか第七音素とか何らかの力が少しずつ溜まって、三年かけてルークを形成し、俺たちの前に還したと思っていた。
 でなければ三年の間にルークから連絡があったはずと信じて。
「ならっ、何でさっさと連絡しないんだ!!」
「おまえらに会っちゃいけねぇって、思ったんだよ」
「んなわきゃないだろーがこの大馬鹿野郎!!!俺も、皆もどれだけお前のこと心配したと思ってるっ!」
 挙句、葬式まがいの成人の儀なんて催されて。
 一人この馬鹿は何を勘違いしてたんだと、俺はルークに掴みかかりそうになった。
「あの後…俺が、どれだけおまえのこと…」
 プライドなんて捨てて、使えてもいいとさえ思った人間を失って、でも心の奥で待ちわびた。他の皆だって待っていた。あきらめろと言われても無視し続けた。その気持ちをなんでわかってくれなかったんだ?
 襟首を掴もうとした手をルークの肩に置いて、俺はがっくりうなだれた。
 ルークはなされるままにつらつらと続きを語る。
「生き残って、俺達は体こそ一つだったけど心はバラバラだったんだぜ?
どちらかに譲らなきゃ言葉も話せねえし、動けねえ。それで、意思を出す権利を譲ろうとした。オリジナルもレプリカも」
「アッシュが、ルークに譲っていいなんて言うなんて思ってもみなかったな」
 掴んだ肩から、ふっとルークが笑ったような気配が伝わった。
「オリジナルは『お前を待ってる奴らの方が数が多いんだ、勝手に挨拶しに行きやがれ』って言ってさ。
レプリカは『本当はアッシュがずっと一人で一つの体を使って生きていくはずだったんだから、俺はもう奪えない』と言ったんだよ。
そんな状態で皆に会うのが怖かった。
ナタリアはオリジナルであって欲しいと思ったはずだ。
ガイは、オリジナルよりレプリカの俺を望んだんじゃないか?それは重かったんだよ。
どっちでいればいいか余計決めきれなくなる」
 だから三年見つからないように隠れてたのか、俺たちから。
「でもだんだん、オリジナルとレプリカの意識が重なることが多くなってきて。
最初は『今同じこと考えてるな』って程度だったによ、それぞれ相手の体験してないはずの記憶も思い出せるようになって心の中に自分しか感じなくなった。
オリジナルとしてもレプリカとしても。だから、ガイはだめだろ?」
「だめって、何が!!」
 ファブレ家への復讐心か?それはもう断ち切れた。そう伝えたのに。
 今度こそ完全な復讐の対象に入ったとでも言いたいんだろうか。
「俺は、もうファブレ家へのこだわりは…」
「違う、俺はもうガイのためのレプリカじゃなくなった。ガイは、レプリカにオリジナルが混じったこと許せないんだろ?
レプリカだけに存在して欲しかったんだろ?」
 この瞬間、俺は自覚していなかった思いを的確に当てられた。
 しまったって顔をしたかもしれない。
 そうだ、思いたくなくても全てがルークに譲られていたならと思わずにいれない。
 そうなっていたらルークはまた自分を責めて苦しむんだから、これが最良だったのにと言い聞かせたくても。
 消せない自分のためだけのエゴ。
 だから、アッシュの側面が見えるたびに心のなかで醜いものが蠢きだす。
 それが、ルークらしさを損なわせたんじゃないか。居場所から半分ルークを押し出したんじゃないかと憎く思ってた、きっと。
 薄闇に浮かぶルークをうまく見つめられない。半分は俺が誰より愛しく思ったルークだけど、あとはルークのもう半分を追い出したもの。
「ならガイは俺じゃだめなんだよ。俺にとってもガイはいらねぇし。だからこれからは俺のそばには来んな」
 俺を見もせず立ち去り始める姿は知らない人間のもののようだ。
 知らない人間に答える言葉を俺は持たなかった。
 こう見えてしまうのなら、あれは全く新しい第三の人間として扱ったほうがいいのだろう。
 あれは俺のルークと呼ぶことはできないのだ。
 少し、ルークが俺を思ってくれる気持ちを買いかぶってたのか。
 ああやって、ためらいなんか全然見せずにルークは俺の前を去っていけるんだ。
 赤い髪は見る間に闇に溶けていく、これが俺たちの別れだと思い返す日が来るんだろう。
 ルークの後姿を見送りながら、俺は数歩分さきの地面に濡れた染みが落ちていることに気がついた。
 雨、なら俺もルークを追って屋敷に戻らなければならないが、肌に当たる雨粒を感じない。
 けど水跡は転々と続いていた。
「待てよ!!」
 小さくなった後姿に話しかければ、ルークが立ち止まって赤い髪も習って揺れるのをやめる。
「……んだよ」
「ちょっとこっち向けよ」
「……断る!」
 言ってルークは歩を早めた。
 こんな態度をとるとかえってバレバレだってわかんないかな。
 身のこなしなら俺の方が上だ。こっちを向かないルークが気づかないように音をたてずに追いつくと、俺はルークの腕を掴んで強く引張った。
「……急に何すんだよ!!」
 ルークが後ろへバランスを崩したのをいいことに、俺は腕を絡めてルークを抱き取る。
「離せって!…きーてんのか、ガイ!!」
「はいはい、聞いてるよルーク、だから俺にその頬を伝ってるのがなにか説明しちゃくれないかい?」
「……っ離せ!!ずりぃぞ!!!」
「泣くほど辛いなら、離れるとか言うな馬鹿」
 ぐしゃぐしゃになっているルークの顔を見て、一気に俺はわからなくなっていた気持ちへ答えを出せた。
 過去なんていらないといったこいつに憧れて、過去を断ち切れるといったのに。
 過去のルークだけを追ってどうする。
 アッシュとの融合とか、三年の月日とか、成長の過程や変化と大差ない。
 想いがここに残ってるんだから。
「どけよガイ!俺はもうおまえの恋人じゃねーんだ」
「何言ってんだ。おまえは、ルークだ。なら『俺の』さ」
 閉じ込めた腕の中、もがき続けていたルークが急に暴れるのをやめた。
「お、どうした。急におとなしくなって」
 離れようと俺の胸を押していたルークの手がぎゅっと俺の上着を掴む。
「本当にそう思うのか?」
 低く抑えられたその声がどちらかというとかつてのアッシュを思わせても。
「もちろんだとも」
 もう俺にためらいはない。
 近づけた唇は拒まれず、ルークのものと重なる。
 
 抱きあってる最中に、ルークはやたらと名前を呼ぶことにこだわった。
 いつもはそんなことなかったのに、今日は「呼べ」とか「呼んでくれ」とねだることが多い。
「怖かったんだよ」
 とルークは持っていた不安を吐露し始めた。
「どんな時も。俺がレプリカだってわかった直後だって、ガイだけは俺をルークだって言ってくれたのに、そのガイが俺のこと『ルークじゃない』って言うの聞いたら自分のこと、わからなくなって悲しいから…」
 それを恐れて俺を避けていたのか。俺の口から紡がれる決定的な一言耳にする前に離れることも決意した。
「お前はルークだよ。何度でも認めてやる」
 言って俺はルークの額を軽く小突いた。すぐに、優しくルークのかきあげて撫でる手にかわったけど。
「しっかしアッシュの方の恋心もあるだろーに俺を選んでくれたっていうことは、俺は自惚れていいってことだよな?」
 アッシュの想いとナタリアに悪いと思いつつ、俺は勝ち誇った顔でルークの顔を覗き込む。
 きっとルークは照れて顔を赤くするだろうと期待して。
 けれど間近に見えるルークは瞳を丸くして瞬きを繰り返した。
「……それってやっぱオリジナルだけの恋心ってことだよなぁ?」
 なにやらルークはぶつぶつ呟きだした。どうも聞き取れないけれどまさか、ナタリアのことはまた別個で想ってるってことないだろな……?
 俺が背中に冷や汗をかいてもルークは俯いて答えない。
 なんだかひどく困っているようだ。
「……絶対に駄目だ…いかんに決まっている…んーでもいっか、いけるって全然いいじゃん」
「…おーい、ルーク?」
 肩をつつくと突然ルークは俺を向いた。
「あーガイ、オリジナルの恋心もさ俺しっかりあるんだ」
 背中の冷えが一気に全身に降りてきた。
 カウンター攻撃に手ひどくダメージを受けて止まった俺だが、ルークは笑いながら抱きついて背中を叩く。
「結局は自惚れていいんだぜ!ガイ!!前にもいっただろ?アッシュはガイのこと好きなんだからさ、気にすんなって」
「………え」
 今何か空恐ろしい発言を聞いた気が…。
 がしがし頭を掻きながらルークはベッドを降りようとする。
「あの頃、オリジナルはレプリカがガイと寝る時にわざと繋がったりとかしてきて切なかったからなー」
「…………マジ?」
 聞き返したら突然ルークの顔の色が真っ赤になった。頭に血が上りすぎてるように見える。
「うっ、くそっ言っちまった……て構わねぇよなぁガイ!おかげでみんな両思いで収まったわけだし」
 ああ、ナタリア以外は。たぶん。
 それにしてもあの頃そんなことになってると俺は全く知らなかった。
 ということは俺とルークの睦みあいをアッシュは知っていたことになる。いや、ルークと一緒に体感していたというべきか。
 すごく、複雑な心境だ…。
 爆弾発言をかましたルークも豪快に笑ったり、青くなったりを交互に繰り返して忙しい。
 そんなルークを抱き寄せて落ち着かせながら俺は。
 非常に水に流しにくい過去があることに苦笑した。

 
                    
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この話は結構前に書き始めてたんだけど
丸く収めよう収めようとしてもうまくいかなくて
ルークの「だめだろ?」発言のあたりで一週間近く書くの詰まってました。
なんだかアシュ→ガイルクな関係まで転がりでるし
真ルーク、普段は二人意見が一致していて一致した態度が表に出てくるけど
どうしてもかみ合わない時は気分がアッシュよりになったりルークよりになったりコロコロ変わって悩んでほしいものです



2006/1/25
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