韓国 済州島 1999年2月22・23・24日後


Pさんは、約30時間、一睡もせずゴルフをし、博打をしていた。
いくら、大学選手権出場チームのキャプテンをしていたからといっても、もう40半ばである。
この驚異的な体力はまさに驚異だった。

「おい、P昼飯に行くで・・」とQさんが声を掛けた。
済州島グランドホテルの近くに、ロッテデパートがある。
その道を挟んだ向かい側に、屋号「昔の家」という韓国家庭料理の店がある。
「オットン」と呼ばれる甘鯛の干物や(これがおいしい)チジミがあり(種類が豊富)安価なのだ。
私たちは、徒歩五分のその店に行った。
4人で、昼間から大宴会である。
食ったも食った。支払いは日本円で1万円ぐらいだったと思う。
近くを散策し、ホテルに帰ったのが1時30分ぐらいだった。
みんなでサウナに入った。
部屋に戻ったのが4時ごろだった。
少し、寝ようになりそれぞれ部屋に帰っていった。
私とQさんが1時間ほどで目が覚めた。
もう心はカジノである。カジノに行こうになり、カジノに下りて行くと・・・・・
すると、PさんとRさんが直ぐにやってきた。
「Pさん、寝ていないんですか?」
「1時間ほど、寝たよ、時間もったいないがな・・・・・・博打せんな」と根っからのギャンブラ−だった。
その後、夕食時間を裂いたが、カジノから殆ど出なかった。
夜中、またもや1時ごろ、私と、Rさんが部屋に帰ることになった。
Pさん、Qさんはまだやるという・・・・・・
朝、Rさんの電話で起きた私は、隣のベットを見た。Qさんはいなかった。
Rさんと、カジノで待ち合わせし、朝食の約束をして下りていくと・・・・・・・
案の定、Pさん、Qさんはまだ博打をしていた。
4人で朝食を取り、またもやカジノを始めた。
もう、みんな狂っていた。
Qさんは、150万円程勝っていた。
Pさんは、いくらか言わないが相当負けていた。
Rさんは、少し負けていたが、私は少し勝っていた。
昼になり、シャワーを浴びて、市場に買物に行きその後、
海辺の刺身料理店で刺身を食べて、空港に行こうと話がまとまった。
待ち合わせの時間にロビー行くと、カジノの営業マンがQさんに声を掛けてきた。
「何処へ行かれるのですか?」
「市場に、行ってオットン(甘鯛の干物)でも買いにいくんや」と答えると
すると、営業マンが「私が行きます。カジノして下さい」と必死に営業をする。
狙いは、Qさんが勝っている150万円のお金だった。
私は、「先輩、この手でみんな最後にやられるんですよ。大人しく市場行って150万持って帰りましょう。」
と行ったが、Qさんは「300万になるかもしれんやろーー」と言ってカジノに行ってしまった。
しかたなしに、私たちもついて行った。
「先輩、飛行機は7時フライトですから、4時には、終わって海岸通りの店にいきますよ」と念を押した。
「解ってるって!!」そう言って博打が始まった。

4時になった・・・・・Qさんは、150万円のお金が50万円になっていた。
Pさんは、3千円しかお金が残っていなかった。
Rさんは、10万円程負けていた。
私は、少し勝っていたお金をスッてしまい、チャラになっていた。
営業マンは、お土産の品を買ってきていた。
高い駄賃になってしまったのだ。
また、営業マンは、Qさんに名刺を渡し、「私にお電話くだされば、航空券、ホテル無料招待します。」と言った。
この手で何人の破産者が出たことだろうか?
東京のある市長がカジノ借金の為に、辞職した事は、記憶に新しい。

海岸通りの刺身屋に着いた。Rさんが1年前に、会社の慰安旅行で行った店だった。
奥さんが、民族学校を卒業しており、韓国語がぺらぺらでボラれなかったそうだ。
大体、海岸通りにある、海鮮屋は、日本からの観光客は、100%ぼったくられます。
3倍から5倍は取ります。
しかし、Rさんの事を覚えていたのと、私が、1品ずつ値段を聞いて、書かせたのでボラれなかった。
面倒くさいが、注文しながら、加算させていかなければ100%ボラれます。
そこで、大宴会が始まった。
そうだ、秋にはこのメンバーでソウルへ行こうになった。

5月に私と、Qさんは、カジノ側の招待で(他の人は仕事の都合で行けなかった)また済州島に行った。
エアー、ホテル、ゴルフ代金、食事代金、全部無料だった。
Qさんは、120万円程勝ち、私も少し勝った。
翌週、1泊2日でまたもや、Qさんが済州島に行き100万負けた。
カジノ側の思惑にQさんがはまり込んでいるように感じる今日この頃である。
カジノは、こずかい程度の掛け金でやめておきましょう。
結局、Pさんは、2泊3日の旅行の睡眠時間は、僅か1時間だけだった。