障害者体育と学校


私は、大学4年の時、今までにさぼりにさぼった、授業の「つけ」が一度に押し寄せてきた。
履修届けを出そうと思い、修得単位と、にらめっこしながら書き込んでいった。
必修、選択、授業を受ければ必ず単位を出してくれる先生、単位取得の厳しい科目、卒業に必要な単位数。
まるで、パズルだった。
やっとこさ、押し込んだ科目の空きは、月〜土曜日までびっしりつまった。
ある科目があった。
出席さえしていれば、無試験で単位がくれるという、しかし授業はさぼれない、そんな科目だった。
科目名も思い出せないほどの科目だった。
しかし、履修している学生はその教授と、1泊ハイキングしなければならない事が義務付けられていた。
六甲山にハイキングに行き、その日はユースホステルに泊り朝、解散するのだった。
それが、試験の代わりだった。

ある日、授業を私は受けていた。しかし単位の為だけの出席なので、いつものようにボーっとしていた。
何故、その教授がそんな話になったのか、覚えていない、なんせボーッとしていたからだ。
急に、教授の言葉が飛び込んできた。
「世の中の、あらゆる差別は、オリンピックの精神で克服できる。」
私の、心のなかの鐘が鳴り響いた。
次に、どんな言葉が出てくるのか?期待してしまった。
「オリンピックの精神は、人種、宗教、思想を飛び越えたものである。」
だから、オリンピックの精神を持てば、この世から差別はなくなる」と言い切った。
私は、失望してしまった。私は、心の中で「このおっさん何言うてんねん。」と言ってしまった。

札幌オリンピック、日本の選手団がおおいに活躍し、盛り上がった。
そして、表彰式で日本の選手団が来ていた、ジャージに人気が出て、提供元のメーカーに販売依頼が殺到した。
急遽、販売することになり、予約販売で手元まで来るまでに1年程かかるまでに売れた。
札幌オリンピックの後に行なわれた、パラリンピックでその問題は起こった。
JOCのある役員が、オリンピックで日本選手団が来ていたジャージを、パラリンピックの選手に
着させないというのだ。
「あのジャージは、日々たゆまなく努力し、選手として選ばれた者だけが着れる。」
そんな、内容の話だった。
ちょっと待てよ。パラリンピックの選手は、「日々、たゆまない努力」をしていないのかぁーー
自由に動かない、体で練習し、その創意工夫は、健常者の選手より何倍もの苦労があるはずだ。
それなのに、この発言!社会的にも地位があるんだろう。あなたは!!
差別じゃないのか?この発言は。
オリンピックは、こんなものか?ーーーー
私の大学時代の友人が、オリンピックに出場し、支給されたジャージや、トランクス、ランニング等
全部教え子にやっていた。彼曰く「ジャージ1枚で、その教え子がオリンピック目指すぐらい
頑張ってくれたらその方が良い、どうせタンスの奥にしまっているぐらいなら・・」
と言っていたのを思い出してしまった。
大切に思い出として、残している人もいるだろうが・・・・・・・
それは、それぞれ、頂いた選手の考えである。
しかし、JOCの役員がこんなふざけた言葉を吐くなんて、何をいわんかである。
世論の反発に合い、同じジャージが支給されたのは、言うまでもない。

先日、新聞を読んでいたら、ある体育大学の学長が新聞記者のインタビューに答えていた。
元々、体育大学というのは、体育教員を養成する目的で設立されている。
現在、少子化が進み、年々教員の採用も減りづづけている。
狭き門になっているのだ。
大学も学校経営なので、就職問題も抱えている。
しかるに、社会体育分野や、産業体育にも体育大学卒業者を、進出させるべく転換しているのだ。
そのインタビューの中で、新聞記者が「障害者が体育大学入学を希望しないか?」
「また、受け入れる態勢はどうするのか?」みたいな質問があった。
私は、驚いた。「障害者」が体育学を勉強し指導者になる。」
この、驚いた部分が私が障害者に対する「差別意識」だった。
体育の指導者は、「健常者」がするものであって、私のなかには、「障害者」が体育の指導者という
概念が無かった。
大学の教授や、JOCの役員と私は、本質的に何も違わなかったのである。
その学長は、障害者の入学希望者がいる事実を告げていた。
そして、受け入れ施設の充実の為に今後の課題と逃げていた。
しかし、障害者が体育指導者になることは、当たり前だが認めていた。

数年前、兵庫県で車椅子の少年が、県立高校受験を希望した。
しかし、スロープや施設の不備の為に門前払いを受けていた。
いくら、交渉しても「らち」が開かず、少年は関学高校を受験することになった。
関学高校のスタンスは、「試験の点数が合格点に達したら入学を認める」といったスタンスだった。
関学高校は、かなり難関校である。
しかし、見事に少年は合格した。
公立高校が憲法で保障されている。「法の元に平等」を捩じ曲げ、障害者に門前払いをする。
こんな、教育制度や教育委員会が、学級崩壊やいじめ問題が解決できるわけないやろ。
障害者が体育指導者になり、障害者が当たり前のように受験出来なければ、学校崩壊はますます加速するだろう