私が、初めて臨時講師として赴任した中学にY君という生徒がいた。
はじめてみた感想は、「この子、いじめられるな」といった感想だった。
体は大きかったが、甘えん坊で、言葉もはっきり言わず口篭もるような言い方だった。
なにより、びっくりしたのは、歯が全部虫歯だったからだ。
殆ど、虫歯で無くなっており、歯の根の部分から、金属の柱を突き立て、差し歯にするのだろう。
持ち物や、制服からは、裕福な家庭であることが垣間見れた。
おそらく、甘えに、甘えさせたのが容易に想像できた。
Y君は、表面的にはイジメにはならなかったが、実際イジメにあっっているようなものだった。
仲間に入れてもらえないのである。
表面的には、暴力や、露骨な仲間外れや、持ち物を隠すといった事がなかったので、教師も
手が出せずにいた。
ある日、ある生徒にY君の事をさりげなく聞いてみた。
すると、生徒は「あいつは、お金持ちやし、XX先生のお気に入りやから・・」とボソっと答えた。
XX先生とは、「右翼的生活指導教師」の事だった。
ある日、そのXX先生が、酒臭い息を撒き散らしながら、昼前に登校してきた。
職員室の教師はみんな気付いているが、だれも文句を言う者が無かった。
なぜなら、管理職はこの暴力的な教師を生徒を、押さえ付けるために利用していたからだ。
私は、「おかしい」と思った。殆どの先生方も思っていたはずだった。
年令の同じ先生に私は「XX先生、酒の臭いプンプンしているけど、問題にならないのですか?」
と尋ねた。
すると、その先生は顔を歪め「どうせ朝からYの家で飲んできてんやろ!」と吐き捨てた。
Yの家は、商売をしており昔からの地域の住人で、地元選出の議員とも親戚関係にあり、
いわゆる、地元の名士だったのだ。
PTAの役員もしており、管理職もかなり気を使っているらしかった。
官民癒着の縮図がそこにあった。
校区の保護者たちが、このことに気がつかないはずがない、必然的に生徒たちも相手にしなくなる
その、保護者は、自分の行為が自分の子供に、悪影響を及ぼしていることに気が付かないのだ。
その中学校は、私が赴任する前まで相当荒れた中学だった。
沈静化を至上命令として、管理職も教員も集められた。
相当手荒な事をして来たことは、学校の雰囲気や、教師たちの話で私も知ることが出来た。
まず、管理職がすることは、「地域の理解」だったが、ここは「理解が」「癒着」に変わっていた
管理職は、一線を越えなかったが、使った兵隊の教師が越えてしまっていた。
(詳しいことは、教師編にて・・・・・)
私は、2校目の赴任先は、1年の常勤講師だったので時間をかけて色々できると思っていた。
実際は、1年なんてアッという間で大したことは出来なかった。
私は、あの生徒、この生徒と関わりを持ちたかった。
ある日、その事を「教師の鏡」のK先生に相談した。
するとその先生は、「関われる生徒の数は決まっていますよ。」
「本人や、保護者に立直ろう、させようという気持ちがなければ、うまく行きませんよ」と言われた。
「子供がサインを出したとき、その時は全力で関わればいいんです。」
「教師は、万能ではないのです。時間も体も限られているでしょう」
「あなたは、ラグビー部の生徒と、クラスの生徒で、今は手一杯のはずです。」
「まず、今の生徒を一生懸命関わって下さい。」と言われた。
今教育現場は、病んでいる。
この20年近くの間、校内暴力→体罰による沈静化→地下に潜ったイジメ→現在学校崩壊と変遷してきた。
この事は、これが原因といったものはない。
4つの大罪に上げたように複雑に絡まっている。
まず保護者だが、大部分は学校教育に興味を持っていても、発言しない人が多勢である。
保護者で数人が同じ考えを持ち、建前で学校に対してと意見を言うとその方向に流れてしまう。
(管理職が、ことなかれ主義になる人が多い。数年で転勤になるからだ。)
ある、校区で「子供の人権を考える会」みたいな保護者の会がある。結構なことである。
しかし、本当に学校を良くする。考えるから外れてしまっているのではないか?と思ってしまう。
制服強制は人権無視だとか、頭髪も自由であるべきとか。
その生徒たちは、私服登校、長髪で登校する。
教師たちの本音は、「別にいいよ。」である。
別に文部省推薦の規格生徒を造のが目的でないから、仕事さえふえなければいいのである。
ここまで来るにあたって、学校側と、保護者側に相当な軋轢があったことはうかがい知れる。
学校側に、不信感を持っているからだ。
自由登校を主張することが、抜本的な、問題提起にはなっていないのだ。
良くしょうとの考えが、学校を空中分解させる要因になっているのに気が付いていない。
私から見れば・・もっと違う手立てがあるだろうに・・と思う。
学校を地域で考えていかなければならないのは、当然であるが、学校側に対して多大な要求や
意見が相互理解の上に構築されず、「介入」になってしまうことがある。
そうなった、学校は不幸の始まりである。
ある中学校は、私服登校を数年前実施した。
これは、保護者主導で行なわれた事だった。
教師は、内心反対だったが意見を言わなかった。
数年で転勤になるのに、保護者ともめたくなかったのが本音だった。
なぜ反対なのか?「歯止め」が利かなくなるからだった。
案の定その中学は、荒れている。
生徒の「権利」「自由」を「義務の放棄」と「好き勝手」に変わってしまうからだ。
最低限度の秩序の決まりを、保護者や、教師が考えなければ大多数の生徒は勘違いするのだ。
私から見れば、無秩序に甘いものを与えているにしか写らない。
行く先は、虫歯と、肥満だけである。
私は、ある体育教師から校長になった先生を知っている。
とても苦労人のその先生は、昔気質の教師である。
子供の頃から、家の畑で取れた農作物を兄と二人で、リヤカーを引き朝市で売っていた。
高校卒業後、サッカーで実業団に入ったが、怪我の為退社紙、大学に入り直し教員になった。
その先生が私に最近こう言った。
「ペーパーテストで入ってきた若い教師は元気がない。ワシが保護者に謝りに回るくらいでないと」
「それに、子供だけと違い、親も教育しなければならない」と・・・
私は、決してこの先生が「奢り」で言っているのではないと思う。
現在の、学校現場を表しているのだ。
私は、保護者に言いたい。
意見は、どんどん言おう!!!
しかし、子供が可愛いあまり、本質を見失ってはいけない。
学校を、良くするのも教師と保護者の連携プレーが必要だからだ。
全体の生徒の事を思うことは、わが子を思うことに繋がる。
教師を、当てにしてもいけない!!!
採用制度のおかげでまともな教師は絶滅寸前なのだから。!!!!!!!