私の通った大学は、ある私鉄沿線にあった。
ラグビー部の寮は、国鉄(現JR)の駅の近くにあった。
大学、寮とも同名の駅名で、やはり国鉄の方が少しさびれていた。
私が大学に入学したのは、監督が就任3年目の事だった。
元全日本の選手のその監督は当時、今でいうなら平尾誠二氏ぐらいのネームバリューがあった。
1年目は様子見のために、監督は馬なりでしかチームを作る事が出来ず、改革は2年目から始まった。
2年目から、ある会社の社員寮を1棟借り上げ、寮を作った。
しかし、この寮も中途半端な運営方式だった。
何事も初めての試みなので、うまく機能しなかった。
寮の利点は、1、地方からの学生が安く生活できること、 2、食生活を管理出来ること、
3、仲間意識を作り、部のモチベーションを上げること、等が考えられる。
みんな、寮に入りたがらなくなり、3年目の私達が入学するときには、自宅通学圏内の学生まで
強制的に入寮させたので、逆にその学生は経済的負担が大きくなった。
寮が始まったとき、食堂におばさんがいたが、あまりに不味くて、食事が外食に切り替わった。
1、2年VS3、4年としっくりいかなかったので、モチベーションどころでは無かった。
1年は強制的に入寮だったが、ある有力新入部員が「寮に入るなら進学しない」とゴネたので、
監督は例外を作ってしまい、自宅通学圏内の学生から不満の声も上がった。
私も、夏を過ぎた頃には、寮費の1万円だけを支払い、自宅から通学した。
その方が安上がりだったからだ。
ある日、寮にマムシの兄弟のQさんとZさんが、またしてもやってきた。
酒を飲んで、ええ気分でやってきたのだった。
「1年集合!!」と各部屋に御触れが回ってきた。
ミィーティングルームに、1年と2年のOさんが集まった。
Qさん、Zさんは、おもむろに話をしだした。
「おい、国鉄の駅前にある、ピンサロ知ってるか?」
国鉄の駅前に唯一ピンクサロンが1軒あり、5000円ポッキリと大きく看板が出ていた。
私達はピンサロがどういう場所かは知っていたが、行った事はなかった。
5000円は、当時1日のアルバイト料で、大金だった。
Qさん、Zさんは、一杯気分でそのピンサロに行ったのだった。
その報告会を今からするらしかった。
Qさんについた女の子は、ちょっとイケイケのヤンキー女だったが、若く、スタイルも良かった。
Zさんについた女の子は25歳ぐらいのお姉さま風の、これまた、スタイルが良かった。
サービスは、ここでは書けないくらいのなまなましさで、はずかしながら、高校卒業して
数カ月の私達1年には刺激の強い話だった。
1年全員が、行きたい欲望の衝動に駆られた。
しかし、5000円は大金だ。誰かが一人でも「行こう」と声を掛ければ、
雪崩のように万年女日照症の1年部員たちは行っただろう。
その気持ちを押さえさせたのが5000円という金額だった。
それを見透かしたように、マムシの兄弟のQさん、Zさんは、
しきりにサービスの良さと女の子の質を宣伝しまくった。
その時、2年のOさんが「俺今から行ってくるわ」と立ち上がった。
「誰か1年一緒に行けへんか?」と尋ねたが、1年は金が無かったのだ。
Oさんは、Qさんの付いた、ヤンキー風の姉ちゃんを指名すると言って源氏名を聞き出し、
かっ飛ぶように寮から出ていった。
それからしばらくしてOさんが帰ってきた。
私達は報告を聞くために、ミィーティング室で待機していた。
Oさんは不機嫌そうに帰ってきた。
マムシの兄弟はニヤニヤと笑っている。
QさんがOさんに「どうやった。」と聞くと、Oさんは「おかん(お母さん)が出てきたわ」と
答えた。マムシの兄弟は大爆笑した。
マムシの兄弟は、自分の母親みたいな年令の「ビヤ樽」みたいなスタイルの女性にサービスされ、
悔しくて、寮の1年を「ハメ」てやろうと、有る事、無い事を喋っていたのだった。
それから毎年、新入生が寮に入ると、そのピンサロがいかにサービスが良く、美人ぞろいの
ピンクサロンであるか、ミィーティング室で語られるようになった。