徹夜でナンパ


夏、合宿の季節がやってきた。
私の所属する、ラグビー部も合宿に出発した。行き先はメッカ菅平ではなく、信州車山高原だ。
大型バス、2台とワゴン車、乗用車、ワンボックスカー、4、5台で出発した。
バス、以外は1〜2年の車で、ボールや、タックルマシン、その他モロモロの道具を積み出発した。
3〜4年生も車を持っている先輩もいたが、汚れるために持ってこなかったのだった。
期間は2週間、高校時代は10日間ぐらいだったので、少し長かった。
また、大学の合宿は初めてだったが、高校の時より気分は重くなかった。

車山高原には、同志社大学も来ており、練習ゲーム、スクラム、アタックディフェンス等、合同で
練習をさせてもらった。この頃の同志社大学は、常に大学選手権で、早稲田、明治に後1歩で
負けていたが、実力は大学ナンバー1と言っても過言は無かった。
1年後、神戸製鋼の大八木が入学し、更に1年後平尾誠二が入学、黄金期を作るのだった。
合宿3目ぐらいに、同志社大学とスクラムを組んだ。私の大学は、同志社の1軍相手にボロ勝ち
した。監督は上機嫌だった。次の日またスクラムを組んだ。押せない五分五分になった。
きっちとスクラムを1日で修正してきたのだった。
3日目、私の大学は相手にならなかった。
前半1週間は、こんなことを繰り返し練習していたが、後半戦になれば同志社大学とゲームを
する予定になっていた。
1週間目の1日、中日(なかび)と言って1日休養のために、練習がオフになるのだった。
前日の夜、Qさん、Zさん,Oさん、Yさん(与論島ナンパ旅行参加)カメ、私と明日の1日を
どう過ごすか作戦を練った。車で、30分ぐらい行くとそこは河口湖。
即河口湖、日帰りナンパツアーが計画された。
前日から1年の車を調達した、万年女日照り症の私達はわくわくしながらその日を待った。
私は、朝食が済み、洗濯等をしていてぐずぐずしていた。
ふと、気が付くとQさん、Zさん以下、私以外誰もいなくなっていた。
やられたーー置いてきぼりを食ったのだ。
私は、その日宿舎で1日ふて寝した。
寝ていると、4年が車がないと大騒ぎしている。自分たちも1年の車で行くつもりだったのだ。
私は、ピンときた。4年が1年の車を借りようとしているのを、マムシの兄弟は察知して一足先に
出発したのだと、後から聞いた話でもそのとうりで私を探していたのだが、見つからず、出発した
のだった。やはりマムシの兄弟は、ナンパがかかると冷たいものだった。
夜、食事になってもマムシの兄弟達は、帰ってこなかった。
部員数が、100人あまりいるラグビー部は、監督は気がつかなかったが、部員は全員知っていた。
マムシの兄弟達が乗っていった車をあてにしていた4年は、憤慨し怒っていたが、私はえらい事に
なるぞと思っていた。
ある4年は昼間、河口湖で、マムシの兄弟を見ていてナンパしているところも、目撃されていた。
朝、練習直前にマムシの兄弟達は、宿舎に帰ってきた。
3年、4年は、異様な雰囲気に包まれ、練習が始まった。
おまけに、マムシの兄弟の片割れ、Qさんが、練習に出てこなかったのだ。
1年に「風邪で休む」と伝言だけ残して、部屋で寝ているのだった。
監督には、隠さなければいけない、キャプテンは苦虫を噛みつぶした顔で、監督に「風邪」と
報告した。さすがにZさん達も、まずそうに思苦しい練習が始まった。

練習終了後、1年に集合がかかった.キックダッシュ(しごきの一種)が始まった。
朝帰りに1年が一人いたためだった。
私は、カメに「ええかげんにせーよ」「ええ思いしてきて何でおいらが、やられんなあかんねん」
カメは、「ちがうねん、あとから説明するわ」と言いながらしごきを受けた。
今度は、Zさん、Oさん、Yさん、が同じしごきを受けた。
肝心の、Qさんがいないのだ。
3〜4年は、Qさんを殴ると言っていた。
私は、えらいことになると思っていた。なぜなら、Qさんが黙って殴られる人ではないからだ
乱闘、退部、退学想像した。Qさんなら絶対にやられたらやり返す人だった。
カメ、YさんもQさんと同じ高校だった。
もし、Qさんがやられれば、一緒になって喧嘩すると言って、宿舎に帰った。
宿舎に帰り、Qさんを起し、ざっと説明したとたん、「キャプテンに謝ってくるわ」と言って
キャプテンの部屋に行った。Qさんが、素直に聞くのは、キャプテンと副キャプテンぐらいだった。
キャプテン達は、「気を付けるように」と間単にすました。なぜならQさんと揉めると、合宿自体
途中打切りになるほど揉めてしまう可能性があるからだった。
明らかに、今回マムシの兄弟たちが引き起こした騒動は、シャレにならなかった。
ブーブー言っていた4年も結局Qさんには何も言わずじまいだった。
その夜、一部の4年の怒りは、1年に向けられた。
集合がかかったのだった。
全員正座して4年の部屋に行った。キャプテン、副キャプテンの知らない所での集合だった。
Qさんの、高校の後輩以外全員殴られ、蹴られた、私が一番ひどかった。
なぜなら、Qさんと仲が良いし、Qさんの高校の後輩ではないからだった。
部屋に帰り、カメに「当事者のお前が、Qさんの後輩やから言うてなんで俺が1番殴られんなあかんねん」
とぼやいていたら、無償に腹が立ってきて、私は、「山をおりる」と言って荷物をまとめ始めた。
私を殴った4年は、Qさんの高校の監督に就職を世話になっており、その高校の出身者だけを
殴らなかったのだ。
カメは「俺も、下りる」と言い出し2人で荷物をまとめ終えると、「さー行こか」と言うと
見ていた、1年は「何処行くねん」と聞き、私達は「XXの部屋」と言った。
殴った、4年の部屋だった。ラグビー部もやめ、大学も退学を覚悟した私達は、最後に4年と
喧嘩して、辞めるつもりだった。
このことは、伏線がたくさんあったのだ。
1、2年生は監督が自らスカウトした選手で、3、4年は監督不在時の選手だった。
監督は、若い選手を使いたがった、なぜなら監督就任後3年間は、捨てチームで私達が3、4年に
なった時に、大学選手権をめざしており、1、2年VS3、4には溝があったのだった。
部屋にいた、1年は、私達を部屋から出さなかった。
慌てて、2年生を呼び行った。
2年生10数名がやってきて、私達を説得したが、カメの先輩Yさんは「俺も行ったる」と
けしかけた。
1時間の説得工作が実を結び、私達も落ち着き事は一件落着した。

ナンパの話に戻そう。
河口湖で、東京から来ていた、短大生、OLの5人グループとなったマムシの兄弟達は、彼女達の
ホテルでゲームなどをして遊んでいた。
Yさんとカメが、良い雰囲気になったが10人もいる、部屋でHは無理だった。
Yさんとカメは、カップルとなりホテルを出て行ったが、キスまではしたが、それ以上
出来なかったそうだ。
YさんもカメもHが出来る場所を、必死でさがしたが見つからず夜が明けたのだった。
車は1台しか無いので、マムシの兄弟とOさんが女の子の部屋で1晩中帰ってくるのを
待っていたのだった。
合宿が終わり、3日程オフがあった。その時にYさんとカメは、東京まで女の子に会いに行き
迷惑そうな顔をされたのだった。
河口湖ではあんなに良い雰囲気だったのに、これから来ても逢わないと、はっきり言われたそうだ。
当然、H等できるはずもなく、東京旅行も徒労に終わった。

「女心はわからん」とぼやくことしきりだった。
住所、電話番号まで教え、「絶対に来てね」と言った言葉は何だったんだろう。
私まで、殴られ、あんな騒動まで起して・・・・・・