おちゃらけ学園、学籍番号2番のヒナキさんが「教育実習の思ひ出」投稿して下さり、
私も、色々思い出したので急遽アップすることにした。
私の成績及び単位取得状態は、すこぶる悪かった。
何とか、教育実習に行けるだけの単位を、3年生にまで取得し教育実習に
行けたのだった中学、高校どちらでも良かったが、出身高校の教育実習は
「きつい」事を聞いていたので私は中学に行くことにした。
原則は、出身中学だった。しかし受け入れ校の都合で、教育実習に行けないことがある。
教育実習生が多い場合、荒れた学校で教育実習どころでは無い学校などだ。
出身中学の校長先生に、「教育実習許可書」に署名、捺印してもらい、
大学に提出しなければならない。
私は、出身中学に出向き「教育実習許可書」をもらった。
職員室を見渡せば、知っている先生は、ほとんどいなく淋しい気持ちになったが、
私が、中学2年の時に新任だった先生が1名残っていた。
教育実習の1週間前から、私は大学をさぼりまくった。
理由は、「教育実習校との打ち合せ」だった。この文句を書いた公欠届けを出すと
フリーパスだった。
指導教官は、大学の先輩でかなり年上だった。
教育実習生は。私と女子2名の合計3名だった。
朝のホームルーム、終礼と、指導教官のクラスに常にともにしなければならなかった。
教育実習期間は、3週間、1年生は、バレーボール、3年生は陸上だった。
(指導教官は、1年生の半分と3年生を受け持っていた)後半になると水泳になった。
最初の1週間は、見学だけで退屈極まりない状態で、死にそうだった。
指導教官の先生は、学校一の恐い先生で通っていた。
ある、保健授業の時指導教官が授業をしており、私は教室の最後尾に座り、
見学していた急に、睡魔が私を襲い、居眠りを始めたのだ。
それも大イビキ付きのやつだった。
ふと気が付くと、生徒全員が後をふりかえり、私を見ていた。
起きた瞬間、「大爆笑」指導教官も苦笑いだった。
クラブ活動は、当然ラグビー部だった。
この頃は、専門の先生がいなく大学に同好会で、少しかじった程度の先生が顧問だった。
伝統的に、不良グループもラグビー部にいた。
ちんたらしていたので、私はきつめの練習をさせ怒った。
翌日から3名の不良ラグビー部員は、学校にも来なくなった。
この3名の生徒は、中学生の「おふざけ」を越えた行為を繰り返しており、
現在の、風潮なら警察が学校に介入するぐらいの悪さをしていた。
学校には来るが、授業は受けない、毎日が教室に入れようとする先生と、逃げる生徒で
廊下、階段などで運動会が開かれていた。
この3人のリーダー格の保護者が学校に抗議の電話を入れたのだ。
私は、リーダーに練習中、真面目にしないので胸ぐらをつかみ「目玉が飛び出るくらい
しばいたろか」と怒鳴ってやったのだ。(講師の時なら殴っていた)
リーダー君は、学校に行かない理由を親に、
「教育実習に来ているXXになぐられる」と親に言っていたのだ。
親は、それを聞き憤慨し学校に電話してきたのだった。
1年先輩の、レスリング部の先輩が前年、教育実習に行った先で、生徒を殴り大問題に
なった。教育実習前、大学で教育実習生対象のガイダンスがあり、くれぐれも体罰的
な事件は、起こさないように注意していた。
また、問題を起こした場合は即刻教育実習中止、単位は認めないと脅かされていた。
親は、私と管理職に家まで謝罪に来るように求めた。
他の先生は、私に同情的だったなぜなら、リーダー君は数週間前に、教室へ入るように
指導した女教師に暴力を振るい怪我をさせていたが、謝罪の言葉も無かったのだ。
管理職は、保護者が私の大学に電話することを懸念していた。
それ位、しそうな親だった。
とりあえず、管理職、生活指導の先生、私とで夜にリーダー君の家にいった。
母親1人が、対応し本人は居なかった。なんやかんやと言われたが、管理職は、仰せの
とうりと言うだけで事なかれ主義だった。
私は、聞くフリをして他のことを考えていた。こんなおばはんに、言い返してもしょうがない、
と思っていた私は、早く時間が過ぎないかなぁーと考えていると・・・
「私達に父親がいないと思って、こんな仕打ちするんやろ」と言ったのだ。
私の心は、この一言に直ぐ様反応した。(母子家庭と解ったのはこの時だった)
私は、何も言わずにやり過ごそうと思っていたが、止め金が外れた。
「私も、決して勉強できる方じゃなかったし、ラグビーやっていたから、大学にも進学
できた、高校時分は、監督にも殴られ、蹴られしたがそのお陰で今の自分がある。
XX君も決して成績が良いほうじゃない。でもラグビーで人生を変える事はできる。
XX君はラグビーするのにいいものを持っている。(実際にいいものを持っていた)
私から、見ればもったいない。私は今、ああいう形でしか指導できない。」と言った。
つずけて「あんたとこみたいな子供殴らんなあかんわ、いまやっとかな、ロクでもない
人間になるでーー」と心の中で言ってやった。
すかさず管理職は「XX君の将来を、自分の経験上、真剣に考えあのような行動に出たので
ご理解頂きたい」とまぁーー上手い事言うものだ。
帰りぎわ、私は2人の先生に「生意気言って申し訳ありませんでした」
と謝罪したら、生活指導の先生は、「いやあれ位、言ったほうがええ」と言ってくれた。
その後、教育実習中3人は登校してこなかった。
そうこう、している内に教育実習も終わりに近ずいてきた。
体育の教育実習には指導教官と打ち上げがつきものだ。
100%に近い確立で、最低1度は、(毎週の所もある)指導教官のおごりで
飲み会があるのだった。
担当の指導教官の先生の父親が、集中治療室に入院されており、危篤状態で家族は
いつでも病院にこれるように、主治医から言われていたために、飲み会はなかった。
指導教官の先生は、非常に申し訳なく思ってくださって何回も謝ってくれた。
(体育の教育実習の伝統になっている)
変わりに、私が中学の時から残っていた、国語の先生が連れて行ってくれた。
さあ、教育実習の最終イベント、公開授業だ。指導計画書を書き、(この指導計画書が
くせもので、初めて指導計画書を書く教育実習生は、うるさい指導教官にあたれば、
睡眠時間が平均3時間ぐらいになってしまう。いちゃもんをいくらでも付けれる代物だ)
私の指導教官は、うるさくなく2回程の書き直しで通してくれた。
授業は、「水泳」、朝の職員朝礼の前に、指導計画書を全教員の机に配り、
「何時間目にプールにて、教育実習生の私が公開授業を行ないます。
時間の許せる範囲で結構ですので御見学よろしくお願いいたします。」と言うのだ。
他の教育実習生は、短大だった為に2週間の教育実習で済みもう大学に帰っていた。
プールに行こうとすると、中学時代に先生だった人とばったりあった。
「あっ先生ご無沙汰しております」「なんでここにおるんや」
「はい教育実習で来ています。先生は今何処の学校へおられるんですか?」
「今、教育委員会にあがって、ある連絡事項で校長先生に会いにきたんや」
「今から授業?」「はい、最後の授業で、公開授業するんです」
「そら、見んなあかんな」と言って、管理職、教育委員会の先生、授業空き時間の先生
約10名ぐらいが集まった。
指導計画書に沿って授業を進行する。当然指導計画書に無いギャグを飛ばしながら。
笑いを取りながら、楽しく、決められた時間(50分)の中でより多く、体を動かす事
がモットーの私の授業は、自分自身満足のいく公開授業だった。
さあー、校長室で反省会だ。大概はボロクソにやられるのだ。
今後の為に、いちゃもんを付けられるのだった。
指導教官が、司会者になって反省会は進められる。
「何か、XX先生の授業を見学し留意点、反省点をご指摘願います。」
しばらく、沈黙の後、教育委員会の先生が「うまい」と一言、言ってくださった
つづいて他の先生が、「10年選手の授業の進め方やった、楽しく、
十分に50分フルに使って運動させてムダが無かった。」
最大級の褒めことばが並んだ。
ただ、指導教官は「指導計画書の字が汚く読みずらい」と言った。
それと、最後に100Mクロールで泳がせたが、
3年生だったので200Mでも良かったのではないか?ともおっしゃった。
教育実習最後の日、寄せ書きや、個人的に手紙、
数人でコーヒーカップをくれる生徒が職員室にやってきた。
ちょうど、私の机の隣が、音楽の講師の先生で私の教育実習の最終日と彼女の、
任期が終わる日が同じだったために、彼女の机の回りにも生徒たちが集まり、
手紙や、記念の品をもらっていた。彼女は、感動し泣きだしたのだ。
私は、「先生、今日で僕と離れ離れになるからと言って、そんなに泣かんでも・・・・」
と言ったとたん。
下を向いて、涙を拭いていた顔をキッと上げ、(あんた本当にアホやね、私は、あなた
みたいのは、タイプ違うのよ、もっと知的でデリカシーのある人やないと駄目なの。
涙の半分は、生徒と離れる悲しさと、あなたの横から離れられる喜びと複雑な涙なの!)
そう言った顔をして私をにらんだ。
先生方に挨拶をして、校門を出た私は振り返り校舎を見上げた。
校舎を見ながら、絶対に教師になると心に強く思った。