私のHPによく出てくる、マムシの兄弟のQさんとZさん、このお二方は、今でもコンビである。
私が、大学へ入学し、この人たちと行動を、供にしたために私は、ドロップアウトしてしまった。
それほど、おもしろく、型破りな2人だった。
この話は、私が大学へ入学して、すぐに聞いた話である。
マムシの兄弟の、Qさん、Zさんは、有望視されて入学した選手だった。
監督就任2年目の秋のリーグ戦のことである。
(当時私は、高校3年生だった。)
監督は、自分でスカウトしてきた選手を使いたかった。
初めて、スカウトした選手が1年生に入ってきた年、監督は2〜3年間捨てチームを作る気持ちだった。
スカウトを、してきた選手を使い、経験を積ませ、初めてスカウト選手たちが4年生になった時に
大学選手権出場を目指した。
Qさんも、Zさんも将来を嘱望されて、入学した選手だった。
Qさんは、高校3年時、全国大会に出場して、3位になったときの主力選手で、体はあまり大きくなかった。
しかし、抜群のラグビーセンスと、その闘争心は、すさまじいものがあった。
ボールを獲得するための執念、此処一番のディフェンスは、頼りになる選手だった。
しかし、ムラッ気が多く、自分自身燃えないと、結構練習もサボる人だった。
実際、自分自身「もう、ラグビーはええわ」と言って、必死にやる風でもなかった。
しかし、高校時代に鍛えられた、身体と、センスは、目を見張るものがあり、1年生ながらレギュラーに
抜擢された。
秋のリーグ戦が始まると、Qさんはレギュラー、Zさんもリザーブに入り、ベンチに入っていた。
奇しくも、Qさん、Zさんは、同じポジションであった。
フランカーというポジションで、タックルの場面の多い、勇気が必要なポジションだった。
なぜか、順調に勝ち進み、ひょっとして3位(大学選手権代表決定戦に出れる)順位を確保しそうな
勢いが、チームにあった。
4年生も、にわかに色気が出てきた。
リーグ戦は、日程が決まっており、自分たちで星勘定してしまうのだ。
私の大学は、京都産業大学戦の前まで、無敗で勝ち進んできた。
当時、1位、同志社大学 2位 天理大学と指定席があり、3位を他の6大学で争っていた。
京都産業大学に勝てば、3位に入れる、そんな星勘定を部員全員がしていた。
京都産業大学戦の前日、練習も終わり、監督から試合用のジャージが配られた。
Qさんは、6番の背番号をもらい、Zさんは、18番のジャージを貰った。
Zさんは、控え選手、レギュラーが怪我などの、不測の事態があれば、交替選手としてゲームに出るのだった
私も、覚えがあるが、控え選手の時に、自チームの選手が怪我で倒れてくれないか?と願うのである。
汚い話だが、これが本音なのだ。
Zさんも、Qさんと仲が良いが、試合中絶対に、Qさんが試合に出れない程度の怪我をしてほしい、と思った
に違いない。選手とはそんなものだ。
試合前日の、帰り道にQさんが、Zさんにこう言った。「Z、試合に出たいか?」
すると、Zさんは「あたりまえやんけ、出たいに決まってるやろ」
「そうか、明日、俺怪我するかもしれん」とQさんは、Zさんに言った。
「虫が報せる」時がある、本当に!!
長い経験上、「怪我するな〜」と思ったときに怪我するときがあるのだ。
試合が始まる前に、Qさんが、Zさんに「いつでも行けるように」と言葉を残してグランドに入った。
試合が始まった。内容は、一進一退で進んだ。前半の終了間じかに突放し、ゲームの流れは、完全にこちらへ傾いた。
前半が終了し、ハーフタイムなった。水を持ったZさんが、Qさんに近づいて行き、水を手渡した。
すると、Qさんが「Z用意しとけよ!」と行って不適な笑いを浮かべた。
後半開始早々、Qさんがタックルに行き、ラック状態(選手が倒れ密集状態)になりQさんは下敷きになった
Qさんは起き上げれない。右足を引きづっている。ゲーム続行は不可能だった。
両肩を支えられて来たQさんは、ベンチに帰ってくるなり「Z行ってこい!!」と怒鳴った。
Zさんは、監督の指図なしに「おおおー」と声を掛けて出ていこうとした。
すると監督は、その勢いに飲まれ「Z行ってこい!」と思わず声を掛けた。
試合は、その後、順調に得点をかせね勝利した。
解散後、ZさんとQさんは、2人きりになり帰宅して行った。
足を引きづっていたQさんは、いつのまにか足が治っており、普通に歩いていた。
Zさんは、「おい、Q足ええんか?」と尋ねた。
「おお、あんなん役者(うそ)や、怪我人の振りするのん、うまいやろ」と笑った。
Zさんは、複雑な気持ちだった。
試合に出れたのは、嬉しかったが此処までされては・・・・・と思ったのだ。
するとQさんは「おれ、来週一杯休む(練習を)から次の同志社戦たのむで」と言った。
Zさんは、「えっ、同志社戦?」
すると、Qさんはニヤリと笑い。「そうや、同志社戦や」と答えた。
ここで初めて、ZさんはQさんの魂胆が解ったのだ。
当時同志社大学の選手で「壊し屋」と異名を取った選手がいた。
後の全日本代表選手にもなり主将まで務めた。H氏である。
彼にタックルされたり、タックルをした選手が何人も骨折をしていたのだった。
私が、1年の時の夏合宿で同志社と練習ゲームをした、その時タックルに行った。
先輩が、2人鎖骨を、H氏に折られ入院した。
Zさんは、「Q、お前・・・・・そのために、役者したんか?」
するとQさんは「当たり前や、レギュラーより自分の身体やろ」と平然と言ってのけた。