| 法隆寺-3 | 
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|   「経蔵」は「楼造」の建物では現存最古で、天平時代唯一の遺構です。 | 
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												姿が見通せる最高の場所となりました。前述の五重塔の写真はここからの撮影です。 
													
													 天平時代の「鐘楼」は講堂と共に焼失し平安時代の再建ですが平安時代唯一の楼造で | 
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|  「大講堂」は法隆寺再建時にはなく食堂が記録されておりますことから当時は食堂と | 
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																 大講堂は屋根構造に特徴があります。天平時代の屋根は下から見える構造材の化粧 | 
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																		 当初の「薬師三尊像」は講堂の焼失で運命を共に | 
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 |  上御堂(大宝蔵院前通路から) | 
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														「上御堂(かみのみどう)」は毎年11月1日より11月3日の3日間だけ開放されます。 | 
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													 「釈迦三尊像」は上御堂の本尊であ | 
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														 現在、「回廊」は鐘楼、経蔵の | 
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																	 方形でありました回廊が経蔵、鐘楼前を通り大講堂と結ばれて現在の凸型の回廊に | 
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															 古代の「回廊」では唯一の遺構という貴重な建造物で当然国宝指定です。 | 
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															 |  礎石(凝灰岩の加工石) | 
| 平安時代は自然石そのまま。 | 天平時代は凝灰岩を加工した方形。 | 
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																	ここは順光で記念撮影の | 
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|   鏡 池 | 
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													 柿くへばといえば法隆寺と言われるほど知名度抜群の俳句で、この句は俳人「正岡 | 
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|  聖霊院 妻室 | 
|  「東室(ひがしむろ)・僧房」は一般には講堂の周りの北寄りに建築されますのに金堂、 
																	 僧侶たちは講堂で学んできたお経などを寄宿舎の僧房で自習するわけですが二十畳 
																	 大房(だいぼう)に小子房(しょうしぼう)が付属しての一組となるのが通例で東室が  東室は聖霊院の残りの十二房ですが倒壊を免れて修理、修理で今日まで持ち応えて | 
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|  大会式(中門を通って) | 
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																	 「聖徳太子像」は衣冠束帯の装いに笏(しゃく)を両手で持ち、勝鬘経を解説する姿だ | 
|  毎年、聖霊院で行われる聖徳太子の忌日法要を「小絵式」と呼ばれ、10年毎に大講堂 | 
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																			 聖徳太子はお住まいの斑鳩宮から執務場所の | 
| ますが像を見た限りでは見分けが付きません。太子がお生まれになった橘寺にも黒駒 | 
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												 |  紅葉からの綱封蔵 | 
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												 「綱封蔵(こうふうぞう)」は天平時代に流行した「双倉(ならびくら)」の唯一の遺構で 
												 全国各地の役所に税として納められた物品を保管する双倉が正倉と言われその正倉 | 
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												 綱封蔵の双倉に並ん | 
| にあったのかも不明です。食堂内に厨房があり食堂と細殿で食事をされたのでしょう | 
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													「大宝蔵院」は冷暖房完備という心憎い建物です。私は異常な暑がりで夏のガイド | 
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			 |  蓮華文の鬼瓦 | 
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			 五重塔の西面の「分舎利仏土」に安置 | 
													 若草伽藍から出土した鬼瓦の模作です。 | 
|  日 本 |  韓 国 | 
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														 我が国の古代の建物の色は、青(緑)(連子窓)、朱(木部)、黄(木口)の三色ですが中 | 
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|  アジャンター第一窟にある壁画「蓮華手菩薩像」で |  | 
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																「九面観音立像」は養老三年(719)に唐から請来さ | 
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																 白檀は釘もたたないような硬木ですから精緻な文様の彫刻ができ、九面観音の耳璫 | 
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																		 「夢違観音立像」は東院絵殿の本尊です。教科書で | 
| 分(赤矢印)は天衣を盛り上げるという丁寧な細工を施しております。 | 
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																			 「飛鳥時代の救世観音像」と「白鳳時代の夢違観音像」の造像様式の違いを列挙いたし |