御同朋の社会を目指して!

tomoの同朋運動
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最近、宗門の基幹運動から部落差別の問題が端に追いやられている感じがす
ることがある。
平気で「基幹運動は差別の問題だけやるんじゃない!」と言う人がいる。おそら
く宗門が部落差別の問題に関わっていることを快く思わない人にも、基幹運動に
興味を持ってもらおうという思惑があるのかも知れない。
でも、そんな人たちは今教団内で起きている差別事件をどう思っているのか
な?少し前にもご本山にテープで録音した声で賎称語を使った差別電話がかか
ってきたという。これだけ頻繁に差別事件が起こる宗教教団も珍しいのでは・・。
そのことをどう思っているのだろうか?
「あ、またか・・」ぐらいにしか思っていないのだろうか?よく「○○」等で表現を
隠しているあの賎称語。関係ない人にとっては「あ、またか・・」ぐらいにしか思わ
ないのかも知れないけど、被差別者からすれば、何度聞いても決して慣れること
などない、身の毛もよだつような言葉だということを知っているのだろうか?毎回
毎回たくさんの人(僧侶・門徒さんを含めて)が傷ついているのに、そのことに想
像ははたらかないのろうか?
今、基幹運動の一環として、「人々の苦悩に共感できる開かれたお寺・教団に
しよう」という掛け声のもと、カウンセリング技術の習得やビハーラ活動など様々
な研修が行われている。すごく大切なことだと思う。私も個人的にカウンセリング
にはすごく興味がある。
でも、その「人々の苦悩」の中に「被差別者の苦悩」は入っていないのだろう
か・・?
「基幹運動は差別の問題だけやるんじゃない!」と言っている僧侶が、いくら
「人々の苦悩に寄り添おう!」と言っても、誰も信じやしない・・
06.5.19(tomo)
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