子どものために出来ること



先日 研修会でパネリストとしてお話させてもらいました(^−^)
自分が一番大事な私にとって 至孝のため…とは言いながら 結局は自分のためやな〜〜〜とは思いつつ…
まこれを機に 少しは子どもの方を向かないとね(^−^)


以下はその時の原稿です(^−^)


「子どものために出来ること」と改めて聞かれ、
現在高校
3年生になる息子に私は一体何をしてきたのか、
また今後どうしたらよいのかを考えなおす機会をもらいました。

 長女と12か月違いで産まれた息子は、生理のないままの妊娠だったので予定日が定まらず、
おなかの大きさだけで促進剤を使っての出産でした。
本当はもう少しおなかにいたかったのに、むりやり外界に出されたのか、胎脂でまっ白で、
私は後産が出来ずに緊急手術となりました。
麻酔がさめた時には寝ていたこともあって大変楽なお産だったのですが…。
その後の苦労はご想像にお任せします。
首が座った頃から眠くてぐずりだすとガンガンと床に頭をぶつけ、
抱くと余計にそっくりかえって怒り出すので、
「これがこの子の寝入りのポーズだ」と諦めて寝るまで見守るしかなかったこと。
たくさんオモチャがあるのに見向きもせず
VTRを横にひたすら並べるのが唯一の遊びだったこと。
何かおかしいと感じていたからこそ指導が入るのを恐れ保険所への検診にあえていかず、
私の考えすぎかも…とか周囲からの「男の子だから遅くて当然」という言葉にごまかされたふりをしていました。
身体的には異常を感じなかったので私の産後の検診と重ねて、
首の座り具合などを診てもらっていました。
しかしとうとう産科の先生に「お母さんさすがに小児科に行きや」と言われ、
しぶしぶ小児科の門をくぐることになりました。

当時はまだ「育て方」という先生がいる時代で
「お母さんの愛情不足」と言われ続け療育に通うのが心底嫌だったのを思い出します。
でも「これが治療…」と自分に鞭打って通っていました。
心身ともに疲れ果て毎日落ち込んで泣いてばかりいた日々。
私が落ち込んでイライラしていると
息子のみならずお姉ちゃんにも当然悪影響で、ちょっとしたことで泣くとんでもない泣き虫でした。
すると「この子が泣くのもお母さんのせいやで」と…
本当にどうして良いのかわからずに八方ふさがりの暗黒時代。
暗中模索で色々なところに足を運びました。
そんな中で大阪のある自閉症の専門施設で
「脳の障害です。お母さんの育て方ではありませんよ」と言ってもらった時には
障害が確定したにもかかわらず、すごく安心しホッとしたことを覚えています。
そこで紹介してもらった通園施設では
「お母さん良く頑張ったね。これからは一緒に頑張ろう」と言ってもらい涙が止まりませんでした。
「私が何とかしないといけない」から「ひとりじゃないんだ!助けてもらってよいんだ」と
思えるようになったことで気持のゆとりができ自然に笑えるようになりました。
気分がピリピリしなくなると子どものこともあれこれと見えるようになってきました。
「あれが出来ない・これが出来ない」という思いから、
「あれが出来るようになった・こんな事が出来るんだ!」と子どもを認め褒められるようになりました。
この気持の変化の原因は障害のある息子のみでなく、
親を含めてその子をとりまく環境までをも理解し支えてくれる人がいるという信頼感・安心感が生じた結果だと思います。
だからこそこでの指導を家でも実践しましょうと思えるようになったのです。
「先生にまかせておけば安心」と感じられた時に療育がはじまるのだと実感しました。


学校と親との間に信頼関係が成り立たなくてはいくら良い授業であっても子どもには届きません。
親と先生が同じ気持ちで接することが子どもの成長につながるのだと思います。
見ていないようで親の態度を敏感に観察している息子たちに決して嘘はつけません。
大好きなお父さん・お母さんが信じている先生の指導だから「きいてやろう」と思うのだと思います。
先生(学校)との信頼関係をより深く、より密にすることが必要なのではないでしょうか。

でも「信頼関係を結ぶこと」実はこれがとても難しいことなのです。
可能性を疑わないお母さん・逆にどうせ無理!と思いこんでいるお父さん。
何とかこの子を社会に送り出そうと力を注いでくれる先生・仕事だから今日一日課題をすませましょうという先生。
この気持のすれ違いは下手をすると
本人の状態・意思をそっちのけで周りだけが騒ぐ形になり
両者の努力が実を結ばないという残念な結果にもなりかねません。

そうならないためには、繰り返し綿密・濃厚な話し合いが必要になってきます。
しかし…

学校行事が多すぎるのか、子どもたちの課題が多すぎるのか、
先生と生で話し合いをもつのが大変難しい状態です。
そのために「連絡ノート」という形で先生との会話を持つようにしています。
しかしこれも上手に活用しきれていない状態で、
せっかくノートに書いていても返事をくれない先生。
学校=託児所状態になっていて、今どのような学習をしていて
自分の子どもがどういう状態にあるのかを知らないお母さんもいます。
確かに子育ては大変です。
自分の自由な時間が欲しいのもわかります。
でもやはり自分の子。
ましてや卒業したら死ぬまでお付き合いしないといけません。
卒業してからの長い人生、しやすい子になっていてくれないと全部自分自身に返ってきてしまいます。
今後どういう状態になっていてほしいのか、
今何が一番困っているのかということを親の方も見極めて
目標・計画をたて実践していかなければ明るい未来は望めません。

残念ながら熱心な先生・そうでない先生、話しやすい先生・ちょっと苦手な先生、
いろんな方がおられます。
でも「あたりが悪かったわ…」「○○ちゃんの先生よいな〜」ではダメです。
こちらの熱意が伝われば先生も絶対答えてくれるはずです。
先生を動かすのも親の愛かな?と思います。

 我々が安心して地域で暮らしていくためには、
となり近所広くは社会全体に障害を十分に理解してもらうことが必要です。
傷害事件が起こった時に「支援学校出身でありませんように」
「障害児ってでませんように」と
TVを見ながら思う今日この頃です。
最近誰もかれもが障がい者のような報道が多すぎると思います。
しかし一般の人の障害に対するイメージはそういう
TVやニュースの情報が全てです。
「障がい児は怖い」という悪いイメージが先行してしまっては、
受け入れてもらいようがありません。
正しい知識を持ってもらうためにはもっと身近に接してもらうことで、
この子たちの素直で可愛いいところを理解してもらうことが必要です。

 私は近所の行事にはできるだけ息子を連れて行って
「曽我さんとこの至孝クン」を見知ってもらうようにしています。
180CMある息子が大声を出してそばによると最初皆さんビックリして引いてしまうのですが、
大きな声は出すけれど別に人に危害を加えるわけでなく、
ニコニコとしている息子。
見慣れてくるとうるさい!とは思っておられるでしょうが、
暖かく見守って気軽に声をかけてもらえるようになっています。
最近はなくなったのですが幼少のころは、家からよく脱走しました。
青くなって私が探していると、近所の方がみんなで探して下さったり、
店舗で確保していて下さったり、
「○○でよっちゃん見たよ!」と連絡を下さったり…
「遠い親戚より近くの他人」の協力なくしては我が家の子育ては成り立たなかったし、
今後もそうだと思っています。

学校では「支援便り」や広報誌を近隣施設及び地域に配布したり、
地域における障害児教育のセンター的役割を果たすべく
幼・小学校の支援学級の先生との懇親会・親御さんとの相談会・年に数回オープンスクールを開催し、
子どもの日常を理解してもらえるよう努力して下さっています。
やはり実際に見知ってもらうのが障害の理解には一番と思うので、
障害を知らない人にドンドン学校に来てもらって子どもの姿を見てほしいと思います。

人間同士がギスギスし、思いやりのなくなってきた現在の社会情勢のなかで、
より良い生活環境を提供出来るように努力することが、私の息子に出来ることなのではないか
!?

と今回のレポートを書くことによって再確認させてもらいました。
周囲の人々の協力をあおぎつつ、今私の「出来ること」としてなお一層、努力していこうと思います



  小話