北アルプス・上高地から槍ヶ岳・槍沢滑降

槍沢・大曲手前より東鎌尾根と水俣乗越を見上げる
◆【山行日時】 2012年5月3〜5日
□5月3日

上高地〜槍沢ロッヂ

□5月4日

槍沢ロッヂ〜槍ヶ岳の肩〜槍沢ロッヂ

□5月5日

槍沢ロッヂ〜上高地

◆【第一日(5月3日)の記録】

昨夜、新大阪を発った夜行バスが新穂高に到着したのは朝5時半だった。

天気は小雨。
2,3人が下車していったが、こちらはここで下車することなく上高地まで運んでもらう。

この場に来てこうするのは、いとも簡単なことだったが、自身の気持ちの中では数日前から今回の山行ルートをどうすべきか散々悩まされた挙句のことで、ようやく決定したことだった。

去年の飛騨沢があまりに印象に残りすぎたため、今年も槍から滑ることを第一目的と念頭に置き、色々ルートを考えてきたが、 天気にはどうあがいてもかなわず上高地を起点とした山行に計画は変更した。

本来は、一日目に新穂高から槍の肩まで上がり、そこで宿泊。

二日目以降に小屋を起点に数あるルートのうちのいくつかを滑り、最終的に5日に上高地へと下山の予定だったが、この時点で当初の計画を遂行することは不可能となり、自ずと次のルートを考えなければならなくなった。

何といってもネックは不順な天候だ。

この時期、晴れればこの上ない気候に感じられるが、いったん崩れると冬に逆戻りしたかのような、とんでもない気候に見舞われてしまう。

安全第一は当たり前の話で、こちらの技量にも見合い、かつより安全性の高い槍沢ロッヂを起点とした槍沢滑降を目的として上高地を歩き出した。(7時ちょうど)

ニリンソウ群落脇を行く
ニリンソウ群落脇を行く

バスターミナルやインフォメーションセンターはこれから山へ向かう人で溢れていた。

ただ、そんな中にあってスキーを携えている人はごくわずかで、この日、この後に出会ったスキーヤーは若い4人パーティー一組のみだった。

徳沢手前でニリンソウ群落を見たり、梓川の清い流れを見ながら歩くと徳沢を過ぎた頃には雨もやみ、風景を楽しみながら歩けるようになっていた。

大勢の人が行き交う穂高、槍の分岐点、横尾は上高地と変わらぬ人でにぎわっている。

今日の予定は横尾から槍沢を約1.5時間ほど遡った槍沢ロッヂ泊だから急ぐ理由もなく、ここでゆっくりする。

横尾にて
横尾にて

この場にいる人たちの、この後の行動を見てみると、ほとんどの人の足が横尾大橋へと向かい、涸沢方面へと歩き出していることに気付く。

槍沢方面へ向かうのはホンの数パーセント程度、いや、数人の人たちだけだろうか。

確かに涸沢はいいところだし、その後の行動もバリエーションをもたせて色々なルートが考えられるが、一方の槍沢は、あくまで目的は槍のみか。

北鎌とかも考えられるけど割合的には、ほぼゼロに近いだろうし・・・。

今日の寝床のロッヂが混まなくてよさそうなものだが、涸沢の人気に比べ槍沢の置いてけぼりが、これからそこに向かおうとする者からすれば、やや寂しい気がしないでもない。

横尾を発つと推察通り、ほとんど人気のない登山路を歩くようになる。

ようやくとでもいうべきか、ここに来て次第に残雪が現れだした。

ここまでアプローチ・シューズで歩いてきたが、これでは荷物が重いばかりでうんざりしていたのが本音。

いくらテレマークスキーが山スキーよりも軽いとはいえ、板とスキーブーツを背負っているからザックの重さプラス5キロ程度はつらい。

一ノ俣谷
一ノ俣谷

早くこの状態から解放されたかったが、結局、解放されたのは一ノ俣谷も過ぎた、まだ先の二ノ俣谷出合い。

それも、シューズをブーツに履きかえるに過ぎず、板はロッヂまで終始、背中に背負ったままでつらいばかりだった。

ずいぶん狭まった沢沿いを歩くようになり、仮設の水力発電所をみると、やがて今日の宿泊地、槍沢ロッヂだ。(12時30分)

槍沢ロッヂ
槍沢ロッヂ

横尾からロッヂまでに出会ったのは、河原で休む人も含めても数人程度だった。

槍沢ロッヂは多くの人でにぎわっていたが、スキー置き場には、こちらの板を含めても、わずか数本の板しか置かれていなかった。

沢沿いに立地する条件を活かしてか、この山小屋では、お風呂に入れるというのには驚いた。

一日の汗を流し(もちろんシャンプー、石鹸などはありません)、食事をとり、その際、顔見知りになった練馬のご夫婦と談話室で長らく話させてもらい、
「これぞ、山小屋泊の王道。」
的に時間を過ごした後、床に就いた。


◆【第二日(5月4日)の記録】

4時半起床。
夜中、雨が降ったようだが、知らないまま朝になっていた。

小屋の食事は6時からとのことで、これでは出発が遅くなり往復道中に不安があるので朝食はお弁当とし、軽くコーヒーと簡易の食事で済ませ、5時半過ぎ小屋を後にする。

目の前の登山路からは雪がありそうなので「待望のシール歩行。」で歩き出したが、林の上に待ち構えていたのは、いきなりのデブリ。

そのまま歩くも、カリカリ雪に難儀する。

さいわい、このデブリはすぐに終わりしばらくは疎林の灌木帯を快適に行く。

小屋泊まりの人は登山の人がほとんどで、中には今日の宿が肩の小屋という人も多くあり、特にこの人たちは急いでハイクする必要もないので、この時間でも歩行は一番乗りのようだ。

小屋をほぼ同時刻に出発した福山のKさんと話しもしながら歩く。

ちなみにKさんは日帰りで、再度ロッヂに宿泊予定。

ババ平のテント場より槍沢と東鎌尾根を見上げる
ババ平のテント場より槍沢と東鎌尾根を見上げる

灌木帯を抜けるとババ平のキャンプ場。多くのテントが張ってある。

ここまで来ると槍沢は大きく開け、正面に東鎌尾根の末端部を望める。

ガスが晴れ、青空も顔を出し始めたからロケーションはいうことなしだが、 上高地からここまで大きな荷物を持ち上げるのは、いかにも大変そうだ。

横尾尾根からのデブリや、槍沢本谷の土石流ともいうべき巨大な雪の堆積物を横目で見ながら緩やかに高度を上げる。(表題画像)

正面の水俣乗越に向かう単独行は北鎌だろう。

この坂でさえなかなか一筋縄で行きそうにないが、ここでそんなことを思っているようでは踏破できないルート。

大曲までくると槍沢が一望できるので、ここでKさんと二人、お弁当で朝ごはん。

青空も見えだし、見上げる槍沢の正面に大喰岳南東カールの下方や、その左手に天狗原が望める絶好のロケーションだ。

西岳〜赤沢山の稜線の造り出す日影を好んで休んだが、時間とともに日が当たりだすと、さすがに暑い。

稜線部に掛かるガスがとれ、全てが見えれば言うことなしだが・・・。

中腹の雪面に目を凝らすと、カールから天狗原へと延びるスキーのトレースがあるような、ないような・・・。

しかし、そのトレースのすぐ上方には大きな岩壁が控え、足元の雪の状態から考えて、そこの雪もあまり安定的とは考えられず
「天狗原へはあれをトレースしなければいけないのか?!」

もし、雪が切れたりするとどうなるか結果を考えると、かなり不安な気持ちになる。

大喰岳南東カール方面
大喰岳南東カール方面

本題の槍沢の登りは、いわばこれからで、まずの目標はグリーンバンドの急登。

テレマークスキーでのシール登高は山スキーのそれに比べて劣ることは、これまでに何度か体験してきたので、できるだけ小屋に荷物をデポしたメリットを活かし、スキーを背負い重い目をせずしてこの坂を登りたいのだが。

次第に傾斜は急になり、やがてそのグリーンバンドに差し掛かる。

はじめ、何とか登れたもののやがてスキーがずれるようになってきたので、あえなく降参。

背負うと、やはり重い。

こちらの足が遅い証明みたいなものだが、情けないがここまでにそれなりの人に追い越されてしまっていたお陰か、ツボ足で歩くには先行者のステップがありがたい。

「意外と、これのほうがよかったかも・・・。」

こんな風に気持ちを切り替え足を前に出しながら再度、天狗原へのルート観察すると、見えていたトレースはかなりの急傾斜に付いているのが分かる。

そもそも天狗原へ向かおうとするなら、見えているルートは正規のルートだが天候もすぐれず、もしものことを考えると足を向ける気にはなれず、計画していた天狗原経由して本谷カール滑走は、ここであえなく消えた。

ただ、せめて大喰岳南東カールを槍沢に向け滑りたい気持ちは残っていたが・・・。

グリーンバンドを乗り上げた後も、そのままツボ足で行く。

グリーンバンド上部より槍沢を見下ろす
グリーンバンド上部より槍沢を見下ろす

荷が重いことを自身への言い訳として、頑張るのみ。

ようやく殺生小屋の台地まで上がってきたが、本来見えるはずの槍の穂先はガスに覆われ姿を見せてくれない。

それどころか、少し前からは雨が降り出し視界も不良。

槍の肩へ向かう槍沢の最後はかなりの急登で、キツイ。

視界のない今、そこに近づいたことを知らせてくれたのは発電機の音だった。

小屋から約6時間を費やし、ようやく肩に到着した。

槍ヶ岳山荘 槍ヶ岳・肩の小屋前にて
槍ヶ岳山荘 小屋前に雪はなかった 槍ヶ岳・肩の小屋前にて

もちろん視界はなく、北西からのあられ混じりの強風が吹きつける。

道具を整理して小屋に入ろうとしたとき、 登る際、グリーンバンド手前で置いて行かれていたKさんと再会。

すでに下る準備をされていたところ、わずかに見えた槍の穂先をバックに写真を撮ってもらい別れた。

強風下、微かに姿を見せる穂先はでっかくてカッコいい。

ちょうど一年前、見事な青空の下、槍は天を突っ切ってそびえていた。

(あ)と一緒にその姿を見たことを思うと、今さらながら感慨深く、それはまるで嘘だったかのように思える。

この天気なら今年は一人で来てよかった。

もし去年と今年の天気が逆なら、自身の中にこれだけの美談の記憶として残っていないだろうから・・・。

小屋内は今日の宿泊者らしき人たちが多くいた。

天気が良くないから、ほぼ皆が小屋に入ってきているのだろうが、昨年はあんなにいい天気の下、もっとのんびりした雰囲気だったのに、これも山雑誌で槍・穂高が大きく取りあげられた影響だろうか。

腹ごしらえもしながら大休止したら、今山行のメインイベント。

と、その前に・・・、
大喰岳に向かうことも選択肢にあったが未だこの天気の上、気力、勇気はすでに失せていたので、ごく普通に槍の基部からドロップすることにする。

穂先への登頂も、去年は天気は良かったけど時間不足と今年は悪天。

二年続きで断念したが今度(あ)と来たときに実行するということで、今後の課題にとって置くことにしよう。

で、ドロップ・ポイントから槍沢を見下ろすと視界はない。

不安を抱えたまま、まずはワンターン。

「これなら行ける。」

昨日までの雪の上に今日降ったわずかな雪が乗り、ターンの度にスラフとなって小さく雪崩れ落ちるが、これくらいなら大丈夫そうだ。

傾斜はさほど気にならないが、ガスの中から現れる登山者に迷惑のかからぬよう、ここはルートを選び右手を滑る。

ガスを抜け、殺生ヒュッテが視界に入るころが最も快適だった。

しかし、下手っぴは何時も悲しい。
「何がって?」

「調子を出して滑っていると転倒〜っ」ってオチが付き物だから・・・。

ほくそ笑んでいる登山者もいるだろうが、こちらはそんなことはどうでもいい。

「それはそれで楽しいんだ。」
なにせ、やりたくてもなかなか出来ることじゃない槍沢の残雪の上で、スキーで滑ってる時に大転倒したんだから・・・。

おもむろに立ち上がったら、楽しく滑る。

登る際、苦労したグリーンバンドもスキーで滑れば何のことはなく、それどころか、こんなスキーヤーでもシリセードで下る登山者よりはずいぶん安全っぽい。

小雨の降る中、4人の山スキーパーティーが上がってきた。急斜面になかなか大変そうだ。

山スキーパーティー
山スキーパーティー

おそらく昨日、上高地からの道中で見かけた青年たちだろう。

大曲までのデブリ帯も右岸側を好んで滑れば、意外と快適。視界があるので大いに助かる。

大曲を過ぎたあたりでは谷がやや狭まり、ひどいデブリだが、去年の飛騨沢の際のチビ谷付近や、ひいては秩父沢などに比べると大したことはなく、難なくスキーのままで滑走する。

テント場付近は沢沿いに滑り、そのまま沢筋を滑る。

雪が切れ、水流が現れたので皆のトレースに戻りデブリ帯をやり過ごすと、林の中に小屋の屋根。

最後までスキーを着けたまま無事、戻ってこれた。(14時30分)

昨日同様、風呂に入り食事をした後、Kさんと再度、再会。

談話室で談笑ののち寝床に入った。

槍沢ロッヂに帰還 二泊目の夕食のメインはハンバーグ
槍沢ロッヂに帰還 二泊目の夕食のメインはハンバーグ


◆【第三日(5月5日)の記録】


昨夜は一昨日と打って変わり、多くのスキーヤーが宿泊していた。

槍ヶ岳山荘ご主人・穂刈康治氏と 仙台からの基礎スキーの先生
槍ヶ岳山荘ご主人・穂刈康治氏と 仙台からの基礎スキーの先生

早朝から彼らが小屋を後にするのを見届け(ただ単に見てるだけです)、最後に寝床がお隣だった宮城・仙台からの人を見送ったら、こちらも下山準備にかかる。

今日は上高地に下るだけなので、のんびりした。(7時発)

下山路は二日前となら少し雪解けしたような気もしたが、大した変化はないようにも感じられた。

スキーブーツで雪の登山路を下るので足元には十分注意しながら歩く。

登る際もそうだったが、このルート、行き交う人はほとんどないが、そんな折、二ノ俣手前で出会ったご夫婦から
「この先で骨折されて歩けなくなってる人がいます。」
と、けが人がいることを聞いた。

山裾に木道が露出している箇所で、山側から流れ出た水が解けずに氷化して残っているところで足を滑らせたらしい。

小屋への連絡は夫婦に任せるとして、そのまま歩を進めると、けがをした人は二ノ俣と一ノ俣の間に居た。

大きなザックをそばに置いて登山路脇の岩に腰掛けていたので、何も知らなければそのまま通り過ぎてしまいそうな風にも見えたが、話すと
「ポキッって音がして、足が動かないんです。」

やや青ざめた顔から事の重大さがうかがい知れた。

「先のご夫婦が小屋に連絡してくれるはずなので。」
と伝え別れた。

彼に遭って以来、彼の気持ちになると
「不安この上なしだろうな〜。」
と気持ちを察す。

昨夜は白馬や涸沢岳で遭難があったと聴くし、もしヘリがそちらに掛かりっきりで余裕がないってことがなければいいが。

こんな谷合いでもヘリにピックアップできるんだろうか。重大な遭難事故ではないにしろ一刻も早く救助してあげてもらいた気持ちだった。

横尾までに谷筋を飛来するヘリの音は聞いたものの、現実に救助されたかどうかは不明のままだった。

横尾手前で今日山中で唯一の山スキーヤーと出会い、少し話す。

彼は涸沢に入り小豆沢を滑ったが雪がよくなく、これから槍沢へ向かうとか。今後は富士山とも話していた。

小屋にいた山スキーヤーも総じてそうだったが、 一般人から見るとかなり変わった人にしか見えないかもしれないが、この時期スキーを持ってこんなところまで来ている人は凄そうな人ばかり。

この人もご多分に漏れず、きっと凄いんだろう。

横尾大橋
横尾大橋

横尾は残雪の前穂の眺めが素晴らしく、橋のたもとでたなびく小さな鯉のぼりが季節感たっぷりに泳ぐ。今日は子供の日。

スキーブーツをアプローチシューズに履き替えると、途端にザックが肩に食い込む。

のんびり景色を楽しみながら歩きたかったが早く肩痛から解放されたいからか、つい早足に。

そんな中、こんなことを楽しみながら歩く自分がいた。

すれ違う人の視線だ。

何度も言うように、登山者は数あれどスキーを担いでいる人は極稀。

ということはそんな人の容姿は物珍しく、ついスキーに目が行くようで、10人中7、8人までもの視線が、まず自分の頭の上を見る。

こちらはサングラスをかけているのでどこを見てるか相手にはわからず、それをいいことに多くの人たちの視線を楽しみながら歩いた。

ニリンソウ 観光客でごった返す河童橋界隈
この二日のあいだに咲き始めたニリンソウ 観光客でごった返す河童橋界隈

徳沢のビーフカレーは美味い。

明神まで来ると、かつての上高地ではないかと錯覚するほど、すごい数の観光客。

「ほら、スキー背負ってるよ。どこか滑ってきたみたいだよ。」

東京風にささやかれると、蔑視されたような気にならなくもないが、バカなことをやっているに違いないから、それはそれで構わないか・・・。

河童橋のほとりのベンチに今日、出会った二組目の山スキーヤー三人(?)組。通りすがり、小さく会釈して別れる。(12時15分着)

それでも、この大勢の観光客の中にもバカなことをやっているこちらのような者に興味のある若者が二人はいた。

二人とも異口同音に、こう話しかけてきた。
「すいません、あそこを滑ってきたんですか?」

こんなことを言うもんだから
「あれは穂高だから違うけど、槍から滑ったよ。」

「バック・カントリー、やね。」
そのうちの一人が一緒にいた仲間に、その後こう言った。

「君もやればいいよ。楽しいよ。」
短い会話だったが、こんな中にも興味のある人がいることが妙に嬉しかった。

「穂高は何度見ても好きだな〜。」

上高地は曇り空だったが、穂高の稜線は奥穂の山頂部までもがよく見えた。

雪をまとった天狗岩や畳岩、ゴジラのツメのようにも見えるトリコニーに日が射すとさらに印象的な姿でそびえていた。

悪天にもかかわらず穂高はよく見えていた
悪天にもかかわらず穂高はよく見えていた

河童橋をあとにし、観光客に混じり梓川のほとりをトボトボ歩くと、奇異な目でこちらを見る人もいるが、それもいいだろう。

とっておきの温泉で汗を流したらバスターミナルへ向かう。

のんびりしすぎたせいで14時半の大阪行きのバスには飛び乗るようにして乗車した。

ふと隣の席を見やると・・・、
「お〜っ!」

何と、一日目の槍沢ロッヂで床が隣だった滋賀県草津の青年。
「びっくりしたな、もう。」

時折、山行の話もしながらバスに揺られる。

名神に入るとお決まりの渋滞。

バスに乗ってるからこれも関係なしと、たかをくくっていたら時間ばかり経っていた。

すでに大阪に到着予定時間を過ぎているのに、まだ滋賀県下。

下手をすれば、このままでは今日中に帰宅できないではないか。

京都駅を経由するとのことで、元々京都で下車する草津の彼とともに、ここで下車。

彼に案内してもらい長躯、ラスト3便目の新幹線に乗り込み、姫路への帰路に着いたのだった。

姫路駅のホームに降り立ち、例によって改札に向かいトボトボ歩いていると、こんな時間には珍しくホームをこちらに歩いてくる青年。

だれかと思いきや、我が息子、(あ)。がここまで迎えに来てくれたのだ。

「今度行くときは、槍のてっぺんに一緒に行こう。」

駅前のロータリーで待つカミさんの車に乗り込み、家路に着いた。

ロッヂに世話になった二晩とも夜中に雨が降り、稜線近くからはあられや雪の降る春の嵐に見舞われた日の山行だったが、滑走に関しては雪質はそこそこで、昨年来ぜひ滑りたかった槍沢を無事に滑ることができた山行だった。

なお今回、目標としていた天狗原や横尾右俣カールの滑走は、槍の登頂とともにこれからの目的の一つにしておこう。

ブログは
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昨年の新穂高から飛騨沢滑降はこちら



追記:
槍沢ロッヂのHPによると、一ノ俣〜二ノ俣間でケガをされた方はその日のうちに無事ヘリで搬送されたようですが、他方の情報によるとケガの度合いは重症とのことでした。

一日も早い快復を願っています。


パタゴニア


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