≪9回目≫
9回目のセッションの記憶はあいまいです。
なぜかというとこの期間東京に研修を受けに行ったり、
予約が詰まっているところに急な予約が入ってしまい超多忙で体調を崩してしました。
風邪は引くは、お腹は痛いは、しんどいは・・・というとこで
ロルフィング記録をつけることもできず、
前から予約の入っている仕事だけをこなすのにせいいっぱいでの日々でした。
 9回目のセッションの日などmさんのオフィスに入るなり
「今日は寝ます」
と宣言したほどです。
 それでホントにぐっすり眠ってしまい何にも覚えていないのです。
けれども9回目のセッションが終ってからあの右半身のしんどさはどこかに行ってしまいました。
体調の悪い中でも感じるのはこれが自然なんだという感じでした。
なんと表現していいのかわかりませんが
ロルフィングを受ける前から比べるとずいぶん変わったはずなのに
なんだかずっと昔からこうだったように自然な感じがします。

≪思えば遠くに来たもんだ≫
「う〜〜 お腹が痛いよ〜〜」「しんどいよ〜〜」
という私を尻目にダンナさんが
「なおも丈夫になったよな〜〜」
と言いました。
苦しいのは苦しいのですが
その通りなのです。
以前は風邪を引くとこのまま膠原病が再燃しないかとビクビクしていましたし、
治りも悪くていったん風邪を引くとジクジクとした熱が続いて
なんとしても1ヶ月2ヶ月治りませんでした。
お腹だって・・・前から何かあるとすぐにお腹痛がおこってなかなかな治りませんでした。
四転八倒して気を失ってしまい夫が救急車を呼ぼうとしたことが何度もありました。
それから比べたら痛いけれども軽くなってきているし
治りも前は1ヶ月2ヶ月とこの辛さが続いたのが
1週間2週間という間隔になり
今回は2〜3日痛かっただけですみました。
 体調は悪いですが仕事はしっかりできるし
ホントに夫の言うとおりだと思いました。

 ホントにホントにありがたいことです。
こうして今現在
痛くて痛くて苦しくても
「ああホントに良かった」とココロから思えている自分がいます。
こんなふうに思えること自体がとてもシアワセな気がします。

そう前の私ならこのしんどい時にのん気に
「なおも丈夫になったよな〜〜」
なんていわれたら、
「私の気持ちをわかってくれない」
とか言って怒ってたでしょう。。

 私の場合はじわじわと良くなってきました。
辛くて仕方がないときは
一時にスパッと治る方法がなぜないのかと
腹立たしい気がしていました。
お金も時間もたくさん使った
気持ちだってずいぶん変わってきたのに・・どうして治らないの・・・
って
何に向かってといえば神様に向かってということになるのでしょうが怒っていました。

今私がこうして書いている文書を読んで
うんうん、良くわかると思ってくれている方もいらっしゃるんでしょうね。
どこかにいたいところがあるというのは辛いモンです。
みんな元気になってくださいね。

≪再び歩く練習≫

頭の上に荷物を乗せて歩くアフリカの女性を見るととても美しいと感じます。
Tシャツと腰布をはらりと巻いただけで
特別なものは何もないけれど、
動き自体がしなやかで自然で
まるで空気の中を泳いでいるみたいだと
いつも思います。

ロルフィング初日にmさんから
「どんな目的で受けますか」
と質問されて困った思い出があります。
8年前に受けた時は、
「これによって病気がよくなれば・・・」
とか
「これで何か特別な体験や特別なパワーが手に入ったら・・・」
という思いがありましたが
今回の私には取り立てて目的もなく
しいて言うなら
あのアフリカの女性のように空気の中を泳いでみたい
という気持ちしかありませんでした。

都会の人ごみを縫って
あんな風に泳ぐように心地よく歩きたく、
年をとってお婆さんになっても
あんな風にしなやかに歩けるようになりたいな〜
と今も思っています。

今の日本では心理セラピストの国家資格というもの自体がありません。
ですから自分はセラピストだと言ってしまえば誰でもセラピストとして活動できます。
 ですから私も国家資格というのは教育免許だけしかないです。
後は民間資格です。
医者だとか、看護士、福祉士、などの国家資格を持っていないです。
そうすると、学べることできることに限界があります。
それ以上のところへは行けなかったり、軽んじられたりして
悔しいをもいをすることもあります。
ある時期そういうことが重なって
「なんかの資格を取ってやる!」とやっきになったことがありました。

 夫は私がやりたいということは否定はしないほうですが
よっぽどしんどそうに見えたのでしょうね。
そのころ「なお、何のためにそんなんするねん?
    それホントになおのやりたいことか?」
と聞かれて、考え込んだことがあったのです。。

良いセッションをしたいとは思っていますが、
資格取りのためだけにもうすでに勉強して何になるのだろう?
何の興味もないのに・・・という思いはココロの奥にずっとありました。

 ホントは私は何をしたいのだろう?
人生80年としたらもう半分は生きました。
これからどうしたい?

と自分に問うと
 あの泳ぐように歩くアフリカの女性の姿が浮かびました。
アレはいったいどこで見たのか?
画面としてのヴィジョンは鮮やかに浮かぶのにどこで見たのか記憶がありません。
また夢の中で見たのでしょうか?

 自然でしなやかで飾り気もないのに美しく
ただ歩いている、揺れながら進んでいる
みているとその揺れがこちらの中にも
浸透してきて心地よくいつまでも見ていたい気持ちがします。

 あんな風に生きたいと思いました。
 自分はただ自然であるだけ
それでいて
見ているだけで心地よいといわれる人になりたいと思うのです。

 この日本の大阪で生きてストレスも抱えているだろうし
大病もしてしまってずいぶんカラダも疲れているだろうし
そういう私がそうなれるんだろうかとも思います。
しなやかに生きるとはいったいどんなことなのか・・・
明確さに欠ける気もします。

けれどもとりあえずあんな風に歩きたいと今は思うのです。

上に何かを積み上げるより先に、
歩く、呼吸する、食べる、寝る、動く、笑う、泣く、怒る、悲しむ、
そういうことがちゃんとできる人でまずありたいように思います。
強くなる、やさしくなる、そういう態度を使い分けれる、
そんな基本的なことがきちんとできる人になりたいと、私は確かに思っています。

私が本当にしたい事はそういうこと抜きには考えられないと今は感じています。