終局は物語のはじまり







     
塔矢と一緒に家を出る時は昨日の大雨がウソのような快晴で
俺の気分も5月晴れのように晴れ渡っていた。

現金なものでいままで 悩んだ事などすっかりどこかにいってしまった
ようだ。

隣に目線を向けると、はにかんだ様に笑う塔矢がいる。




二人一緒に地下鉄の満員電車に乗り込んだが お互い行き先は違う。
塔矢は自宅に、俺は棋院である森下先生の研究会へ、


一緒にいられる時間もあと数分ほどで、そう思うと今までには感じたことが
ない寂しさがこみ上げてきて隣にいた塔矢がそっと俺の手のひらに触れる。


そんな、些細な塔矢のしぐさでさえも、くすぐったく照れくさくて、
応えるように俺はその手を自然に握り返していた。

市ヶ谷の駅について俺たちは短い別れの言葉を交わす。



「進藤また月曜日の研究会で。」

「うん。じゃあまた・・・。」



離れた指先はほんのり温かかった。




 







「進藤、話がある。ちょっと残れ。時間はとらせねえから」


森下先生と白川先生にそういって呼び止められたのは、
研究会も終わり和谷たちと帰ろうとした時だった。


「立ったままって言うのもなんですから進藤君 座って。」

改まった言葉に緊張しながら、白川先生に薦められるまま向かいに
腰をかけた。


「進藤 お前の北斗杯での棋譜を見せてもらった。負けたとはいえ内容
は悪くなかった。」


森下の無骨な物言いに白川が優しくフォローを入れる。

「私も見ましたよ。本当に進藤君の成長にはいつも驚かされます」

そこで白川は一端言葉を切ると森下と目配せした。森下は白川に任せる
というように腕をくんだまま頷いた。


「実は進藤くんに中国棋院へ留学する話が出てるんですよ」

「俺が中国棋院に!?」

あまりの唐突な話に俺は息を呑んだ。

「そうです。進藤君も知ってのとおり、日本の囲碁界は今や韓国や中国
に押され低迷しています。棋院としては日本から世界に通用する碁打ち
を出して巻き返しを図りたいところなんです。
そこで、前々から打診していた中国棋院へ若手棋士を留学させる話に
私と森下先生が進藤くんを推薦したんです」


「俺を?」

いままで白川の話を聞いたいた森下が口を挟んだ。

「俺や白川もお前を推薦した一人だが、倉田や緒方もお前を強く推薦したそうだ。
どうだ。中国にいって勉強してみないか?」

俺は自分が認められた事が何よりうれしかったし、勉強の機会を
もらえる事にすぐさまこの話に乗り気になった。

ただ一点をのぞいては・・・・・


「先生、その中国への留学っていつから、どれぐらいの間なんですか?」

「来月6月から1年間と聞いてるが。」

「6月から1年か、じゃあ俺は来年の北斗杯には出られないわけか」

それまで瞥帳面だった森下がにやりと笑った。

「お前のことだ。来年の北斗杯に出場して雪辱を晴らしたいのだろう」

森下の言葉を白川が引き継ぐ。

「来年の北斗杯ですが、塔矢くんと進藤くんはもう出場が決まっています」


うれしいはずの言葉だったが、それはさらに俺の戸惑いに拍車をかけた。
塔矢と俺の出場がシードされれば必然的に残り枠は1人になる。
それは不公平だと誰もが取るだろう。

「塔矢はわかるけど、俺はなんの実績もない初段で、そんな俺がシード
されれば他の棋士だっていい気はしないでしょう。
俺は予選を勝ち抜いて出場したいです」

森下は腕組をしたまま俺の言う事ももっともだというように頷いた。

「なら、北斗杯には予選から参戦できたら中国に留学をしても
構わないってことだな?」

「機会をもらえるなら俺は絶対に行きたいです」

満足したように森下はようやく笑顔を見せた。

「お前の言う事はよくわかった。そのことは俺から棋院と話をつけよう。
白川君、」

白川は『心得ています』とばかりに返事を返した。

「あとは進藤君のご両親の事ですね。」

「俺の両親?」

不思議に思って俺は聞き返した。

「そうです。いくらプロといえ進藤君は15歳。1年も留学するん
ですからきちんとご両親に説明しないといけませんから。
森下先生、私は進藤君の御両親とは面識があります。その件は
私に任せてもらっていいでしょうか?」

森下は「うぬ。」とうなずくと俺の肩を力強く叩いた。

「よし、詳しい話は追って棋院から連絡があるはずだ。お前は
しっかり精進するように。来年の北斗杯楽しみにしているからな。」

「はい。」

俺は森下の言葉を強くかみ締めた。






棋院の1階ロビーで待っていた和谷が声をかけてきた。

「進藤どうだった。中国行きは決意したのか?」

俺は驚いて和谷に聞き返した。

「なんで和谷が知ってるんだ?」

和谷は『へへっ』て笑いながら頭を掻いた。

「実は研究会が始まる前に森下先生と白川先生が話してるのを冴木さんと
一緒に聞いちまってな。それで、どうするんだ?」

「俺は中国に行くよ。」

「そっか、やっぱお前の事だからそうだろうと思った」

和谷の目はどこか遠い。

「なあ、知ってる?中国棋院に俺そっくりの棋士がいるんだと。
それも結構強えって評判なんだ」

俺は和谷の言葉に噴出した。

「伊角さんから聞いたことあるぜ?なんかすげえ楽しみになってきた」

「そいつと対局するのがか?」

「もちろんそれもあるけど、全てがさ、強い奴と打てると思うと
それだけでわくわくする」

「相変わらずだな。でも寂しくなるよな。
1年なんだろ?塔矢なんてライバルのお前がいなくなったら気が
抜けるんじゃないか。」


俺は和谷に言われるまで「塔矢の事」が抜け落ちていた。

塔矢・・・・・

俺は自分の事ばかり考えていたけれどこの事を塔矢が聞いたらどう思う
だろう。
理解してくれるだろうか?俺にとっては1年なんてあっと言う間
だと思うけれど塔矢もそう思ってくれるだろうか。

突然黙りこくった俺を和谷が怪訝そうに覗きこむ。


「進藤どうした?」

「いや。あいつは俺が中国へいくことを聞いたらなんて思うかなって
思ってさ。」

「塔矢のことか?俺はあいつじゃないからわからねえけど、極端だと
思うぜ。ライバルのお前が強くなる事を望んでるようなやつだからな。
喜んで送りだすかも知れないし、」

「・・・・・・?」

「おまえに執着してる所もあるから全く認めないか・・・。
まあどっちかなんじゃないの。」

「和谷なんか人事だな」

「そりゃ人事さ」


俺は大きくため息をついた。

塔矢に理解して欲しいと思う。
俺はあいつといつも同じ位置に立っていたい。

塔矢が好きだから。愛してるから、


「塔矢にはわかってもらいてえな」

「進藤大丈夫だと思うぜ。あいつも碁打ちなんだ。
お前の気持ちは理解してくれるって」

「ああ。」

「とにかく、お前の中国棋院留学を祝ってだな、これからどっか、
パっと出かけないか?」

「どこに?」

「そうだな。景気付けに碁会所なんてどうだ。」

「はああ?」

「なんだよ。その気が抜けたような返事は。久しぶりだしいいだろ?
伊角さんも誘おうぜ」

俺は和谷が元気づけてくれた事が嬉しかった。

「だったら道玄坂の碁会所にしようぜ。伊角さんもプロに
なったって河合さんやマスターに挨拶しに行こう。」

「ああ、あそこのマスターか。この間の北斗杯にもに来てた
んだぜ」


俺は和谷と伊角と出かけた碁会所で久しぶりに心から
碁を打つことを楽しんだような気がした。

  
     

      

いきなりお話が展開しました。まだまだ序盤です。仕上がってるのに
編集するのがおっくうです〜(苦)



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