かげろい
緒方先生が3度目の十段防衛を決めたという電話があったのは
夕方も6時を廻っていた。
電話を掛けてきてくれたのは芦原さんだった。
「進藤くん、緒方さん防衛したよ。」
芦原の声は弾んでいた。
「そっか、芦原さんわざわざありがとね。」
「いえいえ、緒方さんはオレの兄弟子だし、それに進藤くんは
緒方さん弟子なんだから身内も同じだろ?」
なんて言われて俺は面食らった。
実際にはオレは緒方さんの弟子じゃない。
けどオレと一緒に暮らしてることを先生は隠したりしねえから
あらぬ誤解を受けることがあって。
それで先生が冗談で『進藤は住み込みの弟子』だなんて言ったのが
棋院中に広まって今ではオレは先生の弟子というフレコミになっていた。
まあ別に緒方先生の弟子でもかまわねえんだけど
なんでか弟子って言われるとくすぐったいような、先生に申し訳ないような
そんな気がするんだ。
そんな事を考えていたら受話器の向こうが騒がしくなった。
『おい、芦原なにやってんだ。』
緒方先生の声?
「べ、別に・・・オレはただ進藤くんに・・。」
『十段の報告は俺が直接しようと思ってたのにお前がしてくれたのか〜!?』
「ええ〜緒方さん。進藤くんに代わりましょうか?」
『かまわん。家に戻ってから言えばいいことだ。
それより芦原いつまで進藤と電話してるんだ?』
受話器からもれる先生と芦原さんのやり取りにオレは苦笑した。
芦原さん大変そうだ。
「芦原さん取り込んでるようだからオレ電話切るね。」
「ああ、進藤くん、それじゃあまた今度。」
オレは受話器を置いた後もなんだか照れくさい気分だった。
先生が帰宅したのはその晩遅かった。
スポンサーの人たちや門下生と打ち上げがあったのだから
仕方がないけど先生はべろんべろんに酔っ払ってた。
玄関で倒れこみそうになった先生をオレは引きづるように
リビングへと運んだ。
「先生〜重いよ、に・・・してもよくそんなでここまで辿りつけたよな。」
「ああ?エレベーターにのるまで芦原に付き合えせた。」
「で、芦原さんは・・?」
「追い返した。部屋に入れたくなかったからな。」
オレは思わず噴出した。
「なんだよ。それ・・・」
芦原さんが気の毒だとおもったけどその部屋に入れるオレは
ちょっとばかしの優越感があった。
先生の弟子だと言われるのと同じ優越感。
リビングのソファに運ぶと先生はネクタイを緩めてオレに手を
差し出した。
「はいはい。水な?」
オレが慌てて台所に水を取るに行こうとすると先生がギロっと
睨んできた。
「進藤、水じゃなくてビールだ!!」
「はああ?先生まだ飲むつもり。」
「当たり前だろ。家に戻ってきたんだから。」
酒臭い息を撒き散らしながら怒鳴られてそれでも先生はなんだか妙に楽しそうで。
そりゃあ十段を防衛したんだから気分も高揚してるだろうけど・・・。
俺はしぶしぶ冷蔵庫から冷えたビールを選んで取り出した。
「先生、いい加減にしとけよ。」
ため息混じりに言うとオレが言ったことが気に食わなかったのか
先生の目は据わっっていた。
やれやれ、相当酔っ払ってるよな?
「堅苦っしいのは抜きだ、ほら進藤、オレの十段防衛祝いだ付き合え!!」
そういうと先生はオレにビールを差し出してきた。
けどオレ・・・付き合えって言われても未成年だし酒は飲めねえんだけど。
オレは諦めて冷蔵庫から喉も渇いてねえのにコーラーを1本
取り出すと先生はますます不機嫌気になった。
「進藤、なんでお前はコーラーなんだ!?」
「なんでって、もう勘弁してよ。オレまだ未成年だぜ。それにビールは
苦手だっていつもいってるだろ?」
オレがそういうと先生はまだなんかいい足りないねえみたいだったけど
ビールのプルトップを開けた。
「ほら進藤乾杯だ!!」
「おう。先生十段防衛おめでとうな〜!!」
そのまま二人で乾杯したあと
しばらく無言でチビチビと飲んでた先生がまた無茶な事を言ってきた。
「進藤退屈だぞ〜。ちゃんとオレの相手をしろ。」
「相手ってオレ先生の相手してやってるだろ?」
「進藤それが師匠に向かって言う言葉か?」
師匠って・・・。オレは苦笑するしかなかった。
住み込み弟子って酒の相手までしねえといけねえのか。
「もう緒方さんってば、完全に酔っ払ってるだろ?」
「酔っ払ってなんかない。今からだってお前と碁も打てるぞ〜。」
オレは小さくため息をついた。
こんな大人にだけはなりたくないもんだと思う。お酒のみってホント性質が
悪いよな。
オレがそんな事を考え込んでると先生がますます目を据わらせた。
「進藤、何してる。とっとと碁盤をもってこい〜」
「碁盤??」
「早くしろ!!」
怒鳴られて俺は飛び上がるように自分の部屋に碁盤を取りに行った。
まあオレが先生に付き合えるといえば碁ぐらいしかねえけど。
あんな状態で碁なんてまともに打てるんだろうか?
オレが大急ぎで碁盤と碁石を持っていくと先生は腕を組んで
宙をじっと見つめていた。それは先生がよく長考するときにする
癖だった。
「先生?」
「もう4年前になるんだな。」
先ほどまでのチャラけた感じでなくいつもの先生だった。
4年前?ぽつりとそういった先生の言葉をオレは頭の中で繰り返してみる。
「オレが初めて十段のタイトルをとったあとイベントでお前と打ってからな。」
オレははっとした。先生はあの夜、佐為と打った碁のことを言ってるのだ。
「あの日ように今日のオレもあっさりやられちまうかもしれんな。」
そう言った緒方先生はなんだか嬉しそうだった。
ひょっとして負けるのを望んでる?
いやそうじゃなくて、無意識に佐為と打ちたいと思ってる?
先生は佐為の存在をオレとは重ねてはいるはずはねえけど
あの晩のような碁を望んでいるのかもしれないと思った。
オレは一瞬先生の相手をすることを躊躇った。
けどその戸惑いを吹き飛ばすように先生が笑った。
「ほら、進藤打つぞ〜お前が握れ。もしオレが勝ったら進藤オレのいう事を
なんでもきけよ。」
「ええええっ〜なんでオレが先生の言うこと聞かなきゃいけねえんだよ。
それにそれじゃあ不公平だよ。」
オレが文句を言うと先生は心底驚いた顔をしていた。
「なんだ不服か?だったらオレが負けたらお前のいう事を何でも一つきいてやる。
それでどうだ?」
オレはどっと疲れたような気がした。けど十段祝いってことでしょうがねえか。
「わかったよ。ただし男に二言はなしだぜ?先生に土つけてオレの言う事
きいてもらうぜ。」
「おいおい、進藤今のオレに勝とうなんて甘いぞ〜。」
先生はなんだか子供のようにはしゃいでいた。
それからオレと先生は打ち始めたんだけど、60手ほど進んだ所でオレが
長考して打ち終えたあとふと先生の気配が稀薄になったような気がして
目を上げたら腕を組んだままうとうとと眠りこけていた。
オレはその瞬間なんだか張り詰めていたものが途切れてしまった。
「まったく自分から誘っておいて、途中で寝ちまうなんて困った師匠だよな。
まあ今回の勝負は引き分けってことにしといてやるよ。」
先生に布団をかけた。オレは何だかリビングに先生を一人にすることが
出来なくてソファに並べるように布団を敷いた。
電気を消して布団に入ってからオレは先生に「おやすみ」って言ったら
先生の大きな図体がくるりと寝返りをうって「ああ」って頷いて。
偶然だよな?
その後、オレはここで先生と一緒に寝た事をちょっとどけ後悔した。
だって先生のイビキやかましくて・・・
でもオレは自分の部屋に戻ろうとは思わなかった。
朝起きたら先生はバツが悪そうだった。
「進藤昨夜は・・悪かったな。」
「ああもういいって、いいって、それより昨日の約束忘れてねえだろうな。
男に二言はなしって。」
先生は眉間に皺を寄せてた。
きっと昨夜の手合いが途中で途切れてどっちが勝ったかなんて
覚えてねえだろうし、
これは使わねえ手はないよな?
「ほら、先生オレ腹減ったから・・・ラーメン食いにいこ!!」
「まさか今からか?」
「当たり前だろ。」
まだ二日酔い醒めぬ先生は頭を抱えていたが、オレは先生の手をひっぱった。
「たく、進藤お前にはかなわんな。それでいつもの所でいいのか?」
「もちろん!!」
オレが大きく頷くと先生が苦笑した。
並んで歩いた歩道は桜が満開だった。
「来年もこうやって一緒に歩けたらいいよな。」
「そうだな。オレがまた十段を防衛して、お前に負けたらな。」
それを聞いてオレは噴出した。
別に十段防衛しなくてもオレに負けなくても花見だってラーメンだって
いけるだろうに〜と思ったけどなぜかオレはこの時そういい
返すことが出来なかった。
先生はふと立ち止まると桜を見上げて寂しそうに微笑んだ。
その笑顔は今までオレが見たことが無いほど優しかった。
「目に焼けつけておかないとな。」
その時オレの胸の中でチクリと刺すような痛みが広がった。
あの時あいつがいったことを思い出したんだ。
『私と一緒に見たこの桜をヒカルの目に焼き付けておいてくださいね。』
けどあの時のオレはそんなことを言ったアイツを笑い飛ばしただけだった。
だって毎年だって一緒にこうやって花見が出来るって疑わなかったから。
オレも先生と同じように立ち止まると桜を仰いだ。
満開の桜の花びらが風になびいて舞う。
きっとオレも先生もわかってたんだって思う。
この生活がそう長くは続かないことを・・・・。
そして翌年オレは十段戦挑戦者となって先生からタイトルを奪って
この生活は幕を閉じることになる。
END |
サイト1周年記念アンケートリクエストでお客様から頂いた緒方先生×ヒカル
でした(汗)ってこれがオガヒカって感じの話ですね;アンケで選んで下ったお客様すみません。
このお話にはぼんやり「天空の破片」(空を行く雲)の設定が入ってます。
番外編というほどのものではないです。
もし興味を持った方がおられましたら、天空の破片は現在「たまかづら」に
ありますのでよかったら飛んでみたくださいね。(長駄文ですが;)
これではあんまりかな〜と思ったので以前書いたオガヒカのお話「バレンタイン・デート」
も一緒にUPしてます。そちらの方がオガヒカっぽいです。
|