箱の中の星


14




     
朝からもう何度吐いただろう。体はもう自分のものではないように
動かすこともおっくうで倦怠感だけが付きまとう。



「進藤君 お母さんが分娩室に入りましたよ。」


ナースの励ます声にようやく俺はぼんやりと
目を開けた。
母さんは陣痛が続く中この部屋で俺に付き添ってくれた。
「どうせ同じ病院の中だもの。いつだって行けるわ。」

そういいながら辛そうな母さんを見かねた親父が
かわって俺に付き添ってくれたけどその親父の
姿も今はない。


もうすぐ俺の弟が生まれてくるんだ・・・

自分に励ますようにその言葉を繰り返す。



隣の部屋ではまもなく始まる俺の移植の準備が進められていた。







目を閉じると静寂の中そこには碁盤があった。



俺きちんと正装してネクタイまで締めてる。
タイトル戦みてえだ。





迷わず碁盤の上にあった黒石の碁笥を掴んでいた。

一手目を打つと対面の薄暗がりから
石を掴んだ手が伸びてきた。

パチン

白石特有の少し高い余韻を残す音が響く。


俺は3手目を碁盤に打った。
容赦のない1手が間髪いれずに帰ってくる。

見えない相手の気迫に高揚感が高まる。

誰?


いつかどこかで感じたことのある気迫・・
だがどうしても思い出せない。


俺は夢中で見えない相手と打ち続けた。

やがて終局までの道を読みきった俺はその相手と
作った棋譜に驚愕した。

これって・・・!?


俺は碁盤の向こうを凝視した。
暗闇にあった人影が動く。

やがて霧が晴れるようにその相手の顔がはっきりと浮かび上がった。






「佐為!? お前・・」

佐為はじっと俺を見つめていた。
夢の中でも5年ぶりに見た佐為は以前とかわってはいなかった。


「佐為 なあ俺ちっとは強くなった?

俺これでもタイトル5冠取ったんだぜ。
お前の本因坊も緒方先生の名人位も。
今は無冠になっちまったし、やっぱりお前には負けちまった
けどさ。」



無言で微笑む佐為。
それでも俺は聞いてほしくて話を続けた。



「・・・お前だから言うけど塔矢のやつにプロポーズ
されたんだ。可笑しいだろ?
男だからプロポーズっていうのかどうかわかんねえけどさ。

あいつ真面目で一途だから、俺の事しか見てなくて・・・。

どうすればあいつに応えられるのかずっと俺考えてて。

だけど俺もう病気でこんなでもうあいつに応えられねえかも
しれねえ・・・」




弱音を吐いて俺はひょっとしたら佐為が俺を迎えに
きたんじゃないかと思った。





優しく微笑んだ佐為の指が俺に碁盤を示した。

俺と佐為が打った棋譜が碁盤に道を作っている。

まるでその先の何かを示すように。

そう、この道はずっと続いてるんだ。
終わりなどないと言うように・・・。





小さくうなづいて、
佐為が伸ばした指先に触れようとした途端
カツンと冷たい感触があたった。



ゆっくりと目を開けるとベット横 小さなガラスケースの中
赤ん坊がいて その小さな体に似合わない
ほど大きな声をあげて泣いていた。






「よかった。目が覚めた。進藤君 脈拍が下がって何度も呼びかけ
たのよ。

おかあさんがんばったんだよ。

3030グラム 元気な男の子。」



俺の弟・・・胸の奥から愛おしさがこみ上げてくる。

「母さんは・・・?」

「まだ処置室。しばらくは起き上がれないから、ヒカルくんに
どうしても赤ちゃんを見てもらいたいって。」

俺は小さくうなずくと体を起こした。

「進藤君寝てなさい。」

「少しでいいから こいつ抱きたいんだ。」

ドクターの許可がおりて
赤ん坊を受け取ると顔を真っ赤にさせて泣いていた
そいつは俺の胸の中でしゃくりながら泣き止んだ。

まだ見えないはずの目で確かに俺を見つめ、おぼつかない手を
伸ばす。


小さなもみじのような手を握ってやると俺の指を
力強く握りかえした。



ヒカル・・・


心の中で懐かしい声が俺を呼んだ。


佐為・・・・



止めどなく涙が流れてくる。
この道は続いてるんだ。終わることなく。








俺生きたい、今強くそう思う。




お前が俺を導いてくれたように。

今度は俺がお前に伝えていく為に。

俺に生への望みをくれた見知らぬ人に。

そしてもう1度あいつと一緒にこの道を歩くために・・・・。



血液のように赤い点滴が運ばれてくる。

輝くちいさな命を力強く抱きしめた。




                              箱の中の星 完
     
      


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夜明け前1