その日無菌室の中に入ると透明のカーテンの中進藤は ノートパソコンに向かっていた。
ネット碁の最中だと思い遠慮がちにカーテン越しに
座ったら進藤が僕に声を掛けてきた。
「塔矢?」
「打ってたんじゃなかったのか?」
「いや、対局は終わってチャットしてる。」
進藤は意味ありげに苦笑した。
「チャット 誰と・・・?」
「緒方先生」
進藤の苦笑の意味がわかって僕はため息をついた。
「珍しいね。最近ネット碁より裕也くんと打ってることの 方が多かったのに・・」
「俺の弟子なら無菌室出たぜ。あいつはここに入ったり
でたり、あんまここばかりだとよくないんだ。」
ずっと進藤について碁を打っていた小さな男の子。
教える進藤も教わる裕也くんも病気など 感じさせないほどこの小さな病室で楽しそうに 生き生きと碁を打っていた。
微笑ましさと一緒にやりきれない想いを抱えながら 蚊帳の外で僕は二人のやりとりを見ていることしかできなかった。
「それでチャットはまだ続けるのか。」
僕との会話を続けながらも未だ緒方とチャットを続ける 進藤に小言を漏らす。
「いやもう終わらせるけど・・・」
カーテンを隔てた向こうから思わずといった具合に 進藤がくすりと笑みを漏らした。
「先生がさ つくづくお前は邪魔するやつだって。」
「緒方さんの方がよっぽどだと思うけどね。」
「お互いさまじゃねえの。」
「で、対局は、君が勝ったの。」
「まあな。」
そういうと進藤はPCもそのままにベットに横になった。
「疲れた?」
「いいや。今からだってお前と対局できるぐらい絶好調 だぜ。俺・・・」
「お相手願いたいところだけど遠慮しておくよ。」
そういったのはやはり進藤の体調を思ってのことだった。
「俺は今すぐお前と打ちたいんだけどな。」
最近特に進藤から感じる焦りや不安・・・。それは口に出さなくても 手をとるようにわかった。
まるでそれらを碁で紛らわそうとするように進藤は碁を打つ。
いや碁を打つことで何かを見い出そうとしているのでは
ないだろうかと思う。
「せっかくの君からの誘いだから受けるよ。それで碁盤は?」
「携帯碁盤しかねえけど、お前のそばにあるサイドテーブルの中。」
携帯碁盤を取り出してはみたもののカーテン越しの進藤とどうやって 打つというのだろう。
考えあぐねていると進藤が僕に声を掛けてきた
「悪いけどお前が俺のも打ってくれ。」
「わかった。」
黒碁笥も白碁笥も僕の元に置く。
「にぎりは・・?」
「それも塔矢が両方やって」
「君が黒で僕が白を握る。それでいいね。」
両方を握る間進藤はずっとその様子をカーテン越しに 眺めていた。
「なんか思い出すな。」
「 ? そういえば初めて君と打ったとき 君は握りを知らなかったね。」
僕は碁会所で初めて二人で打ったときの事を言ったのだろうかと 思ったが進藤は顔を横に振った。
「よくさ 佐為とこうやって打ったんだ。 俺がお前みたいに両方握って・・」
佐為は死んだと聞いた。 ひょっとすると病に倒れたときに
進藤とこうやって打ったのかもしれない
佐為がネット碁しか打てなかったのもそれが原因なのだろうか。
だがそれを進藤に問うことはできなかった。
「君が先番だ。」
進藤は瞳を閉じると1手目を示した。
「俺の負けだな。」
ベットにもたれたまま進藤が肩をおとした。
「君は目隠し碁という大きなハンデを背負ったからね。」
だが進藤は「いいや。」と顔を横に振った。
「碁盤なら俺の中にはっきりあった。 碁石の音だって聞こえた・・・今のは俺の完敗だ。」
もたれこんだまま動かない進藤に僕は急に不安になる。
「進藤・・・!?」
「ん・・・」
進藤の返事は今にも消え入りそうで僕は不安に駆られる。
しばらくの間のあと進藤はぽつりと言った。
「俺さなんか今すぐ死んだって悔いないな・・。」
「なぜそんな事をいう。僕は君がいなくなるなんてそんな事考えた
くもない。
君が死ぬなんて絶対に許さない!!」
「塔矢・・・」
二人を隔てるカーテンを開けたのは進藤だった。
突然はっきりした輪郭に僕はあわてて駆け寄るとカーテンを 閉じようとしたがそれはできなかった。
進藤が僕の名を呼んで泣いてたからだ。
「進藤・・」
僕は進藤を抱きしめると後ろ手でカーテンを閉めた。
胸の中で進藤がすすり泣く。
「本当は死にたくなんてねえ。もっともっと俺打ちたい。 お前と一緒にいたい。」
僕はよりいっそうその細い肩を抱きしめた。
「僕はずっと君のそばにいる。ずっと君と打ち続ける。 だからどんなことをしても生き抜いてほしい。諦めるな。」
短く切りそろえられた進藤の髪を僕は掻きあげた。 その手に進藤の抜けた毛が絡みつく。
現実は君にも僕にも残酷だ。
激しく進藤の唇に口付けた。
無力な人間 無力な自分、君に生きていて欲しい。 何に変えても。どんなことがあっても。ただそれだけ なのに・・・
君は肩を震わせながら僕の腕を振りほどいた。
「それでも それでももし俺が死んだら・・」
その先は聞きたくなかった。
「俺の事は忘れてほしい・・」
もう1度僕は進藤を胸に引き寄せた。
忘れるはずなんかない。忘れられるはずがない。
「君の事を忘れることなどできるわけがないだろう!」
「無理に忘れろなんて言わねえ・・・だけど俺はお前に 自分の道を生きてほしい。 俺に縛られていてほしくないんだ。」
「そんな仮定は聞きたくない。君は生きている。僕の腕の中にいる
じゃないか。」
知らず知らずに涙が溢れ出していた。
突然部屋にナースの声が響いた。
「進藤君 エア外れてませんか。」
「す すみません。うっかりして・・すぐ戻します。」
意味を悟って僕はあわててカーテンから 外にでた。
「塔矢 ごめん。俺取り乱して・・」
「取り乱したのは僕の方だ。」
「なあ 塔矢さっき俺が言ったことだけど・・・」
もう1度同じ言葉は聞きたくなくて僕はそれをさえぎった。
「それ以上はもういい。進藤・・・僕の方こそ約束してほしい。 病気が治ったら ここをでたら僕と暮らしてほしい。」
ふっと進藤がカーテン越しに苦笑したような気がした。
「考えとくよ。」
今すぐ欲しい返事だったがナースが病室に入ってくる気配に僕は
それを飲み込むしかなかった。
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