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 バイオリン二重奏








     
父に付き添って佐為工房に着いたのはその日の夕刻
だった。

「塔矢先生お久しぶりです。」

「失礼するよ。」

父と僕をむかえた人物は女性と見違えるほどに
物静かで うつくしい人だった。
アキラの心の中で湧き上がるもやもやとした思い。

ヒカルはこの人と一緒に暮らしている・・・


「行洋先生 ご無沙汰しております。
ご子息のアキラくんですね。ヒカルから話は聞いてま
すよ。」

「はじめまして、藤原先生。」

「さあ、お二人とも中へ、」

木で作られた工房は優しい木の香りと松脂の匂い
がした。

「早速だが、バイオリンを見せてもらいたい。」

「承知しました。」

父が佐為工房へ訪れた理由は明後日の神戸でのリサイタル
コンサートのため調整していたバイオリンを受け取る
ためだった。


「どうぞ 弾いてみてください。」

「うむ。」

いつものスケールを軽くこなしたあと
ベートーベンの協奏曲を奏でる父。

時に激しく やわらかく 優しく。
バイオリン曲としては難曲といわれるこの曲を
ここまで表現できるものは父しかいないだろうと
アキラは思う。

バイオリンを置いた父は満足そうだった。

「うむ。以前にも増して音色に艶がでたようだ。」


「ええ、私もそう思います。行洋先生に弾いてもらって
バイオリンも喜んでいるようです。明後日のコンサートは
私も楽しみにしておりますよ。」



静かに流れる会話とは別に目に見えない
父と佐為だけの空間が広がる。



何ともいえぬ居心地の悪さにアキラが腰を浮かそうとした時
どたどたとこの工房とは不釣合いなほどの音がして
工房のドアがせわしなくあいた。

そこには息を切らしたヒカルが立っていた。

「ヒカル!」

「アキラ久しぶり。佐為ただいま やっぱり今のバイオリン
塔矢先生の音色だったんだ。」

「ヒカルくん。がんばっているかね。」

父に聞かれてヒカルは困ったように頭を掻いた。
その様子を見て佐為がくすりと笑う。

「ええ ヒカルはがんばっておりますよ。まあ 手先がもう少し器用だとよいの
ですが・・・。
ですが、ヒカルはそれを補うだけのものを持っております。
ずば抜けた音感のよさは子供の頃よりバイオリンに触れたものでないと
身につくものではありません。ヒカルは先生のお陰でよい音に恵まれてます。
きっとよいバイオリン職人になると思いますよ。」



「ヒカル今日の作業はいいです。アキラくんと
積る話もあるでしょうし。」

「佐為ありがとう。アキラ俺の部屋に来る?」

「うん。」

工房のロフトを利用した部屋がヒカルの部屋になっていた。

そこは工房と同じ松脂と楓の木のにおいがした。
大好きなバイオリンと君の匂い。

「君は藤原先生を佐為って呼んでるの?」

「うん。そう呼べっていうからさ。敬語も使うなって
言うんだぜ。俺もはじめは師匠に対して呼び捨て
なんてヘンだと思ったけどもうなれちゃった。」

「今ここで修行してるのは君だけなのか。」

「俺だけ。俺の前にいた佐為の弟子はイタリアの
クレモアに留学したから」

「イタリアのクレモア!?」

イタリアのクレモアと言えばバイオリン製作学校もある
バイオリン職人の街でかの有名なガルネリも父の
もつストラウもこの街で作られたものだ。

「ひょっとして君もイタリアへ行くのか?」

「さあどうだろう。わからねえけど。」

もし彼がイタリアへ行ってしまったら今以上に会うことは
出来なくなる。だが、もし僕もヨーロッパに留学すれば・・・
父もオーストリアに5年間留学していた時期があったのだ。
もしかしたら彼と・・・。

「なあ それよりさ、お前バイオリン持ってるじゃん。
久しぶりに聞かせてくれよ。」

「いいよ。」

僕が取り出したバイオリンにヒカルが眉を寄せた。

「なんで俺の作ったやつなんだよ。」

「君に調整をお願いしようと思ったんだ。
君じゃないと出来ないから。」

「アキラ それぐらい自分でできるだろう。 」

「君にどうしてもしてもらいたくてね。」

そういうとヒカルは照れくさそうにうつむいた。

「わかったよ。明日してやるからとにかく聞かせろよ。」


アキラが選んだ曲は「G線上のマリア」バイオリンのソロ曲としては
難しい曲ではない。

だからこそ優雅な音の流れは誤魔化せない難しい曲でもある。

ヒカルは久しぶりにアキラの音に酔った。






佐為が行洋にティーカップを手渡す。

「聞こえますね。あなたの息子さんの音ですか?」

佐為の問いに行洋は顔をしかめた。

「そのようだが、あの音は不味いな。」

「あれはおそらくヒカルが作ったバイオリンですよ。」

「ヒカルが?まだまだだな。」

「ええ、まだまだです。でもヒカルには輝くものがあります。」

二人はしばらくアキラのバイオリンの音に耳を傾けた。

「考えてくれたかね。」

「まあ がんばってみます。でもあまり期待なさらないでくださいね。」

佐為の返事に満足して行洋がふわりと微笑んだのだった。





     


  



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