塔矢が投了してきた。
結果は俺の中押し勝ち。
パソコンの画面は先ほど二人が打った棋譜が残っていて、
俺はもう一度目でそれをなぞる。
そうする事で塔矢の思考を追う。
塔矢・・・いつも俺と打つときより慎重で随分
警戒されていたような。
相手が先生だとこうなのかな?
強引なほど強気な塔矢はその碁からは感じられなかった。
だが、それでも相手が塔矢だと思える瞬間は何度もあった。
中盤に右上攻防を取られてしまった俺はすぐにそこを切り捨てた
その直後に打たれた中央はさすがとしかいいようがない。
俺のミスをそのままじわりと追い詰めていくような感覚。
それは一手の妥協も許さないというあいつの碁だ。
それで俺はここで長考して・・・・
ふと、その時塔矢からチャットが流れてきた。
> お父さん変わりありませんか?
俺はその瞬間我に返った。
「えっと・・・」
塔矢からのチャットを見て先生が応える。
「変わりないと返事しなさい。」
「はい。」
俺は慌てて先生の言葉をキーボードに打つ。
「返事は慌てなくていい。私はパソコンに慣れていないから
多少遅くてもアキラも何も思うまい。」
俺が先生の言葉にうなずくと、またすぐ会話が送られてきた。
> 今日も進藤が来ているのですか?
胸の鼓動がドクンと大きく波打った。
「ああ。今の対局も観戦していたよ。
今から進藤くんとも対局してみるか?」
「えっ?」
キーボードを叩いていた指が止まる。
「進藤くん、続けなさい。」
催促されて打ち終わったあと、俺は塔矢の返事を
待った。返事にはしばらく間があって・・・
>残念ながらもうすぐ新年会で芦原さんたちが
来ることになっています。彼によろしく伝えてください。
仕方のない事だと思っても、
塔矢に拒否された事は俺にとってかなりショックだった。
俺はあいつとずっと打ちたいって思っていたのに。
あいつを騙してこの対局に臨んだのに。
その後、先生に言われて打った会話はおぼえてない。
パソコンを切ると先生が俺に声を掛けてきた。
「アキラが対局を断ってきた事は気にしなくていい。」
俺はうなだれながら「はい。」っと返事して、気になっていた事を
先生に尋ねた。
「アキラは俺だと気がついたでしょうか。」
「わからんな。しかし君との対局をアキラが断ったのは今の一局に
違和感を感じたからだと思う・・・・」
俺は先生の言葉をかみ締めるようにうなずいた。
「だが、これではっきりした事がある。
今の君の実力はアキラより上だ。もし北斗杯の予選に出なければ
ならないとすればそれは君でなくアキラだ。」
俺は先生に食い下がった。
「なっ・・・アキラは俺が先生だと思ってたんですよ。
しかもネット碁のこんな対局でお互いを図れるわけ
なんて。」
先生はいつになく真剣に俺を見据えてはっきり言い放った。
「いづれ日本に帰れば明らかになることだ」っと。
最近、朝の目覚めが悪い。
冷たい空気、しんと静まり返った部屋・・・以前は何でもなかった
事が寂しいと感じるようになったのは君を知ってからだ。
特に夢で君を見た夜は現実にもどされたこの空間がたまらなく
辛くて、僕は両手で体を抱え込んだ。
毎週 母が電話をしてくる内容は進藤の話題が必ず上がった。
何もしらずに楽しそうに進藤の話をする母は、僕が彼にどんな
感情を抱いているのかなんて知らないだろう。
早く帰ってきてほしい。
君に触れたい。君を掻き抱き君を感じたい。
重たい身体を起こすと静かな部屋にいきなり目ざまし時計の音が
鳴り響いた。
慌ててそれを止めると父とネット碁をする約束をしていた事を
思い出して気持ちを引き締めた。
進藤が見ているかもしれない。
パソコンを立ち上げると自然と気持ちが落ち着いていく。
この小さな画面が繋がっている向こうの世界に君がいるかもしれない。
父との対局に僕は投了した。
その違和感を感じたのは対局が終わった直後だった。
相手は強い。
だが、父の碁の印象とは少し違うような気がした。
常に相手の先の先を読みその上をいく。
あのsaiを思い起こすような?
ばかなと思う。父がsaiといるはずがない。
とすれば・・・
まさか進藤。ありえない事ではない。
父の傍にいたのなら彼が僕と打ちたい
と申し出たかもしれない。だが・・・そこに映し出された棋譜は明らかに
相手の白が僕の上を行っていた。
ぞわりと背が冷たくなるような感触。僕は父に探ってみた。
> お父さん変わりありませんか?
・・・・ 変わりない。
> 今日も進藤が来ているのですか?
期待と不安の入り混じった想いで僕の胸が早くなった。
しばらく返事には間があった。
・・・・ああ。今の対局も観戦していたよ。
>今から進藤くんと対局してみるか?
えっ!
進藤と対局?その言葉に僕のキーボードを打つ手が止まった。
今のはやはり進藤ではなかったという事だろうか?
それとも僕の方が父に試されているのだろうか?
動揺した僕はその申し出を断った。
今の進藤を知りたくないわけじゃない。ただざわついた気持ちの
ままでは平静さを保てそうにはなかった。
いづれわかるのだ。彼が日本に帰ってくれば。
「進藤 君の帰りを待っている・・・・」
パソコンにそう入力して送信できなかった言葉が回線を切断しても
画面に残った。 |