続・BOY&GIRL

10






     
「半目足りない・・か、」

盤面をにらみつけても結果がひっくりかえるわけではないが・・・
ヒカルはふっと長いため息を吐き出した。

悔しい。最後まで「いける」と思ったのに。

もう1局と強いたいところだが、
対局する前からアキラに1局だけだと念を押されていた。
悔しいことだが、引かないといけない。


「ああ、もう・・。」

ヒカルのそう様子にアキラがおかしそうに微笑んだ。

「悪くなかった。」

勝者がもつ余裕だ。
確かにいい内容だったと思う。勝負に負けてはしまったが。
でもそれはあえて口にしなかった。敗者が何を言っても負け惜しみに
しかならない。

「勝ったお前に言われてもな。癪に障るだけだろ。」

「勝ち負けだけじゃおし量れないものがあるだろう。」

「それはそうかもしれねえけど。」

「タイトル戦にも残るほどの名対局だったと僕は思うよ?」

「お前は大げさなんだよ。」

塔矢がヒカルの碁を褒めるなんてことはほとんどない。
こちらのアキラがどうかはわからないが。
それでも自分の碁を認めてくれているのは知っている。

照れくさくなってヒカルはそそくさと碁石を片付けるとアキラに言った。

「明日早えんだろ。オレここのソファで寝るから。お前は寝室の方(ベッド)
を使えよ。」

思わず目を上げるとアキラの突き刺すような視線と合った。

「な、なんだよ?」

「僕がソファで寝る。君がベッドを使ったらいい。」

「対局に負けたのはオレだろう。」

「対局とは関係ない。」

ぴしゃりと言い切られてヒカルは困ったように頭を掻いた。


「・・・そんなに僕が信用できない?何もしないと言ったろう。」

「そういうことじゃねえよ。」

何もしなくてもアキラと一緒に寝るなど考えられなかった。
大体気になって眠れそうにもない。

「じゃあ、どういうこと?」

「いや、それは・・・。」

説明できないヒカルにアキラは小さくため息を吐いた。

「君に相談もせず宿泊を決めたのは僕だ。せめて
君はベッドで寝てくれないか。」

「そんなことを言われても・・・。」

アキラが言い出したら聞かないことはヒカルも知っている。
もっともヒカルも相当に頑固なのだが・・・。

ヒカルは妙案が浮かんだとばかりに手を叩いた。

「だったら二人ともここのソファで寝るか?ソファ2台あるだろう。」

それならアキラの性格上納得するはずだ。
今ここにはソファが二つあって二人で向かい合って対局していた。

アキラが笑った。

「わざわざベッドがあるのにここで?
でもこのソファ、広げたらベッドになりそうだね。
2台並べたら、そこそこのサイズになるかもしれないよ」

「えっ?」

アキラは言うな否や、ソファを持ち上げた。
アキラの言った通りソファベッドだったようだ。
ヒカルは今更ながら自分の失言に気づいた。

「あのさ、塔矢・・・」

言いかけてヒカルは言葉を飲んだ。自分が言い出したことを
今更撤回できない。

「ヒカルは隣の部屋から掛け布団を持ってきて。」

「うん。」

ヒカルは隣の寝室に入ると盛大にためいきをついた。

「ホント人の話きかねえんだから・・。ってどうすんだよ。オレ、」

これならこっちで寝ても変わらないじゃねえかと心の中でヒカルは突っ込みを
いれるしかなかった。





言われたとおり布団と枕を持っていくとすでにソファはべッドになっていた。
ほっとしたのはソファとソファの間に少し間があったことだ。
アキラなりに気を使ってくれたのかもしれない。
それに・・・。
もし隣のアキラが気になって眠れないようなら隣の寝室にこっそり移ればいい。
ヒカルはそう腹をくくるとソファに横になった。


アキラが部屋の電気を落とすと闇が訪れた。

なるだけアキラを意識しないように寝返りを打つと「ヒカル」と呼ばれた。

「なんだよ。」


オレはもう寝るんだという意思をそっけなくアキラに伝えようとした。
でもそんなことを気にとめる様子もなくアキラは話しかけてきた。

「ずっと気になっていたのだけど・・・」

そういった後しばらく間があった。オレはその間少しドキッとした。

「どうして君は『あの日以来』僕を塔矢と呼ぶんだ?」

「えっとそれは・・・。」

確かに夫婦で苗字で呼び合うのは可笑しいかもしれない。
アキラもヒカルと呼ぶぐらいだし。あいつも『アキラ』と読んでいるのだろう。
でも・・つうか今更というか「アキラ」なんて恥ずい。

それにこちらのヒカルが結婚してからも『進藤ヒカル』の名前を使っている。
昨日家に帰ったときにひっぱりだしてきた対局表や囲碁雑誌で
ヒカルはそれを知っていた。
おそらく仕事上は苗字で呼び合ってるはずだ。

言い訳を考えあぐねていると暗闇からアキラが言った。

「笑われるかもしれないけれど、二日前の朝急に君自身が変わって
しまったような気がしたんだ。
僕を塔矢・・と呼ぶようになってから。よそよそしくなったというのか。
僕を避けようとしたり・・・。今日だってそうだ。

こんなことを言うと僕自身の責任を押し付けてるようだけど、
まるで君の中身が誰かと入れ替わってしまったんじゃないかって感じて。
でも先ほど打った碁はまさしく君のものだった。」


ヒカルはそれにドキッとした。気づかれた?
いやこの場合気づいてもらった方が良いのだが。
でもヒカルに起こったこの不思議な出来事はアキラには話せなかった。
前にも説明しようと
したがなぜか言おうとすれば言葉が出なくなるのだ。

ヒカルの焦りをよそにアキラは言葉を続けた。

「ひょっとしてもう1人の君がひょっこりと出てきたんじゃない
かと思った。
僕はまた非現実なことに囚われているのだろうか。」

結構アキラって勘がいいなって思う。
ただここでアキラがいうもう1人の君というのは佐為のことなのだろう。
昼間秀策のお墓の前でアキラがヒカルに言い募ったことで、ヒカルはそう
確信した。


「バカだよな。オレは誰でもなくオレだぜ。『正真正銘』進藤ヒカルだ。
けどさ、お前の不安つうか・・そういうのもわかるんだ。」

なぜなら今一番ヒカル自身がこちらの世界に来てしまった動揺と
不安を感じてる。
いつ元の世界に戻れるのか?どうしたら男のヒカルに戻れるのか?
そして目の前の塔矢アキラにどう接していいのか?


「オレだって不安でしょうがないんだ。・・・わけは今は話せないんだけど。」

「君を不安にさせているのは僕だから?」

ヒカルはそれに応える事ができなかった。
だがアキラはそれを肯定だととったのだろう・・・と思う。


「君に触れていい?」

「しばらくはライバルだけの関係だって言ったろう。」

躊躇しているとアキラの手が伸びてきた。
胸がドキッと高鳴った。

何だろう?オレひょっとして期待してるのか?
不謹慎だとヒカルは自身に叱咤して体を引こうとした。

「手を握るだけでいいんだ。」

『今はそれだけでいい』そういったアキラに
胸がずきんと痛くなる。
それがヒカルにはなぜだかよくわからなかった。

恐る恐る手を返すと言葉通りアキラは指に触れただけだった。
いつも碁盤越しに見てきたはずの『塔矢』の指をヒカルはかすかに
震える指でそっと握り返した。


「おやすみヒカル、」

「・・・おやすみ塔矢」



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