「あんまし時間とんなよ」
疲れているのだと、進藤は大きく欠伸をした。
進藤の部屋に入る前に進藤が「ああ」っと思い出したように
声を上げた。
「ちっと散らかってる」
「気にしないから」
部屋に入って進藤は端まで歩いてベランダの窓から外を見下ろした。
雨音は殆どないが、まだ雨が降りしきっていた。
峠は越したようだった。
雨のせいで足止めにもなったが、そのおかげで進藤と2人
ここにいる。
進藤がカーテンを閉めると2人だけの部屋の空気が重く、遮断
される。
アキラは部屋を見渡した。
部屋の間取りはアキラの泊まった部屋とほぼ同じだ。
足元に乱雑に置かれたトランクから着替えや雑誌が飛び出してる。
ベッドの上にも棋譜が置かれたままだった。ベッドメイキングの後もその状態なのだと朝そのままにしていったのだろう。
「あんまし、じろじろみんなよ」
ふて腐れたように進藤はそう言って冷蔵庫に手を
伸ばした。
「塔矢お前何か飲む?」
「ビールを貰ってもいいだろうか」
「今から飲むのか?つうかオレの部屋のだってわかってるだろうな」
「それぐらいいいだろう」
「まあ構わねえけど」
面倒くさそうに缶ビールをアキラに差出し、進藤はコーラーを
出す。
その間に缶を開けてグラス2つを用意する。
「君も一杯ぐらいどう?」
返事を聞く前に注いでしまう。案の定進藤は渋い顔をした。
「オレあんまし酒強くないの知ってるだろ?疲れてるしこのまま寝ちまうかも」
「今日はここで泊まるのだし、構わないじゃないか」
進藤はソファにどかっと腰を落とした。
「じゃあまあ1杯だけ」
喉が渇いていたのか、進藤はそれをいっきに飲み干した。
「それで、オレに改まって何の話だよ」
部屋に来たときからどうにも進藤が喧嘩ごしのように思えてアキラは苦笑した。
「特に話と言うのはないよ」
「ええ?」
進藤は少し拍子抜けしたようだった。
「そんなに期待させた?」
「期待っていうか、用もねえのにこの疲れた時に時間取らせんなよ。オレはまたてっきり・・・」
進藤がその後口を濁す。
アキラは空になった進藤のグラスにビールを注ぐ。
「ああ、もういらないって」
そういいながらも、グラスに口をつける進藤にアキラは笑った。
「飲まないとやってられない時もあるのだろう」
先日の事を引き合いに出して、また進藤の空いたグラスにビールを注ぐ。大体進藤のお酒の許容量は知ってる。
これ以上飲ませると本当に寝てしまうかもしれないし、泥酔するかもしれなかった。
それでもアキラは進藤の本音を聞きたかったのだ。
「塔矢お前さ、市川さんとはどうなんだよ」
唐突にそう切り出した進藤の目はすでに据わっていた。
「どうって?」
進藤が何を聞きたいのか概ね見当はついたが、すっ呆けた。
「結婚は?考えてるんだろ」
進藤の目が僅かに泳ぐ。
「考えてないよ」
「お前がそうでも市川さんは考えてるだろ。だってお前と
歳・・・。」
「8歳年上だ」
『だったら』と進藤はぶつくさと愚痴った。
アルコールのせいか顔も赤く声も高揚気味だ。
「僕の事より君の方は?付き合ってる人とかいないの。
えっと確か、藤崎さんだったかな」
「あ、あかり?違う違う、あいつはただの幼馴染み。
オレは今そんな余裕ないって」
「なんだか僕には余裕のあるような言い方だな」
「お前はな。市川さんがいて今いいコンディションだろ?そういう相手ってなかなかいないぜ。市川さん大切にしろよ」
しみじみとそう言われてアキラは頭をもたげた。
言われるまでもなくわかってるのだ。
「最近君は緒方さんとよく一緒にいるけど仲がいいの?」
「ああまあ、腐れ縁的な。オレも先生も今付き合ってる人もいねえし。先生といると刺激があってさ。今はそっちの方が面白れえよ」
「そう」
進藤は・・・緒方さんとそういう関係を持ってる。
緒方のただの虚勢ではないはずだ。
平静を保とうとしたが、声が震えた。
もっとも進藤は酔いが回っていてそんな事には気づいていないだろう。
「塔矢悪い、今日はもうこれぐらいにしてくれねえ」
進藤はソファに凭れこみ、目を閉じていた。もう間もなくもすれば
寝息も聞こえてきそうなほど穏やかな表情だった。
「このまま寝るの?」
その返事は返ってこない。
寝室から布団を持ってきて掛けると進藤はそのままソファに突っ伏すように転がった。
「アキラ・・・」
僅かに開いた唇が自分を呼び、彼の横顔から目が離せなくなる
「進藤」
そう呼んで『いや』と思い立って言い直した。
「ヒカル・・・」
初めて口にしたその名に、こみ上げた想いで胸がつぶれてしまいそうだった。
「ヒカル、君が好きだ」
返事の代わりに穏やかな寝息が返ってくる。
アキラはそっとその唇にキスをした。
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