緒方はベッドに沈むヒカルの前髪を優しく撫でた。
目じりには微かに濡れた後が残る。
無理をさせた自覚は緒方にある。
しかも明日から名人戦も始まるというのにだ。
疲れ切ったヒカルは起きる様子はなく、それに安心して緒方は上半だけ起き上がりベッドサイドライトを一番落として煙草に火をつけた。
不意に小さな声がその腕を求める。
緒方は苦虫を噛んだように顔を顰め、紫煙は揺らいだ。
ヒカルが『アキラ』と寝言で呟いたからだ。
昨夜緒方がヒカルを呼び出したのは単なる気まぐれだけではない。
アキラとの一件があったからだ。
その日は塔矢門下の研究会で
対局したわけでもないのにアキラは緒方をやけに意識していた。
2人だけではないその空間で幾度か視線を感じたものの緒方は
素知らぬふりをしていたが。
案の定アキラは緒方と二人になる機会をうかがっていたようだった。
「緒方さん」
「なんだ?」
「いつからです」
アキラは「何が」とは言わなかった。
すっ呆ける事も出来たはずなのにあの時の緒方はそれをしなかった。
「1年前だ」
大まかでも、それでわかるだろう。
案の定アキラは思い当たることがあったようだった。
もういいだろうと席を外そうとしたらアキラがまた質問してきた。
「いつまでそんな事を続けるつもりですか?」
「お前には関係ないだろう」
「本当に僕には関係ないと言えるのですか?」
強い口調だった。緒方は内心でぎょっとしていた。
アキラが進藤の想いにまで気づいてるのかどうか・・・という事だ
だが呆けるしかない。
「どういう意味だ」
「彼が愛しているのは貴方ではないはずだ」
「じゃあ誰なんだ?」
今度は緒方がアキラに質問をする番になる。
「それは・・・」
「お前はそれを誰に聞いた?」
アキラが知るはずのない事だ。
絶対に知られたくない進藤が言うはずはない。
だが・・・。
知られたくないと思う反面
進藤はアキラに気づいて欲しいとも思ってる。
それを緒方が一番知ってる。
「進藤です」
静かにそう言ったアキラに『だろうな』と緒方は納得したような気がした。
「でも彼は覚えてはいないでしょう。泥酔していたし、僕も酔っぱらいの戯言だと思ってました」
「だったら酔っぱらいの戯言で聞き流せばよかったんだ」
「出来なかったんです」
アキラの言葉には悲痛な叫びが含まれていた。
「なら、お前はあいつに応えてやれるのか?」
「出来ません」
アキラの即答に安堵しつつ、なのになぜか緒方は胸の中はざわめきだす。
「あいつの気持ちに応えられないのに、オレとあいつの関係は気に食わないってか。それは随分勝手じゃないか」
黙り告るアキラに緒方は冷笑した。
「市川とさっさと身を固めたらどうだ。そうしたらお前もあいつも
諦めがつくだろう」
「緒方さん、貴方は彼を愛しているのですか?」
「さあな、だがあいつはそんじょそこらの女なんかよりずっといい」
厭味で嫌らしい笑みを浮かべてやる。
アキラの表情が翳るのを見て心の中でほくそ笑む。
「心はそこになくても・・・」
アキラの呟きに胸の奥がズキリと走る。
「心なんて後からついてくるもんさ」
そう言ってしまった後、緒方は後悔した。
これではオレが進藤に惚れてると言ったようなものだ。
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