モノトーン

28

 
     



人ごみでごった返したスクランブル交差点に紛れても
「塔矢アキラ」と周知される事はあまりない。
囲碁ファンならわからないが。

見上げると3台の大型ビジョンが同時に「塔矢アキラ名人 3冠の快進撃」と流れ、
青信号に押され伏目がちに歩いた。
その後、真正面から 聞こえた歌声にもう1度顔を上げた。

あの頃より声色は低くなったものの変声期があったのかと思う程
歌声はそのままで、アキラはその姿に眩暈すら覚えた。
きっと今でもその声を聴いただけで彼だとわかるだろう。

その、瞬間アキラの周りの音が、スパークルのPVさえもかき消された。
背後から聞こえた声に耳を疑うようにアキラは人ごみを振り返った。
その時には点滅を始めたスクランブル信号に行きかう人々は方々散っており、アキラは
その声主の姿を捉えることは出来なかったが・・・。

こんな場所に彼がいるはずない・・と高鳴る胸を抑える。
それでも可能性は0だろうか?
交差点に喧騒が再び戻る。

落胆とともにこんな事を何度繰り返したろう・・・とアキラは自笑し大型ビジョンの 前で足を止めた。


ビジョンに映し出されたヒカルはあの頃より大人びていた。こんな表情もするのかと、知らないヒカルのようで遠かった。

7年も経つのに胸の鈍い痛みは消えず、
むしろ、この痛みが無くなったら、アキラの中からヒカルが消えてしまうような気がするのだ。
胸に留めるようにあの頃のヒカルと無意識に重ねようとし、大きく首を振った。

ヒカルが勝ち上がって来ている事をアキラは知っていた。
どこまでも遠くアキラの知らないヒカルではない。
彼は僕を追って来てる。
それが嬉しくないはずない。
アキラがこの場所を示す限りヒカルが目指してくれるという
のなら、どこまでも強くただひたすらに高みを目指せばいい。

『待ってる。いつまでも君を・・・。』

そう胸の内でつぶやくと
『ヒカルは必ず貴方の元に行きます』
そう誰かが、隣で囁いた気がして振り向いた。

姿のないその声をアキラは確かにどこかで聞いたことがあった。

アキラはその声に押されて歩き出した。





スクランブル交差点の人ごみの中、大きく映し出されたアキラの快挙にサングラス越しの瞳を熱くさせた。

『とうとうアキラくん三冠ですか』

すぐ隣を歩いているはずの佐為は完全に人ごみに揉まれ姿はほとんど見えない。
声だけが人ごみから聞こえてる感じだ。

「ああ、」

『ヒカルも、あと1勝ですね』

信号が点滅し始めて足を速める。

「そうだな、でもこの1勝が今まで一番大変だったんじゃねえか」

頭上から聞き慣れすぎたメロディが流れ始める。
奇しくもアキラの快挙の後にスパークルの新曲PVが
流れたのだ。

照れ臭くてワザと大型ビジョンとは反対の交差点を歩いたが、佐為はわざわざそちらに行き大きく映し出されたPVを見上げていた。佐為の廻りには数人の女子が
黄色い声を上げながら同じように見上げており、視線が合わないようにビルの角に体を隠した。


「オレだってバレると面倒だってわかってるくせに」

小声で呟いても佐為に聞こえるはずもなく、佐為を放って歩き出すと『ヒカル、待ってください』と佐為が息を上げて追ってくる。
お化けなのにこういう所は相変わらず人間臭かった。

「ヒカル、アキラくんはきっと待ってくれてますよ」

そう言いながら佐為は1度振り返り、ヒカルもそちらを見た。
モニターの下、アキラに似た横顔の男性にドキっとして、2度見したがその時にはその男性はヒカルに背向けていた。

アキラがこんな所にいるはずがない。

けれど・・・もしアキラと偶然どこかで会ったとしても
ヒカルは声を掛けないだろう。

後1勝・・・。
そうあと1勝でお前と対局できる。だから・・・その時まで、

「佐為帰ったら今日は打つぞ」

「もちろんです。特訓です。特訓!!」

いつもの軽い佐為の声にヒカルの1勝の重荷は消えていた。






待ち急いだこの日、この日の為にオフを貰ったヒカルは佐為を伴って七星ホテルに車で入った。
今日はプライベートで、事務所も芸能も入っていなかったが
こういったビッグニュースを放っておくはずなく、会場にはすでに碁界ではなく芸能の報道がいくつか押しかけており、
ヒカルはついた早々地下の駐車場で足止めを食らった。

『ヒカルくん、アマ名人として塔矢名人に挑戦する今のお気持ちをお聞かせください』

ヒカルの顔見知りの女性の芸能レポーターだ。こういうのは顔見知りであるほど断り辛いものなのだが、今日はオフ日でプライベートという事もあり、ヒカルは強固な姿勢を向けた。

「すみません。今は対局に集中したいので」

背後からカメラのシャッタオンとフラッシュがある。勝手にカメラやVTRを回されるのも芸能界に入ってから慣れっこだが、今日だけは静かにして欲しかった。

『元モノトーンとして、塔矢名人とは今も交流があるんですか?』

『忙しい芸能活動をしながら、囲碁はどうやって勉強されたんですか?』


矢継ぎ早の質問にややうんざりする。
普段なら守ってくれる事務所関係者も今日は断っておりヒカルは自力でここから逃げるしかない。

『ヒカル、こっちです』

佐為がヒカルが囲まれてる間に入り口を探してくれており、手招きする。
それに少しほっとし、取材陣の薄い場所を狙って小走り
に走った。

『対局前の今のお気持だけでも・・・』

「また後で」

背後から聞こえたレポーターの声にうんざりしながら、降りてきたエレベーターに飛び乗った。
幸いにもそこまでは報道も乗り込んでこなかった。
こういった事態を考え棋院で対局をしなかったのだが、これではホテルでも一緒かもしれなかった。

「やれやれですね」

佐為に言われ、『全く』と相槌を打つ。

「1時間前に会場に入ったのにな」

そう言いながらヒカルはドキドキと高鳴る胸を押さえた。今日と言う日を待ちきれず、子供のように興奮していた。

もう間もなく、ようやくアキラと打てるのだ。
今はそう誰にも邪魔をされたくなかった。




「アキラに対局前に会う事って出来るかな?」

対局前に対局者に会うというのは、避けた方はいいのか、ヒカルにはわからなかった。

「アキラくんに会って言いたかったことがあるのでしょう。
対局後はなかなか時間が取れないものです」

「いいのかな?」

「いいも何もヒカルはその為にここに来たのでしょう。今更迷う事はないはずです。私は先に対局場で待っていますから」

ヒカルの背を押し、1人で行かせてくれた佐為に感謝しながら
教えてもらったアキラの部屋の前で一端立ち止まった。
『やっとここまで来た』。けれど、アキラは認めてく
れるだろうか。

ノックに躊躇していると内側からいきなり扉が開いた。もちろん部屋から出てきたのはアキラだった。

「えっ?アキラ・・・」

あまりに唐突すぎてヒカルは言葉を探す。

「えっと、久しぶりだな、元気だったか・・・」

何を自分で言ってるのだと突っ込みたくなるほど動揺したヒカルをアキラは冷ややかな瞳で見る。
やっぱり来なければよかったと後悔し、引き返したくなる。

「突然押しかけて悪かったな」

「立ち話もなんだから、入ったら」

「ああ、うん」

無愛想なアキラの心情が量れず、ヒカルはアキラの後に続き部屋に入った。

「悪いな。対局前に来ちまって」

「対局前は君もだろう」

「オレこういうの相変わらず良くわからなくて、対局前に
対局相手に会うのは不味いのか?」

アキラは手前の椅子に座るようヒカルに勧めると、自分は奥の椅子に腰かけた。

「真剣勝負では今までにないな」

「そっか・・・つうかさ、オレは真剣だけど、お前は違うんだろ?」

「どうして?」

「いや、お前あの時・・・。」

ヒカルが言葉を濁したのは恥ずかしい想いでも一緒に蘇ったからだ。

「眼前にあるのはプロ棋士だけって言ってたろ?だからアマのオレなんか眼中にないだろうなって」

「君が韓国のアマ名人と対局した棋譜は見たよ」

「ああ、あれか」

ヒカルは苦笑する他なかった。忙しい仕事の合間で、ほぼ徹夜明け状態の対局だった。言い訳はしたくないが最悪なコンディションで集中力も欠け内容はひどい有様だった。

「あんなひでえの見たのか。最低だな」

「そんな事はない。韓国のアマ名人 はプロの高段者でも苦戦する。現に現役の十段が中押し負けしている」

「そうなのか?」

「ああ、」

静かに頷いたアキラにヒカルはどうしてもアキラに伝えて置きたかった事を口にした。


「オレお前と対局する方法はねえのかって色々考えてたんだ。そしたらアマ名人になれば名人のお前に挑戦できるって知ってさ。最初に挑戦してから5年もかかっち まったけどようやくお前の所まで来た」

「僕も君を待っていた」

ヒカルはそれに驚いた。あれから7年もたち、アキラはもうヒカルの事などもう気にも止めてはいないだろうと思っていた。
けれど・・・どこかで信じたいとも思っていた。あの日アキラが別れ間際に言った言葉を・・・。

「振り向かない、前だけ見て上を目指してきたつもりだった。
でも君が3年前に都のアマ名人になった時、僕はいつかこんな日が来るかもしれないと胸が躍った。
気が付いたら君の棋譜を探していた。想いを抑えきれなかった」

「アキラ・・・」

ずっとアキラを、この対局を目指してきたのだ。

アキラが待っていてくれた事が嬉しくて・・・。気づいて、待ってくれていたことが嬉しくて、
今アキラの前に立てる自分が誇らしく胸が熱くなる。

ここまで勝ち上がってこれたのは他ならない、ヒカルの意志と強さだと・・・。
そしてその場所を、名人を防衛し続けたアキラが居たからだ。


「名人として君を迎え撃つ」

「オレお前には負けねえよ。芸能活動しながらって言うやつもいるけど、真剣に取り組んで来たし手を抜いたつもりはない」

「ああ」

望むところだというように、アキラは微笑むと立ち上がった。
それはヒカルの知っているアキラだった。


「時間だな 行こうか」


対局室に入る前に佐為が『遅いです!』と待ちくたびれた犬のように二人の姿をみて吠えた。
ヒカルはそれに笑った。今なら言える気がする。

「アキラ、もしこの試合オレが勝ったら・・・。もう1度二人でモノトーンやろうぜ」


冗談ぽく言ったが、ヒカルは本気だった。
声が震えたのも本気の告白だったからだ。
アキラが振り返り、ヒカルは息を飲んだ。

「そういう事を勝負に持ち出すのは・・・」

アキラは言いかけた言葉を飲み込むと小さく息を吐いた。

「勝ってからにしたら、もちろん僕は君に負ける気はない」

「勝負はやってみなけりゃわかんねえだろ、オレは、」


『本気だ』という言葉は
報道陣のシャッター音で消えた。

「お二人ともどうしたのですか?」

『前哨戦か』と笑う取材陣にヒカルは恥かしくなって足早に対局場に入る。

『でも・・・。アキラの返事はオレが勝てば話ぐらい聞いてくれるという事だろう』

椅子に座り、ざわついた雑念を鎮めるように胸に手を置き深呼吸した。
前を見るとアキラも目を閉じていた。

二人同時に視線を上げそれが合図になり、立会の「勝負の読み上げ」が行われる。
一斉にシャッターが降りたがもうそれは意識の隅っこだった。

アキラと今から対局するのだと、万感の想いがこみ上げ胸が熱くなる。



「お願いします!」

「お願いします!!」





     
                                 完結



モノトーン完結です


今まさに読み終えて下さった方、このあとがきまで目を掛けてくださった皆さんありがとうございます。
このお話を書くきっかけになったのはヒカ碁のキャラソンで、だからもう随分と私の中では温めていたハズだったんですが(滝汗)

途中頓挫して、もう本当描けないじゃ?と。
「未完のお話は駄作より劣る」という事を言ってた方があって、とにかく描ける限り不細工でも駄作でもやってみようと思い直しました。

最終話を書きながら今まで書いたお話が色々脳裏を掠めまして。天空の破片だったりとか、白黒とか。ひかる茜雲だったりとかもろもろ(笑)
どれとも違うのにやっぱり私の中で「ヒカルの碁」に繋がってるのだろうと思うのです。

最終話のアマ名人と名人の対局は実際行われています。アマ名人だけでなく本因坊や他の棋戦もあり、またアマのTOPになった方にはプロの棋戦に参加できるという特典(?)があるものもあるのでヒカルが活躍すればますますアキラくんとの対局が増えて行くかもしれないな、と思いながら最終話を書きました。

勝負の結果は書きませんでしたが、実は私の中では着いてます。ヒカルには黒、逆コミ6目半がありますので(笑)
この先も少し書いてみたい気もするのですが、それはまた私の気が向いたらでしょうか(苦笑)

次作もお付き合いして頂けるように、ぼちぼちでも書き続けていきたいと思ってます。

                              2015 4  緋色



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