「おはようございます」
ヒカルが慇懃に挨拶すると緒方が笑った。
「悪かったな、オフ日だったらしいじゃないか」
そう言いながら緒方は自身の隣の席を示す。4人座席に緒方は
芦原と向かい合って座っており、ヒカルが緒方の横に腰掛けると
アキラは奥の芦原の横に回らなければならなかった。
「えっと」
ヒカルが戸惑ってる間にもアキラはテーブルを回り芦原の隣に立つ。
「失礼します」
アキラに続き慌ててヒカルも「失礼します」と言って緒方の横に
腰を下ろした。
「二人ともしばらく見ない間に逞しくなったな。ヒカルは声も少し低くなったんじゃないか?」
ヒカルは自覚はなかったが、確かにこの半年で身長は4p
伸びていたし、周りは声変わりをしていたのでそうかもしれないと頷いた。
「今が一番少年として綺麗な盛りだな」
「緒方さん、綺麗ってセクハラ親父みたいになってますよ」
苦笑する芦原にヒカルは引き攣った笑いを浮かべた。
アキラは仏頂面たっだが。
「そうそう所で・・」
芦原は鞄から雑誌を2冊出すとヒカルとアキラに手渡した。
雑誌の表紙に反応したのはヒカルより背後にいた佐為の方だった。
『月刊 碁、ですね』
表紙はヒカルとアキラが背中合わせで取ってる写真で伸ばされた手はそれぞれ白と黒の碁石を掴んでいた。
悪戯っぽく笑うヒカルと、優しく微笑むアキラ。
衣装も相俟って対照的だった。
ヒカルが自然と目が行ったのはアキラの優しい表情だった。
照れ臭さを隠すため、ページを開いたが見開きもアキラとヒカルが碁盤を挟んで映ってる写真で、ますます焦ったヒカルはページをぱらぱらとめくった。
『ヒカル、もっと私にも見せてくださいよ』
佐為の声で手を止めたら、そのページには棋譜が載っていた。
佐為が真剣に見初めたのでヒカルもその棋譜の手順を追うしか
しょうがないが、上の空で頭には入らなかった。
「アキラくんどう?」
ぱらぱらとめくるアキラに芦原が聞いた。
「気恥ずかしいものですね」
「そう、月刊碁に載るのは初めてだっけ?」
「父の受賞祝賀会で家族一緒に載った事はあったかもしれませんが、こういうのは、」
「まあそうだろな、普段は表紙は普通プロ棋士が飾るしな」
「ヒカルくんはどう?」
急に振られてヒカルは顔を上げた。
「えっと、オレこの雑誌見るのも初めてで・・・」
「そうですか。実はヒカルくんとアキラ君が表紙になった11月号は
すぐ完売して早々増版が決まったんです」
『本当ですか?』
アキラとヒカル二人で声が合う。一瞬目も合ってそのまま逸らしたがそれだけの事なのに心臓がドクドク高鳴っていた。
「本当、本当、二人の人気すごいよね。12月号も二人の記事を載せるけど
映画が公開される来年1月号は『もっと題材的に記事にしたい』と編集が張り切ってて。今日は映画のシーンも週刊に載せてもらいたくてお願いに来たんだ」
そう言う事かと納得してヒカルは頷いた。
「今日オレと芦原は来たのはそれだけじゃないがな。
対局シーンの撮影を前倒ししようと思ってだ」
ヒカルはドキっとして横に座る緒方の高い背を見上げた。
「前倒しっていつ?」
「今日だが、何か問題あるか?」
「いいえ」
そう答えたのはアキラだった。
「ヒカルは?」
「オレも」
遠慮がちに答えたが心中は穏やかでなかった。
撮影の対局の棋譜は覚えてる。問題はないはずだった。
「そうか、よかった。オレと芦原の都合でスタッフに今朝無理を通して貰ったからな。
監督からは昼からならセットが間に合いそうだと先ほど連絡があった所だ。それでアキラくんはいいとして、ヒカルは棋譜というのを覚えてるんだろな」
「それは大丈夫だけど、オレ打ち方とか教わったことないから自己流だぜ?」
『私がちゃんと教えてるんでしょう!!長考中は碁石を握らないとか、目上の人と打つときの上座、下座の事や・・・』
声を上げくどくど言いだした佐為にヒカルは顔を顰める。
もちろん他の人には聞こえていないがヒカルにはやかましかった。
「それは問題ないと思いますよ。何度か彼の対局を見ましたが
綺麗なものでした。もし心配ならオレが指導しますし」
「ならいいだろう。撮影は2時から。1時にはスタイリストが入るから、二人ともそのつもりで」
「わかりました」
話がそれで終わりと思ったヒカルとアキラは立ち上がった。
「ああ、もう少しだけ、アキラくんと話をしたいんだが」
緒方はそういうとヒカルをちらっと見た。
ヒカルは心がざわめいた。
ヒカルがここに居るのは邪魔だと言う事だろう。
「ああ、はい、アキラまた後でな」
ヒカルは来た時以上に丁寧にお辞儀すると、後ろ髪残る
食堂を後にした。
階段に上る前振り返ると佐為と目が合った。
「アキラだけ何の話だろ」
『気になりますか?』
「ん、まあ」
そう答えたが話の内容はなんとなくわかっていたような気がした。
おそらくアキラの今後の事なのだろう。
だとしたら、わかっていてもアキラの返答が気にならないはずがない。
佐為はヒカルから離れて話を聞くぐらいは出来たがそれは佐為の流儀に反した。それにヒカルもそれを本心から望んではいないだろう。
『大丈夫ですよ、アキラくんはきっと後で話してくれますよ』
「そうだよな」
ここに居ても仕方ないとヒカルはため息を吐き自室に戻った。
お昼からの撮影は『ヒカルの祖父宅』という設定で民家の軒下を借りての撮影だった。
すでに碁盤も碁石もセットされていた。
ヒカルとアキラの役歳は中学2年の14歳。
奇しくも同じ歳だった。
「久しぶりだな、お前と打つの」
「ああ、2年4か月ぶりだ」
「そんなになるのか?」
「あの時の君は・・・」
思い出し笑いしたアキラに『もうそれ以上言うな!!』という台詞は口を尖らせた。
「お願いします」
「お願いします」
握りもせずヒカルは碁笥から掴んだ黒石を初手に置いた。
続いて言葉なくアキラが2手目を打つ。
対局は少し溜めてと言う指示が出ていた。長い対局をすべて撮影に映すことはしないが、打ち切って編集をすると説明があった。もちろん途中で止める事もあるだろう。
6手目をアキラが打った所で監督からでなく緒方の声が入った。
「悪いがちょっと待ってくれ!!」
監督が緒方を見た。
「監督お願いがあるのだが・・・」
耳打ちする緒方に監督は顔を顰めた。
「それは先生には・・」
「大丈夫、・・・許可は出てる」
小声でアキラとヒカルには二人の会話は微かにしかわからない。
しばらくスタッフや芦原も加えての話があり、検討が続いたが結論は出たようだった。
「二人とも申し訳ないが、ここから先自由に対局してくれ
ないか?」
監督の言葉をヒカルはごくりと唾を飲み込んだ。
「自由に、って棋譜は無視するってこと?」
「真剣勝負をしていいと言う事ですね」
ヒカルとアキラの質問に監督は頷いた。
「緒方社長からの提案だが。私もその方がいいものが撮れるかもしれないと思う。二人ともやれるな」
「もちろんです」
アキラはそう答えたがヒカルは即答できず、背後にいる佐為を振り返った。
佐為は心配そうにヒカルを見つめていた。頼めば代わりに対局してくれるだろうとも思ったが・・・。
それではアキラの真剣な想いに応えることは出来ないだろう。
「いつまでも逃げてるわけにいかねえよな?」
佐為は静かに頷いた。
「ヒカルくん?」
監督の声にヒカルは我に返った。
「やります」
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