あれから数年後__
緒方はその日を心待ちにしていた。
ヒカルが緒方の元に指導碁に来るのだ。
「久しいな」
ここ数年でヒカルは成長した。
子供から少年へ、青年へと成長を遂げる今が最も美しいとも言える。
今がまさに旬ともいう頃か?
そんな事を考えた緒方は苦笑した。もうオレのの小姓ではなかったと。
「緒方様ご無沙汰しています」
「ああ、今日はお前がオレの指導碁をしてくれると聞いて楽しみに
していた」
ヒカルは「それはどうだか」と苦笑いして、すでに用意されていた碁盤を
挟んだ緒方の向かいに腰を下ろす。
「この対局、オレが勝てば今晩オレの相手をしていけ」
おもむろにそう言った緒方はすでに勝負に勝ったような気でいるようだった。
「えっと・・・」
ヒカルは苦笑するしかない。
昨年緒方が国に帰るまでの二人の勝敗では幾分緒方の方が分がよかった。
だがあの時からヒカルは成長してる。
今では佐為の代わりに将軍様への指導碁にも行く事もあるのだ。
「緒方様、ひょっとしてまだ佐為に言ってない・・・とか?」
「やかましい!!」
およそ、城主とは思えぬような拗ねた表情で高揚し緒方は腕を組む。
「全く、いつまで強情張ってるんだよ」
「大人の話だ。口出しするな」
「オレだってもう16です」
「オレから見れば、まだまだお前は子供だ。まだオレの小姓でも
可笑しくない」
あはは・・・とヒカルは笑うとそれでも眩しそうに緒方を見上げた。
確かに16になっても緒方の背を越せそうにない。
「佐為だって満更じゃないと思うけど」
『まだその話をするか』と緒方はため息を洩らした。
「それで、オレの勝負を受けるのか?受けないのか?」
もちろん緒方が言う勝負には伽の話がついている。
「ああ、えっとそうだな・・・」
ヒカルは思案するように語尾を伸ばす。
もっともすでに答えは出ているのだが。
「承知したしました」
「ほう、随分自信をつけたものだ」
ヒカルは心の中で舌を出した。
もうその手には載らない。
緒方には悪いが先に手は打ってある。
お互いに数手打ち始めた所で手が止まる。
2人とも長考する方なので思考に入るとなかなか手が進まなかった。
外に控えていた芦原が遠慮がちに声を掛けた。
「緒方様、」
「何だ、対局中だ、後にしろ」
芦原の声が一瞬躊躇する。
「桑原様がお見えですが・・・。」
「何?」
ヒカルが顔を上げれば緒方は顔を顰めていた。
それに心の中でヒカルは笑う。
「なんで奴が今頃?追い返せ、オレはおらんとでも言っておけ」
「それが、しかしながら・・・」
部屋の中に居るというのに外から並みならぬ威圧感が伝わってくるのだから
すごいと思う。
『こんな老いぼれを追い返すとは、全く』
外で聞こえたしわがれた声を緒方は睨みつけた。
桑原は自分で部屋の戸を大きく開放した。
「緒方様も人が悪いのう〜
ほう、本当に対局中であったか」
桑原は高笑いを上げ、意味深にそう言った。
「無礼だぞ、」
緒方は怒りで顔を高揚させていた。
「いやはや、これは失礼」
ヒカルは桑原に慇懃にお辞儀すると桑原が笑った。
「これは藤原殿の所の・・・」
「はい、ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました」
緒方は埒が行かぬとばかりに今度は芦原を睨みつけた。
芦原は言い訳するように手振り、身振りで謝罪するが、それがますます
緒方の怒りをかう事になる。
「緒方様、そうカリカリしなさんな。碁が荒れ取るぞ」
桑原は笑いながらヒカルに席を譲れと催促する。ヒカルは言われるまま
腰を上げた。
「じじい、何のマネだ」
「ひどい物言いですな。このワシが緒方様に碁の手ほどきをしようと言う
のに師に向かってその態度とはどこで育て方を間違えたやら」
「お前に育ててもらった覚えなどないわ」
緒方と桑原の慣れあいにヒカルは笑いを抑えるがやっとだった。
見ると桑原は後ろ手でヒカルに『行け』とゼスチャーを送っていた。
「いやいや、対局中に「お漏らし」して厠にお連れした事をお忘れになられた
か。
あの頃はまだかわいいわっぱで、何度もワシに対局をせがまれたでは
ないか。それが今では踏ん反り帰った城主とは」
「じじい・・・」
緒方が完全に桑原へと意識を持って行かれたのを見てヒカルはそっと
立ち上がり部屋を出た。
数歩歩いた所で緒方が「ヒカル!!」と呼び止めたがそのまま足を止めな
かった。
心の中で緒方に謝罪しながら、足を速めた。
桑原に任せておけばきっと大丈夫だ。
勝手を知ってるこの屋敷を抜けると門の前で心配そうな顔をしたアキラが
待っていた。
ヒカルはもう笑いを止めることが出来なかった。
「あはは、ハハハハハハ」
「何が可笑しいんだ。心配して待っていたのに」
「ごめん、ごめん、何かさ、すげえ可笑しかったんだ」
ひとしきり笑った後、笑いすぎて涙が出てきそうになった。
「それで、もう良いのか?」
「ああ、桑原様に後は任せたから、もう大丈夫だ」
「そう」
ようやくアキラもほっとしたようだった。
「だったら行こう」
そう言って差し出された手に『どこへ・・?』と問おうとしてヒカルは辞めた。
「ああ、そうだな」
どこだっていい。アキラと一緒なら、地の果てでも一緒に行けそうな気がした。
その手を握り返すと力が込められる。
あの日、アキラがここにヒカルを迎えに来た日を思い出し、胸が熱くなる。
見上げると奇しくもあの日と同じように、ひかる茜雲が2人の眼前に広がっていた。
おわり
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