ひかる茜雲


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外で虫の音がしていた。

ヒカルが気を失っていたのはどれくらいか?
今何時なのかさっぱりわからない。

緩やかとは言えぬ2人の時間は過ぎていく。
何も言わぬまま過ぎて行く時間がもどかしく、ただ互いの肌の温度を感じ
ていた。
ヒカルは気怠さが残る体を起こした。

「アキラ、オレ風呂借りてくる」

ヒカルがようやくそう言ったのはもう朝も近いと思ったからだ。

「沸かそうか?」

昨日借りた風呂は冷めてるだろうが、この季節なら問題ない。

「いや、そのままでいい」

そう言ってヒカルは外に出た。

空を見上げると昨日の嵐が嘘のように静まり、雲間からは星空も見えた。
6月の朝は早い。後ひと時もすれば日が明ける事は星空から見てわかる。

朝が明け切る前にここを経った方がいいだろう。
アキラを見送るのは辛い。
それぐらいなら見送られる方がいい。

ヒカルは涙で霞んだ星空をごしごしと袖で擦った。
泣き顔なんか見せられない。アキラの前では笑っていよう。
ヒカルは無意識近くに左腕の手拭に触れた。




まだ暗いうちにヒカルは佐為の屋敷を出た。
佐為の側用人がヒカルに言った。

「ヒカル様お食事をして、もう少し明るくなってからでも良いのでは?」

「昨日帰るはずだったのに遅くなったし、それに今朝はオレ
勤めがあるから」

ヒカルは見送りに来てくれたアキラの顔を真面に見ることが出来なかった。
側用人は察してくれたのかその場を外してくれた。

「ヒカル・・・」

アキラが何か言う前にヒカルが口をついた。

「またな、お前が家に戻っても同じ江戸にいるんだから、会えない
わけじゃないし。オレも佐為の道場には通うし・・・」

早口で言った言葉は空回っていて、でもヒカルは何をどういえば
良いかわからなかった。

「元気で」

アキラが差し出したのは傷が残る左手でその意図を悟って、左手で
ぎゅっと握りしめた。

「うん」

「じゃあ」


アキラに背を向け歩き出すと知らず知らず涙が溢れた。

アキラとは会えなくてもずっとずっと繋がってる。
アキラと血を含み、情を合わせて契りを結んだのだから。
なのにヒカルは今身を割かれそうな程に心が痛みを感じてる。

振り返るとアキラはそこにまだいるだろう。
戻れば逢う事もできるのに。
ヒカルは振り返る事が出来ずただひたすら前を歩いた。





朝露の町が動き始めたのはそれから間もなくの事だった。
ヒカルが屋敷に戻るとすぐに緒方の呼び出しがあった。

「遅くなりました」

「昨夜の雨では帰れなかったのだろう。あの嵐ではオレも心配だった
しな、お前の顔を見て安心した。
今日は朝勤めだったが、帰ったばかりで疲れてるだろう。夜でいい」

緒方の言葉の端には含みがあった。
それは緒方を受け入れる準備をして来いとヒカルに示唆していた。

昨夜アキラを受け入れた体で今日緒方と・・・。
そう思うと自己嫌悪で苛まれる。


「緒方様、あの・・・」

「なんだ?」

「いえ」

ヒカルは自分で何を言おうとしたのかわからなかった。

「どうした?可笑しなやつだな」

緒方は気にも留めなかったようでただ笑っただけだった。




その夜、緒方はヒカルを待っていた。

「後ひと月で江戸を経つ事になった。国に帰れば式も挙げねばならん。
城主とは不便なものだ。ままならぬものが沢山ある」

ヒカルは緒方のつぶやきをその胸で聞いた。
城主でなくてもままならない事は沢山ある。
ヒカルがぎゅっと手を結ぶと緒方は小さく笑った。

「まだ慣れんか?震えてる」

そう言ってヒカルの寝間の紐を解く。緒方はふとヒカルの左腕に
巻かれた手拭に目を落とした。

「なんだ、こんな所に傷でも作ったのか?」

ヒカルの震えが大きくなる。
肩に緒方の唇が落ち、寝間が床に落ちる。

緒方は歌うように軽くヒカルの体に唇を落とす。ヒカルの震えは
増す一方で緒方は手を止めた。

「ヒカル、どうかしたのか?」

心配そうに覗く緒方にヒカルは罪悪感でいっぱいになりながら首を
横に振った。
だが緒方はそれほどに鈍感ではなかったようだった。

「嘘をつくな。何があった?」

「何もありません」

ヒカルは必至に言ったが、震えは増すばかりで抑えることが出来ない

緒方はヒカルの腕を引くと、ヒカルの左腕の手拭を解いた。
ヒカルは慌てたが、緒方は強引で手拭をはらりとほどく。

一本の筋が通ったような傷はすでに塞がっていたが、アキラに巻いてもらった
手拭には血痕が残っていた。

「刀傷・・・・。」

「それはあの・・・」

「ヒカル、誰と契りを交わした」

ヒカルは背が凍ったような気がした。

「怒らん。言ってみろ」

緒方はそう言ったが言葉はすでに怒りを含んでいた。

「知りません」

「強引にされたのか?そうだろう」

「違う」

ヒカルが横に首を振れば振るほど緒方の怒りは増していく。

「ヒカル!!」

緒方は怒りに任せてヒカルを床に押し倒した。
怒りで震える緒方がヒカルの喉に噛みついた

「ひぃ・・・」


噛み殺されるかもしれないと思うほどの痛みにヒカルは大きく呻き、
仰け反った。呼吸が途絶える前に緒方はヒカルを解放した。

「もう1度聞く。誰にされた。そいつをかばってもお前の為にならんぞ」

例え緒方に殺されても、アキラの名を言うわけにはいかない。

「知りません」

蚊が泣くような声でヒカルはそう言うのがやっとだった。


                         
         









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