ひかる茜雲


                            

       

     
福井と打った後、対局相手を変えて3局、ヒカルは1度も勝つことが
出来なかった。
最後の一局は結構いい試合だったのだが、ヨセで
見る見るうちに形勢が逆転して負けた。

休憩時間になってヒカルは一人とぼとぼと庭に出ると
池の端に腰を下ろした。水面に落ち込んだ自分の姿が映り
余計に沈むようだった。


その時福井と一人の少年が「お〜い」と廊下から手を
上げた。
ヒカルが応えると二人がこちらに駆けてきた。

「ここ座っていいか?」

そう言った少年は身なりが軽く、屈託なかった。
こんな少年があの中にいたのだ。

「ああ、・・・えっといいけど。お前の名前は?」

「オレは和谷義高、みんなオレの事を和谷(わや)って呼んでる。
進藤もそれでいいぜ」

「わかった、和谷」

ヒカルが場所を空けると和谷と福井がそこに腰かけた。

「大変だろ?最初みんな物珍しさがあっていつもあんな
なんだ。けどすぐ慣れるから」

福井にも言われたことを和谷にも言われてヒカルは頷いた。

「にしても、ここのやつ、みんな強えよな。オレ全然勝てなくて
悔しいつうか」

溜息を吐いたヒカルに和谷が苦笑した。

「進藤は囲碁始めてどれくらいだ?」

「う〜んと、10日くらいかな?」

「10日?」

福井と和谷が驚いて顔を見合わせた。

「マジかよ?」

「ああ、オレが緒方様の所に勤めに出てからだから。
ルールを教えてもらって、それで・・・。」

「進藤、オレも含めてここに通ってる子供たちはさ、みんな小せえ
頃から碁を学んできたんだ。それをたかが、覚えたて10日
のお前に負けた時には、オレたちが凹むっての。
でもお前見どころあると思うぜ。
今日お前と対局した4人が対局するごと、いや、対局中にも進藤は
強くなってると言ってた」

福井が和谷に同意するように頷いた。

「僕らは何年もずっと囲碁ばかりやってるから、これ以上棋力を
上げるのは難しいけど、進藤くんはこれからどんどん強くなると思う。
それに塔矢くんが進藤くんの事気にしてたんだよ。
進藤くんが対局した4人から棋譜を聞き取ってたもん。
塔矢くんって、普段僕らの碁を気にしたりしないんだ」

あのアキラがヒカルを気にしてるとは思えないが、もしそうなら
嬉しかった。

「あいつは何考えてるかわからねえからいいんだよ」

和谷はため息を吐いた。
そう言えばとヒカルは思い出した。
誰かと対局をしているアキラをヒカルは一度も見なかった。
アキラは子供たちが対局してる間も棋譜を並べたり、本を読んだり
一人で黙々と勉強していた。

「なあ、やっぱアキラって強いのか?」

「ああ、もう嫌味なぐらいな」

「佐為と同じぐらい?」

ヒカルの質問に和谷と福井が同時に笑った。

「佐為様の方が強いよ」

「けど塔矢はいつか親父を継いでお城碁に行くんだろ。
いつかは、ってあいつも思ってるだろうさ」

和谷は面白くなさそうだった。
言葉の端から和谷はアキラが嫌いなのだろうとヒカルは思った。

ヒカルは来た時から思ってた疑問を2人に聞いた。

「あのさ、オレ変な事聞くかも知れねえけど、
どうしてアキラはここで学んでるんだ?佐為とアキラの所の名人家
は碁敵なんだろ?」

「ああ、まあ、進藤の疑問は当然だな」

和谷は3人だけだと言うのに声を落とした。

「半年ほど前、千駄谷で大きな火事があったろ」

ヒカルは千駄谷ではなかったが、祖父が住んでいてその火事の事は
知っていた。

「ああ」

「あの家事で塔矢の屋敷も焼けちまったんだ。塔矢の両親は勤めで
転々としてるから、あいつだけが新橋の親戚の家に預けられて。
それで佐為様がここに学びに来ないかって誘ったって・・・・。

まあ、そういう話だけど、あいつの事だ。
父親に頼まれて間者でもしてるんじゃねえかって疑うぜ」

「もうどうして和谷はそんな事ばかり言うんだよ」

福井は呆れたようにも、怒ったようにも怒鳴った。
ヒカルも和谷の言うようには思えなかった。
アキラは取っ付きは悪いがそんな奴だとは思えなかった。

「そんなこと言ったら佐為だってそういう事にならねえか?」

あり得ないと思ったが、和谷の言い分なら佐為がアキラを誘った
のは、名人の情報を得る為とも言えなくない。

「全く、進藤くんの言う通りだよ」

ヒカルと福井に言われ和谷が頭を掻いた。

「ああ、もうわかったって、悪かったよ」

和谷は言い過ぎたと思ったのか素直に謝った。
その時、低く短い鐘の音が3回鳴った。

「休憩も終わりか、気を取り直して後半戦もがんばろぜ」

和谷の言葉で立ち上がった。





申の刻を過ぎると子供たちは一人、また一人と帰って行き
ヒカルの隣に座っていた和谷も席を立った。
丁度対局を終えたヒカルと目が合って和谷が声を掛けてきた。

「進藤はまだ帰らなくていいのか?」

「オレは毎日来れねえから今日はここに泊まるんだ」

「へえ、そうなんだ、じゃあしっかり頑張れよ。明日は伊角さんが
来るから紹介してやるよ」

まだ対局してる者もいて和谷は小声でそう言うと帰って行った。
ヒカルの対局者もその後帰宅に着き、最後はアキラとヒカルの
2人になった。
手持無沙汰になったヒカルは黙々と一人で棋譜を
並べるアキラに話しかけた。

「アキラは帰らなくていいのか?」

「僕は佐為様に君の事を頼まれたから」

『頼まれたから』と言うのは「好き好んで残ってるわけじゃない」
という様にも取れた。
だが、そう言う言い方した出来ないアキラはただ不器用なだけかも
しれなかった。

「だったらオレと打とうぜ?」

「君と?」

「オレの事佐為に頼まれたんだろ?」

図々しいかもしれないと思ったが、意外にもアキラは
碁盤を挟んでヒカルの向かいに腰を下ろした。

「置石は何石にしよう」

「置石?」

「今の君では僕との棋力に差があるから、石を置いて打った方がいい。
一石ずつ減らして行けば君も棋力が伸びたのがわかるだろ?」

偉そうに言われてヒカルはむっとした。

「いいよ。置石なんて、オレとお前は同じ年なんだから」

「だから今の君では・・・。」

言いかけたアキラの言葉をヒカルは心の中で反復した。
『今の君では?』
アキラは2度そう言った

それはいつかヒカルが追いつくかもしれないと思っている
のかもしれない。
自惚れでも、そう感じたヒカルは増して頑なに首を振った。

「石なんて置かなくてもお前に勝ってやる」

本当は今日じゃないかもしれない。明日、いや、いずれ必ず。
そう言うつもりで言ったのだが。アキラは表情を険しく、眉間に
皺を寄せた。
アキラを怒らせてしまったかもしれなかった。

「わかった」

石を握ったアキラは落ち着き払っているように見えて実は
内面で怒りを孕んでいた。
逆にヒカルは驚くほど自分が静かに冷静になっていた。

もしあのまま置石なり、置石なしでも打っていればアキラの本気の
碁と対局することはなかっただろう。

でもきっとアキラは本気で打ち込んでくるはずだ。
そう思うとわくわくせずにいられなかった。



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地名が所々出てきてますが、私は東京(江戸?)に土地勘がないので全くと言っていいほどいい加減に書いてます。なのであまり気にせずに読んで下さい(ぺコ)






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