今日は和谷の主催する研究会の日で、ヒカルと伊角、和谷は珍しくオフが揃い研究会は昼過ぎから始めていた。
本田と冴木、小宮が加わる夕方までは、ヒカルと伊角とのペア碁の特訓をしようと今日は最初から決めていた。
「打てば打つほど、考えさせられるな」
伊角に賛同しヒカルも大きく頷いた。
「だよな。伊角さんもっと遠慮なく打ってくれていいぜ」
向かいで伊角、ヒカルペアの相手を1人でしていた和谷が苦笑した。
「いや、もうちょっと休憩しようぜ、オレが疲れたって」
昼過ぎから始まった対局も2局を打ち終え、夕刻にもなろうとしていた。
「それより進藤対局時計使った方がいいだろう。
公式手合いなら間違いなく時間切れでお前ら負けてるぜ?特に進藤は長考しすぎ。早碁でやってみろよ。感覚磨くならその方がいいって」
「あー」
和谷の指摘にヒカルは頭を掻いた。
「早碁は得意なんだけどなあ。伊角さんの手の裏まで考えちまうと思考に入っちまって」
「お前な、時間切れなんて嫌だろ。前年度もペア碁の決勝戦、時間1分も残ってなかったって聞いてるぜ?」
ヒカルは『うっ』と声を詰まらせた。時間切れでは嫌な思いをしてる。
対局相手よりも時間との勝負という方がヒカルには多かった。
それを狙ってくる対局者だっているのだ。
「まあまあ、オレがもう少し合わせらるようにするし、進藤が思考に入り込んだら時間はオレが調整する」
伊角の気遣いは嬉しいが、そう言うのは少し違うような気が
した。
「伊角さんそれはなし。オレに合わせようなんてそんなのしなくていいし」
和谷がそれに口を挟んだ。
「それはどうなるんだ?お互いが違う方向性向いちまったら困るだろ。伊角さんはそういう役でもいいんじゃねえ」
遠慮ない3人だからこそ言い合える事もあるが・・・。
ヒカルは頭を両手でわしわし掻いて抱えた。
「だああ、なんかだんだんわからなくなってきた」
伊角が『まあまあ』とヒカルを宥める。
「進藤考えすぎない方がいい。取りあえず一局オレと普通に打とう」
「そうだな」
碁石を片付け、伊角がヒカルの向かいに移動すると和谷が『少しは休憩しろ』とお茶を淹れた。
「そういえば進藤さっき携帯鳴ってたぜ。塔矢からじゃねえ?」
ヒカルはお茶を受け取り笑った。
「なんでも塔矢にすんなよ」
「いや、塔矢だと思うぜ」
和谷は意味深に笑った。
「なんだよ、それ」
ヒカルは携帯を開けると顔を顰めた。和谷の勘は当たってた。
ヒカルは短くそっけない言葉を選んで、送信し、携帯を鞄にやや荒っぽく放り込んだ。
その態度で和谷はわかったらしい。
「だろ?」
「ああ」
「それで?」
ヒカルは『はあ』と声に出して溜息を吐いた。
今日は和谷の研究会に行く事は塔矢に伝えていた。
塔矢も誘ったらと伊角と和谷は言ってくれたのだが、ペア碁の特訓をするのに『対局相手になるだろう』塔矢を呼びたくなかった。
それにあれから、塔矢門下の研究会に小林女流が来ていることもヒカルは知っていた。
そのことを気にしていないと言えば嘘になる。
絶対に塔矢と小林先生のペアだけには負けたくなかった。
「『こっちが終わったら寄れないか』だってさ。速攻で断った」
「恋人の誘いなのに冷てえな」
「その前にあいつには負けられないんだよ」
「塔矢は小林先生だったもんな。塔矢は小林先生とペア碁に向け何かしてるのか?」
「ああ、最近小林先生塔矢門下の研究会に顔出してるから、そういうのもやってると思う」
「それで進藤イライラしてるのか?それともあれか、今日は女性の特有の・・・」
「和谷!!」
話を聞いていた伊角が突然甲高い声を上げた。それはもう伊角のものかと思う程の声だった。
「そういうのは、不味いって言ってるだろ」
「悪い、悪い」
和谷はそう言ったが悪びれてはいなさそうだった。
それに・・・。ヒカルも少し自覚があった。
「二人ともそんな気を使わなくていいさ」
少し険悪な雰囲気が流れ、ヒカルは自笑するように笑った後、伊角が真顔で言った。
「進藤、もし無理してるなら言って欲しい」
まさか伊角にそんな事を言われるとは思わず、ヒカルは返事に困る。
『本当にこの人は』・・・と思う。
そしてこういう時、この人に恋をしていた自分を思い出しそうになる。
「ありがとう、伊角さん。でも無理っていうんじゃねえんだ。オレはあいつを追って今まで来たから。慣れあってられないし」
「それでも進藤は塔矢が好きなのだろう?」
和谷からでなく伊角に聞かれるのはヒカルには意味が違った。
「塔矢はホントまっすぐで、だからオレ困っちまうんだ。
けど、そうだな、ほだされるぐらいは・・・。」
そう応えた瞬間少し肩の力が降りた気がした。正直に認められたからだろうか。
伊角と和谷が顔を見合わせた。
「進藤、塔矢とちっと関係が進んだな」
「和谷の思ってるような事はねえよ」
「進藤、塔矢の所に行かなくていいのか?」
『伊角は無理してるなら言っていい』と言ってくれた。なら今日はここに居たかった。
「いいよ。別に、今日はここでとことん打つ。そんな気分だし」
「わかった、だったらとことんオレも付き合うさ。打倒塔矢の為にも」
「いや伊角さん、そこは塔矢通り越して、世界大会を
目指せよ!!」
「だよな」
3人で笑い声をあげ笑うと、ヒカルはコップを置いた。それが合図になり、伊角が石を握った。
明け方まで打ち明かしてヒカルが眠い目をこすり電車に乗った時は日がすっかり上っていた。
閉じていた携帯を開けると塔矢から早朝にメールが届いていた。
【今日の夕方にはマンションが落ち着くと思う。よかったら来ないか?】
ここ3日塔矢は引っ越しの為仕事は入れていなかった。
今日1日で引っ越しも片付けも済ませられるものかと思ったが一人暮らしの塔矢は物も少ないだろう。
家に一度帰り横になって・・・それから。
新居祝いでも買って行ったらいいだろうかとヒカルはぼんやり返信を打つ。
メールを返信した後、訪れた眠気に負け目覚めた時にはとっくに降車駅を通り越していた。
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