月光交響曲

最終話)







地下鉄の座席に腰を下ろすと、すぐに優しい寝息が聞こえて来た。
早朝から遊びまわって疲れたのだろう。
だがそう道のりはそう遠くない。

頭を預けてきた晃は口元が半分開き、よだれが覗いていた。それに苦笑して
ハンカチで拭いてやりヒカルもまた目を閉じた。
ゴトンゴトンと規則正しい電車の規律も今は眠りを誘う子守歌のようだった。

もうすぐたどり着いてしまう。

その場所にもう少し、もう少し・・・時間よ止まれと祈る。
そうして本当に時間が止まってしまったような錯覚が不意に襲う。

懐かしい声に呼ばれたような気がしてヒカルは目を開けた。

光の中、アキラが立っていた。
晃と一緒に電車の中だったはず・・・と心の中で苦笑したのはこれが
夢だとわかったからだ。

『アキラ・・』

アキラはヒカルに手を伸ばす。それはあの夢の佐為となぜか重なった。

「お前どうして?」

ひょっとしてオレを迎えにきたのか?
それもいいかもしれないと一瞬でも思ったヒカルは思いなおし、首を
小さく振った。オレはまだそちらに行くわけにいかない。

アキラは苦笑して、ヒカルの震える指に触れた。握られた手は仄かに
温かさが纏う。
その一瞬脳裏に光景が流れ込む。



その瞬間オレはわかっちまったんだ。

アキラの笑顔が涙で歪む。離れようとした手をオレは握り返した。
どうしてこんな白昼夢をお前は見せるんだ!!

「行くな。行くなよ!!」

それが自分の想いと矛盾することだとわかっていてもヒカルはそう叫んだ。
少し困ったようにアキラは微笑む。その存在が希薄なっていく。
握っていた手のひらが解けていく。消えちまう。

「アキラ!!」






『かあさん?』

目を開けると、軋むレールの音と車内の音が耳についた。
ヒカルの瞳からぽろぽろと落ちる涙が頬を伝っていた。
晃に心配させないように拭うと『次だな』と呟いた声は思い切り上ずっていた。

「かあさん大丈夫?」

「どうして?」

「だって」

「大丈夫さ」

解いた手をもう1度握る。
晃の温かい手にまた泣きそうになりヒカルはもう1度言い聞かせる
ように呟く。

「大丈夫」と。







塔矢先生の家の庭の桜は芽を膨らませていた。

「かあさんここ?」

「ああ、そうだ」

とうとう晃とここまで来てしまった事に寂しさを拭えなかった。
先ほどの白昼夢もまだ胸に落としていたが、感傷に浸ってばかりもいられない。
思い切り顔を上げると、門のほうが先に開いた。

「明子さん!!」

「そろそろ来る頃だと思って」

今日は遅くなることを伝えていたが、待ちきれなかったのだろう。

「きっこさん?!」

晃が珍しく大きな声を上げヒカルは驚いた。

「晃くん大きくなったわね」

「ここきっこさんのおうち?」

「そうなの。でも今日から晃くんのおうちになるのよ」

「えええ?」

晃はかなり驚いたようだったがそれはヒカルも同じだった。

「明子さん晃と会ったことが?」

「ごめんなさい。美津子さんにお願いして何度か」

ヒカルは小さくないため息を吐いた。思い当たる事はあったのだ。
母さん(美津子)の知り合いで碁を打つ女性がいると言って東京に来たときに
何度か二人で出かけてた。
今更美津子に何も言う気はないが、隠していたヒカルからすれば今まで何
をしていたのかという事だ。

「知っていたのですね」

「聞いたのは緒方さんから、でもあの人はまだないから」

緒方からと聞いてヒカルは内心『またか』と思う。
本当にいつから知っていたのだろう。

「随分先生を待たせてしまったんですね。オレ」

『こんなところで立ち話も』と言われ晃は嬉しそうに明子に付いていく。
晃は明子にさっさと付いていってしまい、ヒカルは靴を並べ追いかける。
この分だと本当に心配はなさそうだった。



「あ、あの・・・」

晃は部屋に入った瞬間少し気おくれたようで足が止まっていた。その奥の座敷に
塔矢先生が座っていた。
ヒカルでも気おくれする塔矢先生なのだ。後から入ったヒカルが晃の背を押す。

「塔矢先生ご無沙汰しています。息子の晃です」

「ああ」

そういった先生の顔はいつもの数倍も穏やかで優しく見えた。

「ほら、晃挨拶しろ」

「あの、進藤晃です。えっとあの・・・塔矢先生」

晃が言葉に詰まり、困ったようにヒカルをみやる。

「そんなに固くならなくていい。それに私の事はお爺ちゃんと呼んだらいい」

ヒカルはまさか先生がそんなことを言うとは思わなくて苦笑しそうになる。
内心では祖父バカになっても見せないようにすると言ってたが、すでにヒカルの目から
見てもそうだった。その様子に明子がくすくすと笑う。

「だったら私はおばあちゃんと呼んでもらわないとね」

「ひょっとしてきっこさんは僕のお父さんのお母さん?」

「そうよ」

「そうなんだ」

晃はようやく緊張が解けたのか、勧められた場所に座り部屋の回りを見る。
そうして目ざとく部屋の隅に置かれた碁盤を見つけ小さく『碁盤!!』と呟いた。

「打つか?」

「貴方後にしたら?晃くんは今日は1日出かけて疲れてるだろうし」

晃は少し残念そうに乗り出した体を下げた。

「13路なら夕食の準備をしてる間にも勝負がつくだろう」

塔矢先生の提案で二人は楽しそうに碁を打ち始めヒカルと明子は少し呆れたように席を
立った。そうして階段の前でヒカルは足を止めた。




「明子さん、晃の部屋は、やっぱり?」

ヒカルは先日ここに来たときに、晃の荷物や服を明子と一緒に片付けた。
その前に部屋に残っていたアキラのものを明子はほとんど処分したと
話していた。
真新しいランドセルと机が並んだだけで、子供部屋らしくなったその部屋に
明子は今まで片付けることができなかったのだと笑ったが。
明子がどんな想いでアキラのものを処分したのか、そうして今日の晃を迎えたのか
考えるだけで胸が締め付けられた。



「やっぱり他がよかったかしら」

ヒカルは首を横に振った。

「いえ、その方がきっとあいつも・・・。」

「私もそう思ったの」

明子の笑った目じりに涙が浮かんでいた。

「ヒカルさん今日ぐらい泊まっていったら」

ヒカルがこのまま帰ると言い出すことを明子はわかっていたようだった。

「来週、入学式の前には泊まりに来ます。教室の日も出来るだけ来るようにします。
あの、明子さん今日から晃の事よろしくお願いします」

「そんな水臭い。ヒカルさんは大丈夫なのですか?」

「大丈夫、大丈夫って言い聞かせてます。それでも不安になったときはここに来ちまう
かもしれないけど」

明子はふわりとヒカルを抱き寄せた。

「ちゃんと任されましたから、私も大丈夫ですから、いつでも来てください」

「明子さん・・・」

泣きそうになるのを堪えヒカルはもう一度深く会釈した。
明子も察したのか見送りは玄関までにしてくれた。振り返りそうになるのを耐え
玄関を出たところでヒカルは向かいからやってきた影とぶつかった。

緒方もかなり驚いたようだったが、何っていうタイミングだろうとヒカルは唇をかんだ。





「先生なんでここに?」

「先生の新しい弟子がそろそろ来てるだろうってな」

「そっか。塔矢先生の弟子ってことは緒方先生の弟弟子って事だもんな。
これから晃の事よろしくお願いします」

深く頭を下げたのは涙を隠すためだった。

「オレも楽しみにしていたからな。それよりどうした?進藤泣いてたのか?」

この人に誤魔化すのは難しいだろうと思いヒカルは小さく頷いた。

「見ぬふりしてくれよ」

そういって緒方の脇をすり抜けようとして脇を取られた。

「オレの胸でよければ貸してやろう」

おどけたように言ったのはオレの気持ちを軽くするためかもしれなかった。

「遠慮しとく」

「どうして?今のお前には必要なんじゃないか?」

「いらねえよ。下心あるやつなんかの胸借りれるか」

「下心はない」

『嘘つけ!!』と心の中で毒づいたが言葉に出来なかった。

「泣きたいなら思い切り泣けばいいじゃないか」

緒方がヒカルを胸に抱き寄せる。ぐらりと揺れた心に差し込まれたように動けなくなる。


ぽろぽろと必死で抑えてた涙が溢れてきて、緒方のシャツを汚してしまうと思って
離れようとしたが、その腕は力強かった。




「アキラに会ったんだ」

先ほどの白昼夢で、アキラはヒカルに何も言わなかった。
けれど・・・確かにアキラの意思は感じていた。

「そっか」

オレが言葉を続けたのは緒方だったら笑って聞いてくれるかも
しれないとどこかで思ったからだ。

「亡霊になることよりもあいつは、生きることを選んだ」

すがすがしい程に、迷う事なんてなかったのだろう。

「なんでかな、オレ嬉しいはずなのに、泣いてばっかで。わけわかんねえ」

「それはお前が母親になったからだろう」

緒方に言われて『ああ、そうか』と妙に腑に落ちたような気が
した。

「先生の気持ちはオレ返せない。けど先生の持ってるタイトルは必ず奪いに行くから」

緒方の腕が緩む。

「それでもオレはお前を待ってる」

ヒカルは噴き出すと緒方から離れた。

「やっぱ下心あったろ!!」

「オレはお前と一緒に生きてやれる」

緒方の呟きにヒカルは顔を横に振った。

「今もアキラはオレと一緒に生きてるさ」


『ここに』というように胸を示す。
今生きてるという実感するのはいつも悲しみからだった。
それと同じくらい、愛おしさとか、負けたくないとか、がむしゃらに毎日を生きてる。

お前以上のやつになんかきっと出会わない。
先生には悪いけどそれは確かな事だった。
そうしてこれからもオレはまた後ろを振り返ってこうやって
泣いてしまうのだろう。




それでもオレは迷いながらここで生きてく。

見上げた空、月が浮かんでた。



                           月光交響曲 END







あとがき


ここまで読んで下さった皆さまありがとうございます!!

なぜまたこんな暗いお話を書いてしまったんだろうと後悔もしたんですが。。
思いのほか読んで下さってる方がいらして、感想も何通か頂き、
前向きに書くことができました。ただ暗い話というのでなく、
アキラくんのいない世界で存在を感じられるようにと私なりに描きました。

もともとこのお話もお客様から頂いたリクエストから思いついたものでした。ただリクエストは「亡くなったアキラくんがお化けになって・・・ヒカルに気づいて欲しくてあれこれ仕掛けていく」・・・という感じで(苦笑)

そのリクエスト頂いた時はパロディにしかならないな、と
思ってその路線で行こうと思ったんですが。妄想していくうちに『もしアキラくんがお化けになったら佐為が見えたヒカルならアキラも見えたに違いない』・・・と
思い、方向性がどんどんと違うものになっていきました<(_ _)>

ただやはり、頂かなければ思いもつきませんでしたし、私も書けなかったと思うので、(お客様のリクエストには応えられていませんが)懲りずにリクエスト頂ければ泣いて喜びます。


次回作は子供たちの夏休み明け開始になるかな、と思います。(もっと先になる可能性もm(__)m
次回作の予定はパラレル長編、アキラ×ヒカルで相変わらず緒方先生は絡み
ます。

それまでに短編(?)か今まで書いたお話しの番外編みたいなものを次回作までに少し書ければ、と思ってます。

2016.7月20日 堤緋色





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